懸念漂うドイツの脱原発完了


ジャーナリスト

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 2023年4月15日、ドイツで稼働していた、エムスラント(北部ニーダーザクセン州)、イーザル2(南部バイエルン州)、ネッカーヴェストハイム2(南部バーデン・ヴュルテンベルク州)の原子炉が停止した。

 2011年3月の福島第1原発事故を受けて当時のアンゲラ・メルケル政権は、その時点で稼働していた17基の原発のうち、古い原発7基と事故のため停止中だった1基を廃止し、残りの9基も2022年末までに廃止することを法制化した。この改正原子力法に基づきドイツは過去10年余り、段階的に原発を廃止してきたが、4月15日、最後の3基が稼働を停止し、脱原発が完了したのである。

 言うまでもなく、反原発運動を担って来た人々を中心に、この日は脱原発の歴史的達成の日となった。しかし、ドイツ社会に手放しで祝う雰囲気はない。むしろ、社会を覆うのは、エネルギー不足やエネルギー価格の高騰への不安感である。

 私は福島原発事故当時、特派員としてドイツ在住だったが、あの頃のドイツの報道が、比較的冷静な報道姿勢の公共放送ARDのテレビニュースも含め、原発の危険性を繰り返し強調し、脱原発の主張一色だったことが思い起こされる。

 今回はARDが脱原発を「大きな戦略的間違い」とする見解も紹介しているのを見て、社会の雰囲気が大きく変わったことを実感した。

 ARDが放送した4月11,12日実施の世論調査によると、脱原発が正しいとの回答が34%に対して、間違っているとの回答が59%だった。福島原発事故から3か月後の2011年6月に行った世論調査では、「早急な脱原発」に賛成54%、43%が反対だったから、世論の風向きは逆転した。

 ARDの4月11日夜のニュース番組では、脱原発に批判的な意見やエネルギー安定供給への不安感に半分以上の時間を割いていた。

 番組では大量の電力を消費する亜鉛メッキなどの産業が電力不足を心配していると報じ、ドイツ商工会議所連合会のマルティン・ヴァンスレーベン会長は、「不安定な状況なので、できるだけ多くのエネルギー源を確保するかが重要」と答えていた。
 
 ロベルト・ハーベック経済・気候保護相(緑の党)は、「原発なしでも十分な電力は確保されている」と懸念の払しょくに努めていたが、同じ与党でも自由民主党(FDP)のクリスティアン・デュア院内総務は、「少なくともすぐに廃炉作業に取り掛かるのではなく、再稼働可能な状態にしておくことが必要」と、将来の電力不足への備えの必要性を強調していた。

 また、4月14日夜のニュース番組でも、バイエルン州のマルクス・ゼーダー州首相(連邦政府野党のCSU党首)は、「冬には深刻な(電力不足の)問題に陥るだろう。原発の再稼働も考えられる」と踏み込んだ発言をし、イーザル2の稼働を州政府の管轄の下で続けるとの提案も行った。この提案は真剣な議論の対象となることはなかったが、ゼーダー氏は「危機が去り、再生可能エネルギーへの移行が実現するまでは、どんなエネルギーでも使わねばならない」と原発活用の必要性を繰り返し表明した。

 ここまでの変化を促したのは、福島原発事故の記憶の風化もあるだろうが、何と言ってもロシアのウクライナ侵略によるエネルギー安定供給への不安や価格高騰への憤りである。

 ドイツはすでに完成していた海底ガスパイプライン「ノルトストリーム2」の稼働を断念しなければならなくなり、ロシアからの安価な天然ガス供給を前提に組み立てられていたエネルギー・経済戦略は抜本的な見直しを余儀なくされた。

 ドイツ連邦統計局によると、ドイツの物価上昇率は、2023年3月、前年同月比で7.4%と、沈静化の傾向にはあるものの高率が続いている。

 家庭用エネルギー価格は全体で21.9%の値上がりで、暖房用石油は35.7%値下がりしたものの、家庭用天然ガスは前年同月比39.5%、電気は17.1%上昇し、依然として家計を強く圧迫している。人々の生活が脅かされる現実を前にしては、多くの国民にとって、緑の党が主張する脱原発の理想主義よりも、安定して安価なエネルギー供給の方が重要になったことは無理もない。言い換えれば、経済安全保障の重要性に多くの人が目覚めたのである。

 ARDの世論調査でも、「再生可能エネルギー導入によるエネルギー価格上昇を懸念するか」との質問への回答は、「非常に大きい」26%、「大きい」40%との結果だった。

 ただ、強い異論や不安感の中で、ドイツの脱原発が放棄され、原発が再び活用されるようになることは、少なくとも当面はあり得ないだろう。脱原発は、紆余曲折はありながらも、ドイツの環境運動がほぼ半世紀にわたって追求してきた目標であり、ドイツ社会に固く根を張ったものだからだ。

 西ドイツで最初の原発が稼働したのは、1961年6月であり、2度にわたるオイルショック(1973年、79年)でエネルギー安定供給が課題となる中、1970年代、80年代と原発建設は進められ、40基近い原子炉が稼働した。最盛期の1997年には総発電量の30.8%を原子力エネルギーがまかなっていた(2022年は6.5%)。

 ただ、1970年代半ばには、バーデン・ヴュルテンベルク州ヴィールで原発建設反対運動が起き、それを嚆矢に各地で反原発運動が高揚した。そうした住民運動が結びついて1980年1月、連邦レベルで「緑の党」が発足し、環境運動はドイツ政治の大きな潮流となっていった。

 脱原発運動は、原子力エネルギーの危険性への懸念が土台にはあるが、脱産業社会を目指す「グリーンイデオロギー」とでもいうべき色彩を持っていた。1990年代に入り地球温暖化の問題が焦点となり、地球環境を救うべく脱原発に脱石炭、再生可能エネルギー普及が加わった「エネルギー転換」も目標となった。

 緑の党が2回にわたり、連立政権ではあるが国政を担い、脱原発政策を実行に移せたのは、世論の支持があったからこそである。脱原発の達成は、こうした半世紀近くの理想主義的な運動が実を結んだ面がある。
 
 4月15日を機に、ARDなどでは過去半世紀間の反原発運動を振り返る番組を放映していたが、そうした番組から、この運動がドイツの国内政治にいかに大きな影響があったかに改めて気づかされた。

 それにしても、先進国の中でもなぜドイツが突出して脱原発にこだわるのだろうか。

 よく言われるのが、チェルノブイリ原発事故(1986年)でドイツの国土も放射能汚染されたので、ドイツでは反原発運動が盛んになった、という説明である。しかし、汚染はヨーロッパ全体に広がっていたし、ドイツの場合、それ以前から反原発運動は激しかったから、説得的な見方とは言えない。

 従って、さらに根底にある、何かドイツ特有な事情があると考えざるを得ない。それは、ナチドイツの歴史的経験から来る政府に対する不信感や、大量破壊兵器である核兵器に対する忌避感なども考えられるが、さらに遡れば、森に代表される自然への憧憬で特徴づけられるドイツロマン主義の伝統があるのだろう。

 その視点は、この欄でも繰り返し言及し、拙著「ドイツリスク」(光文社、2015年)でかなり詳しく書いたが、脱原発や地球温暖化対策にまい進する理想主義的な環境政策の一端は、少なくとも近代に遡るロマン主義的な国民性に求めることができる。

 それは、自然に対する宗教的とも言えるうやまいの感情であり、とりわけ森林が大切で、自分自身や祖先たちの魂がある特別な意味を持つ場所となった。現代になって森林保護の思想の下地となり、第2次世界大戦後の高度成長期、大気や水質汚染が深刻になると、酸性雨による森林破壊の問題などが広範な市民運動を促した。

 合理主義への反発というロマン主義的な国民性は政治の世界でも発揮され、ややもすればドイツ政治は理想ばかりが高く、現実を度外視する傾向があることは否定できないと思う。脱原発は、よかれあしかれ、ドイツらしさがよく現れた政策なのである。

 現在、ヨーロッパの多くの国で、原発稼働延長や新設が進められている。

 ベルギーは2025年に廃止する予定だった原発2基の稼働期間を10年間延長する。
 
 フィンランドでは4月16日、欧州最大規模のオルキルオト原発3号機が本格稼働し、スウェーデンは、現在6基の原発が稼働しているが、法律で最大10基としている制限を撤廃することを検討している。

 ポーランドは400億ユーロをかけて原発6基を2026年から2040年代半ばまでに建設する計画で、3基が米国、3基が韓国によって建設される。その他、フランス、チェコ、ハンガリー、オランダでも新設計画がある。

 ヨーロッパ全体で見れば、今の危機を「原発ルネサンス」によって乗り切ろうとしているが、ドイツでは、大規模なブラックアウトや企業の海外移転の加速といったよほど劇的な事態が起きない限り、原発再稼働はあり得ないだろう。2023年/24年の冬のエネルギー需給がどうなるかを注視したい。