アラブの春における自由とは
書評: 飯山 陽 著『エジプトの空の下 わたしが見た「ふたつの革命」』
杉山 大志
キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹
(電気新聞より転載:2022年3月4日付)
著者は生まれたばかりのわずか1歳のお嬢さんを連れてエジプトに赴任。アラブの春を経験し、イスラム至上主義のムスリム同胞団による劣悪な統治と、そのクーデターによる崩壊を体験する。
お嬢さんはエジプトの言葉を完璧に覚えて現地のアイドルになる。大人はみなメロメロになり、道端の露店では駄菓子をくれたりバナナをくれたり。
そうかと思えばセクハラの嵐。女性の99%以上がセクハラ被害者だという。女性だけで歩いていれば、卑猥な言葉を言われたり、痴漢に遭うことはいつものこと。とにかく女性蔑視がひどい。イスラム法によれば女性の遺産相続は男性の半分、女性の証言も男性の半分しかない。男が女を扶養するのだから、当然だそうだ。
著者は女性であり異教徒であるという、二重の被差別対象として、数々の経験をした。ムスリム同胞団でイスラム教至上主義を指導している人々にインタビューにいくと、「お前は全身が恥部だ」と言われる。全身を覆う服を着ていないのは、男を誘惑し堕落させる悪魔だそうだ。インタビューはカメラの陰に身を隠して行われ、視線を合わせることも許されなかった。
自宅の前では、街路樹が倒れて下敷きになった人が事故死。町を歩いていると、上から角材が落ちてきて車のフロントガラスに命中。バルコニーが降ってきて、とっさに走って逃げて助かったなんてことも。日本なら責任追及で大騒ぎになるが、エジプトでは運命は神が決めるもの。死者が出ても「アラーは偉大なり」と唱えるばかり。日本人とはまるで死生観が違う。
アラブの春は、軍事独裁に反対し、西洋式の自由と民主を求めた運動だ、と日本では報道されてきた。だが違う、と筆者は指摘する。アラブの春以降、イスラム至上主義者が大手を振って活躍するようになった。彼らの自由とは、イスラムを信仰する自由であり、武力を使ってでもそれを世界に広める自由だ。オサマ・ビンラーディンは英雄で、イスラム国は理想郷だ。
イスラムの人々は日本人とは全く違う。完全にわかりあうことなど無い。だが違うなりに、政教は分離すべきという人もいる。お前は全身恥部だなどと言わない、ふつうに仲の良い友人も沢山できた。お互いを尊重できる友人ができることに、著者は将来の希望を見いだしている。
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『エジプトの空の下 わたしが見た「ふたつの革命」』
飯山 陽 著(出版社:晶文社)
ISBN-13:978-4794972811