反原発メディアとの向き合い方

-争いではなく面白い情報を-


経済記者/情報サイト「withENERGY」(ウィズエナジー)を運営

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 エネルギーの専門家が集まり、社会的に注目される国際環境経済研究所(IEEI)のサイトに寄稿の機会をいただけた。山本隆三所長、関係者の皆様に感謝を申し上げます。そして読者の皆様と月1−2回の寄稿を通じて交流できることをうれしく思う。

 今の日本では産業界、エネルギー業界の本当の姿が社会に伝わらず、時には感情的な批判を受けてしまう。IEEIへの寄稿で、その関係を適切に発展させる情報を提供したい。


原子力をめぐり、批判的な報道は尽きないが…(四国電力伊方原発、iStock)

メディアに身構えるのではなく活用に、発想の転換を

 「なぜメディアは原子力を嫌うのか」。私は原子力の発展を応援している記者だ。メディア界で原子力・エネルギー業界の味方は珍しい。そのためだろうか。関係者から、東京電力の福島第一原発事故以来、メディアへの戸惑いと不満を頻繁に聞かされる。

 確かに、原子力をめぐる批判は過激で、関係者が怒るのも当然だ。ただしメディアを批判しても、原子力の評判が良くなることはない。それならばメディアの特徴を知って、それに応じて情報を提供し、自らが報道してほしい形を作り出すという発想の転換をしてはどうだろうか。露骨に「操作」と言うと嫌われるが。メディアの背後には、ニュースを求める国民がいる。適切な対応は世論対策にもなる。

 「メディア」という言葉は多義的だが、ここでは「情報を提供する企業形態の媒体」と定義しよう。日々そこで真面目に働いている人たちがいる。最近は東電の事故の後遺症が薄らぎ、ニュースは冷静さを取り戻している。おかしな人ではなく、まともなメディア人と、適切なコミュニケーションを重ねるのだ。

 メディアと向き合うために、その重要な特徴三つを紹介してみる。

第一の特徴「メディアは刺激を求める」

 「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」。メディア業界にある格言で、筆者は新米のころ先輩からネタ探しの秘訣として冗談混じりで教わった。「刺激的なことを伝えるのが記者活動」という意味だ。これは原子力関係者が念頭に置かねばならないメディアの第一の特徴だ。

 こうした発想を、一般社会の人、そして原子力関係者や産業界の人は異様に思うだろう。普通の人は仕事で現実と向き合い、それを分析し対応する。ところがメディアは「面白さ」や「刺激」で、現実の出来事の重要度を決める。

 この特徴ゆえに東電の原発事故は、メディアの格好のネタになった。「国家権力と原子力ムラが作った原発が事故を起こし、か弱い一般国民に害を与えた」という面白い物語があり、それに「日本が放射能によって滅びるかもしれない」という刺激が加わった。報道が過激になることは必然だった。面白おかしく取り上げられる隙を見せてはいけない。

第二の特徴「当事者でないから無責任」

 「メディアは間違いを流し無責任だ」と批判される。その面は確かにあるが、報道する側から見ると違和感を感じる。メディアは事象そのものに関与する当事者ではない。人々の脳裏に情報でイメージを作る、いわば「触媒」の役割にすぎない。メディアは傍観者である。これは部外者が留意しなければならないメディアの第二の特徴だ。

 だから、メディアと向き合うには、発信者は事実そのものを正確に伝えなければならない。それが問題ある内容であれば、どうにもならない。嘘による伝達は論外だ。

 ただし、当事者意識の希薄さゆえにメディアはそれを利用しようとする人たちのプロパガンダに頻繁に利用される。また新しいメディアの動きも、この特徴のマイナスの影響を強めている。個人発信のSNSサービスが日常に定着し「誰でもメディア」の時代になった。その中に情報で「目立つ」ことだけを考える人たちもいる。変な情報が流れやすくなっている。

 反原発で騒いだメディアや反対派を見ると、今は原子力に飽き、別の政治テーマに飛びついて騒いでいる。虚しさを感じてしまう。同時にメディアは当事者でなく、無責任で、批判は一過性でいずれ去ることも分かる。その騒ぎを、あまり気にしない方が良い。

第三の特徴「貧すれば鈍する」

 そして第三の動きとして、メディアの衰退がある。電通によれば21年の広告費はインターネットが2兆7052億円。マスコミ4媒体(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)の広告費2兆4538億円を抜いた。

 「貧すれば鈍する」で、収入の減少は、報道の質の低下をもたらしている。経費をかけられず、現場に人を割けない。メディアは記事をネットに公開するようになったが、閲覧してもらうために言葉が過激に、そして記事が短くなっている。

メディアを理解し、前向きの情報発信を

 こうしたメディアの特徴、またその背景にいる人々の情報の捉え方は、当面変わらないだろう。そうならば、情報を発信する人は、それを活用しながらメディア、その先にある一般の人々との関係を考え、構築するべきだ。メディアと争う必要はない。

 メディアが面白いことに飛びつくなら、原子力をめぐる面白く刺激的な情報を発信すればよい。ちょうど今、原子力に新しいイノベーションが起こりつつある。気候変動問題の解決策として注目され、米国を中心に新型原子炉の開発が進む。こうした前向きな情報が社会に大量に流れるようになれば、原子力をめぐる印象は変わるはずだ。

 メディアは原子力でリアルに物事を動かす当事者ではない「口だけ」の無責任な存在だ。実務家は自分の手がける目の前の仕事の成果をあげ、粛々と現実を作ってしまえば良い。「誰でもメディア」の時代であり、メディアが「貧すれば鈍する」状態ならば、当事者が正確でしっかりした情報発信をすればメディアを介さずに直接、情報を聞いて欲しい人に届くだろう。

「過去は変えられないがかっこいい情報は上書きできる」

 最後に筆者の考えを補強する意見を紹介したい。ライブドア創業者で、証券取引法違反等で有罪となり服役したホリエモンこと堀江貴文氏と、遺伝子組み替え作物をめぐるシンポジウムで対話をしたことがある。「科学的に正しい答えが無視され、感情的にこじれて先に進まない問題がある。遺伝子組み換え作物、原子力発電、ワクチン接種等だ。堀江さんなら 状況をどのように変えるか」と、聞いた。


シンポジウムでの堀江貴文氏(筆者撮影)

 筆者の要約と解釈によるが堀江氏は次の趣旨の回答をした。

 「全員の賛成を得るとかメディアの支援を願うのは、あきらめるべきだ。無理だし時間の無駄。世の中には理性が通じない話がある」

 「過去は変えられないが、かっこいい情報を上書きすることはできる」

 「真面目路線では人の心に響かないし、その結果、世の中は動かない」

 考えさせられる意見だった。堀江氏は逮捕、有罪、服役を経験した後で,今は言論活動や事業で復活している。こうした取り組みを重ねたためだろう。その意見は原子力とメディアのあるべき関係にヒントを与える。

 原子力関係者の多くは、真面目にメディアを説得し、批判を深刻に受け止め、世論を変えようと努力をしてきた。そうした行動は効果があったとは思えないし、自らの心の健康にも負担になったであろう。前向きの情報を提供する方が、個人としても楽しく、原子力の社会的評価に変化をもたらす可能性が高い。

 原子力について反発が薄らぎ、落ち着いて議論ができる状況になりつつある。原子力は、世界を気候変動の災害を止め、エネルギー不足を解消する技術だ。堂々と「原子力は世界を救う」とその意義を世の中に訴えるべき時がきている。

 そして、これは環境問題に向き合う日本の産業界の取り組みにも当てはまる。「私たちはビジネスで世界を救う」と行動し、それを堂々と発信してほしい。