政府が妨げるイノベーション

書評:マット・リドレー 著, 大田 直子 訳『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

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電気新聞からの転載:2021年4月23日付)

 産業革命は、短期間に起きた革命というよりは、ゆっくりした、漸進的な進化の過程だった。数世紀にわたり、水力紡績機や蒸気機関車に関連する技術は少しずつ、大勢の互いに見知らぬ人々の工夫が積み重なり、進歩していった。決してジェームスワットが彗星のごとく現れて無から蒸気機関を生み出したのではない。人々は英雄譚が好きで、フォードとかライト兄弟など、発明者の物語はよく知られている。確かに偉大な人物はいた。けれども、彼らは孤高の天才発明家というよりは、似たようなアイデアを持っていた多くの人が取り組んでいたことを、より一生懸命にやった人だった。エジソンは電球のフィラメントを6000種類も試し、ついに日本の竹を用いた電球に行き着いた。

 イノベーションに最も重要なのは、試行錯誤だ。新しいアイデアを試し失敗する自由が必要だ。シェールガスの採掘技術は、水圧破砕法という、水圧をかけて地層に割れ目を無数に作り出す方法の試行錯誤から生まれた。理論が先にあったのではない。むしろ理論的には馬鹿げていると冷笑されていたことを、向こう見ずな事業者があれこれ実験しているうちに良い方法を発見した。科学的理解は後からついてきた。大事だったのは、米国の制度だった。民間企業が広大な鉱区を所有し、その地下を自在に開発してビジネスで儲ける権利が守れらていた。クレージーなアイデアでも、試す自由、儲ける自由があった。

 イノベーションは、生物の進化と同様、自発的なプロセスであり、市場経済がある限り、限りなく進んでゆく。おかげで、人類は、長く健康に生きるようになり、多くの余暇を楽しみつつ、環境も保全できるようになった。将来は明るい。

 だがイノベーションが枯渇しつつある、という不吉な指摘がある。環境規制、特に予防原則の適用によって、試す自由、失敗する自由が失われているためだ。欧州では遺伝子組み換えに続いて遺伝子編集もほぼ禁止され、生命工学は米国に大きく後れをとっている。原子力が安く安全になり切れないのは、わずかな設計変更にも許認可が必要で、試行錯誤が出来なかったためだ。欧州の自動車メーカーや掃除機メーカーは、技術そのものを良くする以上に、政府にロビーをして規制を有利にすることに膨大な資源を割いている。政府はイノベーションを起こそうとするよりも、邪魔をしないことを考えたほうがよい。


※ 一般社団法人日本電気協会に無断で転載することを禁ず

『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』
マット・リドレー 著, 大田 直子 訳(出版社:NewsPicksパブリッシング)
ISBN-13:978-4910063157