処理水問題、日本政府が予想外の奮闘でデマに対抗
石井 孝明
経済記者/情報サイト「withENERGY」(ウィズエナジー)を運営
構内で驚く処理水タンクの数
東京電力の福島第一原子力発電所で、事故の処理作業に伴って出た処理水の海洋放出が8月24日から始まった。海外と国内の批判に対して、日本政府が関係者とともに予想外の奮闘をしてデマに対抗し、事実を伝え、国民の支援を促した。日本国民の大勢も冷静だった。なぜ原発事故直後にこれをやらなかったのかと残念に思う。関係者の対応を振り返り、なぜその処置が遅れたのかを考えてみたい。
筆者が福島第一原発を最後に取材したのは2017年10月だった。構内に巨大な処理水のタンクが立ち並んでいた。現在はそのタンクは1000基以上まで増えた。処理水を放出してタンクを減らし、東電の管理や建設の負担を減らすことは、福島第一原発の事故処理を促進するために当然のことだ。その当たり前が、さまざまな人の反対で、なかなか実行できなかった。
処理水には、放射性物質を除去した後で、放射性物質のトリチウムが残るが、それはごく少量だ。処理水は大量の海水で100倍以上に薄め、そのトリチウムの濃度を国の排出基準の40分の1未満とした上で、沖合1kmの海底トンネルの先から放出する。ここまでやると、放射能による健康被害の可能性はないだろう。
予想外に頑張った日本政府
処理水問題で、当事者の東電は丁寧に広報を重ねている。サイトでの詳細な説明、住民説明会などだ。私が意外感を持ち、印象に残ったのは、日本政府の広報の頑張りだ。2021年の補正予算で、処理水対策として総額800億円の基金を作り、税金が投入されることになった。その金額は多すぎるように思えるが、その一部が広報に回った。政府は福島原発問題で、風評被害の払拭に積極的に動かなかった印象があった。今回は違った。
物事をなかなか決断せず、優柔不断と批判を集める岸田文雄首相はリーダーシップを発揮した。彼は会見、IAEA(国際原子力機関)幹部などとの会談、メディア取材に積極的に応じた。「科学的根拠に基づき、高い透明性を持って国内外に丁寧に説明していきたい」(今年7月、グロッシIAEA事務局長との対話)と意気込みを述べ、その通りにした。
経産省、外務省、農水省も頑張った。政府の打ち出した「#STOP風評被害」「#食べるぜニッポン」などの言葉も、SNSで広がった。外務省は、世界各国で中国の外交団などが風評被害を流すと即座に反論した。動きが鈍かったこれまでの外交問題とは全く違う対応だ。西村康稔経済産業大臣の行動が目立った。自ら前面に出てSNSでの発信、メディアへの露出を繰り返していた。政治的には批判を受けかねない問題なのに、自ら責任を背負った姿勢に、一国民として感謝を述べたい。
中国以外は放出を容認
世界の大半の国は処理水問題を騒がず、日本政府の動きを支持した。外務省は世界各国の根回しもよく行った。日本政府は、IAEAと協力した。同機関の査察を積極的に受け入れ、安全性評価の客観性を確保した。韓国は文前政権では繰り返し福島の放射能問題に懸念を示したが、現在の尹政権はこれを問題視しなかった。韓国では野党とメディアの一部が騒いだだけだった。
中国は日本政府を繰り返し批判した。そして9月初頭に日本の水産物の輸入禁止を行った。また世論が激昂して、一部の中国人は日本の福島県庁や福島の飲食店に、抗議やいたずら電話をした。しかし9月中旬には中国政府による激しい日本批判はややトーンダウンした。中国共産党政権がよく行うように、国内世論の不満のはけ口として「反日」が利用された面があるように思う。ロシアも批判に同調した。
そして日本の世論の大勢も冷静だった。処理水排出を認める世論は直近では、常に6割を超えた。中国政府の日本製海産物の輸入禁止措置に対抗し、国内では日本の水産物を買おうという運動が盛り上がった。
一部日本人の残念な行為
残念だったのは、日本の一部政治勢力、メディアと学会が、おかしな反対論を騒いだことだ。処理水の放出は政治的立場に関係なく、安全かどうか、「汚染」と郷土を批判される福島県民の人権侵害を止める、そして日本の国益をどうするかという観点から判断されるべき問題だ。それなのに一部の日本人が冷静な議論を放棄し、反対を続けたことは異様で、理解できない。
日本共産党、れいわ新選組、社会民主党は「汚染水」という言葉を使い続けた。野党第一党の立憲民主党も、一部議員が過激な反対運動に参加したのに、党として処罰をしなかった。
また多くのメディアは処理水問題で否定的な情報を流し続けた。これを「情報戦」と定義した産経新聞、また中立の情報を流した読売新聞以外は反対意見が目立った。その中にはおかしな報道もあった。一例を示すと、漁業者で反対する人はほとんどいなかった。そのために反対する一人の漁師に取材が集中し、その人の映像を各テレビが流し続ける変な状況になった。
日本の学会の多くは、沈黙を続けた。政策に対して科学的に提言を行う、研究者の集合体の日本学術会議は、この問題について全く発信をしなかった。同団体は福島原発処理、その放射能デマ問題にも動かず、存在意義が問われるだろう。そしてこの多くの学者の力のなさ、社会問題に対する鈍さが、風評を拡大させた一因と思える。
なぜ早期解決ができなかったのか
こうしてみると、賢明な日本国民は、この処理水問題に冷静な対応を取り、落ち着くべきところに落ち着いたと言える。また事前の懸念と違って大した騒ぎにならなかったし、当然、健康被害も起きていない。
これの結果は良かったのだが、新たな疑問が生じる。なんで処理水の処理が遅れたのかという問題だ。実行したら、大した問題ではなかった。処理水だけではない。福島の原発事故の直後に、風評被害が広がり、いまだに影響が残り続けている。初動でデマの拡散を止めたら、これほど今、処理水問題に手間をかけることはなかった。
福島第一原発事故は、さまざまな科学的な分析によって健康被害がないことは事故直後から明らかだった。処理水は海洋放出することが妥当という結論は2016年時点で、専門家の委員会が答申を出していた。それなのに放出はここまで遅れた。
萎縮ではなく実行をしよう
理由はいろいろと考えられる。鋭い日本文明論を展開した作家・評論家の山本七平(1921-1991)が言うように、日本社会のある局面を支配するがその内容を合理的に説明できない「空気」が、原子力・エネルギー問題でできてしまった面もある。そうした諸事情があっても、責任を持つ立場にいる人が決断と実行ができず、先送りしたことが大きな原因であるように思う。
この不作為は、原子力、エネルギー、気候変動をめぐる諸政策で、今も進行しているようだ。不必要に怯えて、決断を先送りし、多くの問題を悪化させている。原子力発電所の稼働の遅れ、電力業界の混乱、経営危機などだ。
予想よりも静かに進んだ処理水政策をめぐる現実の動きを見て、私たちエネルギーに関わる者たちは、自らの姿を考え直すべきだろう。自分たちが変に世の中に気兼ねし、無駄に萎縮し、責任を放棄して不作為を重ねていないか、自問するべきだ。前に進むのだ。