COP27で見えた気候変動枠組み条約とパリ協定の限界


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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 シナイ山のあるアラビア半島の南端の地、紅海を望むエジプトのリゾート地、シャルム・エル・シェイクで開かれたCOP27に参加してきた。昨年のグラスゴーCOP26にはコロナで不参加だったため、3年ぶりの参加となったが、同地の国際会議場を中心とした広大な砂漠の上に展開されたCOP会場は、従来の全体会合プレナリーを中心とした「国際交渉の場」から、各国政府や国際機関、NGOなどによるパビリオン群が複数の巨大なホールの中に無数に展開するという、いわば「国際見本市」に主役が入れ替わっていた。そのキャッチフレーズも「Ambition to Action(野心から実行へ)」であり、28年前のCOP1から繰り広げられてきた気候変動を巡る国際枠組みを決めるための国連の交渉の場としてのCOP(気候変動枠組条約締約国会議)の位置づけが大きく変わってきていることを物語っていた。昨年のCOP26で「パリ協定」の実施ルールに関する交渉が終了し、いよいよ世界は「パリ協定」における各国の約束(NDC)の実施と相互検証という、実践のフェーズに入ったのである。エジプト、UAE、サウジアラビア、インドネシアなどの途上国が以前になく巨大なパビリオンを出展し、それぞれの取り組みをアピールしていたのも印象深いが、中でも以前(筆者の直接体験ではマドリードのCOP25まで)は、巨大なパビリオンを構え様々なイベントを繰り広げて圧倒的な存在感を示していたEU諸国や英国などの存在感は希薄で(ほとんどがイベントスペースで具体的な対策を紹介する展示は見当たらなかった)、先進国では米国が入り口近くに大きなスペースを確保し、First Movers Coalitionなどの取り組みを具体的にパネル展示して一定の存在感を示し、日本もそれなりに大きな場所を確保し、イベント会場に加えて先端的な取り組みをする企業の商品や技術を具体的に見せることで、「実践段階に入った」COPで一定の関心を集めていた。今後のCOPは次第にこうした「実践の紹介とアピール」を中心とした「国際見本市」化していくのではないだろうか。

 さて、今回のCOP27で政府間の交渉テーマとなったのは、昨年のCOP26に引き続き、1.5℃目標達成を目指した各国、特に新興国の野心度の引き上げと、その条件としての化石燃料(石炭火力)のフェードアウトへの国際合意(これは先進国、中でもEUは強く求めた合意である)と、途上国が長年求めつつも先進国の抵抗で具体化されてこなかった「ロス&ダメージ」への補償のための新たな基金設立に関する合意であった。この2つの論点を巡っては激しい多国間交渉が繰り広げられ、結局会期を1日延長する厳しい交渉の末、最終的に「ロス&ダメージ」基金の設立にだけ合意し、来年のCOP28までにその具体的な建付けや規模等について案をまとめて合意を目指す、という作業計画も設定されたという経緯については、本研究所でも有馬純東大公共政策大学院教授が、現場に居合わせた臨場感あふれる論考を展開されているので参照いただきたい。

 途上国はCOPの場において、自分たちは先進国が過去に排出した温室効果ガスによって引き起こされている気候変動による自然災害の被害者であり、フィリピンやパキスタンで発生した深刻な水害や、アフリカの干ばつによる飢饉などについて、「加害者」である先進国が賠償金を支払うべきだと、過去から一貫して主張してきた。これは昨年のグラスゴーCOP26で英国が展開した、世界全体が気温上昇を1.5℃以内に収めるという目標に野心度を引き上げなければ、今にも地球が破滅して人類の生存の危機を招く、といったキャンペーン(気候変動と今起きている自然災害の因果関係はIPCC報告書などでも必ずしも科学的に立証されていない)のブーメラン効果でもある。未だ貧しく社会インフラも整わない途上国では、既にそうした気候変動による被害が顕在化しており、先進国が主張するとおり、温室効果ガスがそれを引き起こしているのだとすると、その責任は産業革命以来大量の温室効果ガスを排出しながら経済発展を進める一方で、温暖化に加担してきた先進国が負うべきだ・・という理屈である。

 従来EUや米国など主要な先進国は、そうした無制限な損害賠償責任を負うことになりかねない「ロス&ダメージ」への資金拠出については頑なに否定し、あくまで自国ビジネスにもメリットのある途上国の削減活動への資金協力と、途上国の経済開発とその裨益にもつながる適応分野への資金協力の範囲に資金問題をとどめる戦略をとってきたのだが、グラスゴーに向けて英国が展開した1.5℃目標への野心度引き上げを促す、終末論的なレトリックを逆手にとられて、「だったら汚染者である先進国が賠償責任を負うべき」という途上国の主張に説得力を与えることになったのである。

 そうした中でも、EUは「ロス&ダメージ」での譲歩と引き換えに途上国、中でも中国やインドなどの新興国の削減野心度の1.5℃目標への引き上げのコミット(2025年排出ピークアウトや化石燃料の段階的廃止等)を取ろうと、交渉に躍起になったようであるが、結局パリ協定の合意内容を大きく逸脱(上書き)する後者が受け入れられることはなかった。ウクライナ紛争が国際秩序に亀裂をもたらす中、COP27での交渉決裂が国際的な気候変動対策の取り組みへのモーメンタムを失わせることを恐れたEUは、結局「ロス&ダメージ」の補償のための新たな資金による基金の設立に妥協し、そのような資金拠出が議会に阻まれることが必至の米国交渉団も、最後まで抵抗を示したようだが、最終的にCOP決裂の批判を自国が浴びることを嫌って妥協せざるをえなかったというのが、有馬教授の見立てであり、筆者も深く同意する。

 しかしこの「ロス&ダメージ」基金は今後の気候変動枠組み条約、ならびにパリ協定の施行に大きな影を投げかけることになるだろう。先ず先進国からの資金拠出であるが、欧州諸国はコロナ対策に続くウクライナ紛争でのウクライナ支援(難民受け入れを含む)での巨額の政府財政拠出、さらにはその余波としての化石燃料インフレ対策としての際限のない財政支出拡大で、向こう数年間、「新たな資金拠出」どころではなくなるだろう。COP会場で面談したある欧州シンクタンクの所長は、「来年以降EUは深刻なリセッションに見舞われるのは必至だが、当面政府が国民に支援費をバラまいているので社会は落ち着いている。ただ今の現役世代は欧州の安定成長期を経験してきたため、リセッションの怖さを知らない。」との警告の言葉を発していた。

 一方米国は、そもそも台風や干ばつなど、毎年のように途上国でおきる自然災害に対する気候変動の影響の寄与度がはっきりしない中、事実上無限の賠償責任を負うような「ロス&ダメージ」には強く反対してきたのだが、実際の資金拠出となると同様の理由による議会の超党派による反対に直面して、1ドルも拠出されないという事態も予見される。中間選挙が終わり、むこう2年間議会下院の主導権は共和党が握ることになる。また民主党がギリギリ主導権をとる上院でも、気候変動対策より財政赤字解消を優先してインフレ抑制法で気候変動政策を縮小させた民主党のマンチン上院議員(WV州)は、途上国への賠償金として米国が巨額の資金を拠出することには反対するだろう。さらに実際の基金拠出は23年から24年にその仕組みや制度が交渉・合意されてからとなるため、次回大統領選挙(24年11月)以降になるものと思われ、共和党大統領に政権交代が起きれば、合意そのものを反故にしかねない。

 つまり、今回貯金箱を作ることは決まったものの、その貯金箱は実態としてほとんど空っぽのままということになりかねない(そうした中で付き合いのよい日本がいったいいくら拠出するのか、少なくとも欧米の動きをよく見て拙速な判断は避けるべきだろう)。そうなると、この「ロス&ダメージ」を今回のCOP27の最大の成果と捉えて賞賛する途上国に、先々大きな失望と先進国への不信感をもたらし、パリ協定の有効性を担保する前提条件となっている、気候変動対策への国際的な協調的取り組みが、機能不全に陥る事態を招きかねない。

 一方仮に先進国が苦しい国内財政事情を抱えながらも、何とか一定額を基金に入れて形は整えることができたとしても、今度はその有限な基金のカネを誰にどのようにして配分するかで途上国間の争いが起きかねない。例えば今年のようにパキスタンで深刻な水害が起きた場合、復興のために巨額の「賠償金」が必要だとクレームすることになるが、同様の水害がカリブ海の島国でもハリケーンの襲来で起きたとした場合、有限の基金の中からいったいどうやって公平に配分するべきか、また次年度以降にいくら残しておくべきか、といった問題を巡って、すぐにでも補償金が欲しい当事者国と、将来の被害に備えて基金を残しておきたい非当事者国の利害対立が生じて、調整が難航するのは必至だろう。そもそも2024年以降にこの基金に資金拠出されることになったとして、今年起きたパキスタンの水害や、数年前に発生したフィリピンの水害が賠償の対象にならないのか?といった、ほとんど解のない議論のパンドラの箱を開けてしまうのではないだろうか。「ロス&ダメージ」は国連の中の南北対立を先鋭化させると共に、南南対立をも喚起しかねない危険な仕組みなのではないだろうか。

 この問題の背景には、実は国連の「気候変動枠組条約」の本質的な問題が潜んでいると筆者は考えている。「気候変動枠組条約」が国連で採択されたのは1992年であるが、その前年91年の12月にソビエト連邦が崩壊し、戦後続いてきた東西冷戦が終結した。このタイミングは偶然ではないのではないのかもしれない。東西冷戦時代、米国を盟主とする西側諸国と、ソ連を盟主とする東側諸国は、軍事的に対立するのみならず、それぞれの経済システムの優位性を誇るため、それぞれ分断された経済圏を形成し、その中で南米やアフリカの途上国を自らの経済陣営に入れようと、惜しみなく開発援助資金を投入していた。冷戦下においては、途上国援助は米ソがそれぞれ主導する陣営によって、戦略的な価値を持って進められたのである。それが89年のベルリンの壁崩壊、91年のソ連崩壊により西側体制の勝利という形で冷戦が終結したあと、世界的な平和と自由経済、資本主義によるグローバル化が展開していくことになるのだが、そこで取り残されかねなかったのが途上国である。冷戦時代に盟主国家の威信と戦略のもとに潤沢に開発援助資金を入手できた途上国に、もはや「戦略的」価値をもって潤沢な資金拠出してくれる気前の良いスポンサーはいなくなってしまう。そして丁度そのタイミングと軌を一にして、国連の場では気候変動対策を進めるための国際的枠組みである「気候変動枠組条約」が交渉されていたのである。

 そこでは気候変動問題はもっぱら産業革命後温室効果ガスを出して発展してきた欧米先進国の問題であり、対策に取り組むべきは先進国であって、途上国は「共通だが差異ある責任」原則に基づいて、当面は免責とされ(実際97年に合意され2005年発効の「京都議定書」で目標を負わされたのは先進国に限られた)、途上国による削減はもっぱら先進国からの資金支援によって行われ、その削減量は資金を拠出した先進国のものとしてクレジット化され、先進国も受益するという、いわゆる京都メカニズムが導入されたのである。条約には途上国の適応に向けての対策も、先進国が資金支援することが盛り込まれている(気候変動枠組条約第4条4項)。

 つまり「気候変動枠組条約」は、そのタイトルどおり、世界が共同して気候変動対策に取り組むことを表の目的としているものの、もう一つ裏の期待効果として、冷戦終結後に先進国が途上国に対して「冷戦後も引き続き資金支援を続けるための格好の理屈」を組み込んだ「富の再分配条約」とみることもできるのである。「京都議定書」から「パリ協定」への流れは、その後2000年代に入って中国を筆頭とする途上国の経済発展に伴い、先進国だけによる排出削減対策では地球温暖化が抑えられなくなるのが明確になる中、全員参加型の協調的枠組みである「パリ協定」への移行によって有効性が担保されたのであるが、そこで約束された「2020年までに先進国は途上国の削減・適応対策に対して、年間1000億ドル資金を動員する」という約束は未だに達成されておらず、途上国としては約束が違うということになる。そうした中でパリ協定や昨年のグラスゴー気候合意で大きく譲りすぎたと考える途上国側から、条約の裏のアジェンダである資金支援、南北間の富の再分配も同時に大幅に拡大せよ、という声が高まってくるのは必然なのであろう。

 よくよく考えれば、「気候変動枠組条約」の本質が、世界全体で気候変動対策に取り組むことと、それを通じて先進国の資金を途上国に流すという南北の富の再配分のダブルアジェンダに拘束されており、前者を国家目標とする先進国と後者を国家目標とする途上国の間には、同床異夢の構図が存在しているのである。「パリ協定」は、その両者の立場の違いを1000億ドルの資金支援というギリギリの妥協点で乗り越えて合意された国際合意なのだが、その意味で今回のCOPの2つの論点、「パリ協定」の目標引き上げと「ロス&ダメージ」は本質的にパッケージとなっており、途上国側の立場に立てば、「先進国は先ず耳を揃えて「パリ協定」で約束した年間1000億ドルの緩和・適応資金を拠出せよ。目標引き上げを迫るなら、先ずその前に「ロス&ダメージ」で基金を立ち上げよ。」という論理構造になるのである。

 具体的に「ロス&ダメージ」の基金による補償額がいくらになるか。それがどのように運用されることになるかについてはこれからの具体的な制度設計にかかわる議論次第であり、予見を許さないが、COP27はこのパンドラの箱ともいえる「ロス&ダメージ」の蓋をあけてしまった。これは「気候変動枠組条約」と「パリ協定」の行く末を左右する、大きな鬼門になるのかもしれない。