ドイツの「環境至上主義」とロマン主義


ジャーナリスト

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 ドイツの脱原発が正念場を迎える。2021年末までに3基、2022年末までに3基を廃炉にし、これで福島第1原発事故(2011年)をきっかけに前倒しを決めたドイツの脱原発が完了する。
 ドイツのメディアやネットの世界では、脱原発後、大停電の恐れはないのか、といった電力の安定供給に関する議論が起きている。政府は十分な電力は確保できる、と発表しているが、かなり悲観的な観測がドイツのメディアでも報じられている。
 公共放送ARD(電子版)などによると、原発がなくなった翌年の2023年に電力の需給バランスが不安定になる可能性が高い。再生可能エネルギーを増やす切り札である洋上風力発電は、電気料金の高騰を恐れる政府が、一時期建設目標を引き下げたため、建設が滞った。他方、電気自動車の導入が進み、工場のエネルギー源として石炭が避けられていることなどから、電力需要は増大している。
 ARDが引用する「ブルームバークNFF」の分析によると、電力の供給予備率が23年には3%になることを予測している。3%は電力安定供給のぎりぎりの余剰であり、しかも平均値であることから、もっと余裕がなくなる状況も考えられる。
 ヨーロッパの電力網は相互につながっているから、一国内の電力需給の不安定化はヨーロッパ全域に影響を与える。日本では関心を集めなかったが、今年1月8日、ルーマニアで発生したと見られる電力供給の障害が原因で、ヨーロッパ全域で大停電の寸前まで行った。欧州議会でもヨーロッパの送電網の脆弱性が指摘された。
 23年冬は、ヨーロッパ全域での大停電の恐れが高まり、それまで原発が立地していたドイツ南部だけで停電が起きるなどの事態も考えられるという。予断を持って言うことはできないが、ドイツの政策が、ヨーロッパ全域の電力需給の不安定化に大きな影響を与えることになりそうである。 
 脱原発は電力の安定供給などを考慮した合理的な決定ではなく、福島第一原発事故をきっかけとした非合理的、倫理的な反感が背景にあるとの批判は当時からあった。他方、再生可能エネルギーで全ての電量がまかなえ、理想郷のようなエネルギーシステムができるとのイメージも広く流布されてきた。
 こうした楽観的見通しに乗ってこれまで脱原発政策は進められてきたのだが、ドイツの環境政策はなぜ理想主義的な決断に流れるのだろうか。ドイツの電力需給の現状などを見るにつけ、脱原発や再生可能エネルギー導入を、あらゆる政策課題に優先して実現しなければならないとする「環境至上主義」は一体どこから来るのだろうか、という問いから免れることができない。
 拙著『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(光文社、20155年)や、この欄でも「エネルギー転換の背後にあるドイツ人のロマン主義的性格」(2017年6月5日)の回でこのテーマを取り上げ、ドイツ人のロマン主義的性格が根本的な説明になるのでは、との考えを示した。
 9月26日に行われた下院選挙では緑の党が躍進した。政権与党となる可能性が高く、再生可能エネルギー導入の加速、脱化石燃料(脱炭素)の気候変動対策が一層強化されるだろう。ドイツの環境政策の一つの節目となりそうなこの時期に、再度、この「環境至上主義」とロマン主義の関連をテーマに取り上げるのにも意味があると思う。


2011年6月25日 ベルリンで行われた緑の党の党大会(筆者撮影)

 そもそもロマン主義とは何か。私にはその全体像を描く知識も能力もないが、ドイツ・ロマン主義に限るならば、フランス革命を準備した啓蒙思想に対抗し、感情や自然を重視するルソーの影響を受けて18世紀末に起きた思想運動である。
 産業化の基盤となった啓蒙思想が自然を分析や利用の対象としたのに対し、ロマン主義は自然そのものの中に生命力を見ようとした。ロマン主義絵画が、生命力を持つ激流や樹木などを好んでモチーフとして描いたのはその現れである。ドイツ・ロマン主義は本質的なところで自然と深い関係があり、理性に対する感性、合理主義に対する非合理主義、キリスト教に対する北欧神話などによって特徴付けられる。
 もう一つ、ロマン主義の本質に関わるのが、その政治的性格である。ロマン主義は地中海世界やフランスなどの「西側世界」に対抗するドイツの独自性の主張の面をもっていた。
 よく知られる概念が、西側世界のcivilizationに対するドイツ語のKulturである。Kulturという言葉には、対応する英語cultureとは違う、どこか深遠さが感じられるようである。
 ドイツ文化は西側世界の文化とは本質的に異なるのであり、浅薄、退廃、不純な西側文化に対し、ドイツ文化は深遠、健康、純粋な性格を持つとして、優越性を示そうとしたのである。英仏や地中海世界への劣等感の裏返しではあるが、ドイツ・ロマン主義は、本質的なところでドイツ・ナショナリズムとも深く結びついていた。
 以上がドイツ・ロマン主義のおおざっぱなまとめだが、ここではロマン主義は狭く芸術の潮流や思想運動に限定しないで、ドイツ人が広く持つ感性、ものの見方、行動様式を表す言葉として考えたい。確かに知識人によるロマン主義運動がドイツ人の国民性に影響したことはあっただろうが、むしろドイツの国民性がロマン主義を生み出した。言い換えれば、ドイツ文化、社会の本質や国民性を表すのにロマン主義ということばを使おう、ということである。
 参考にしたSafranskiの本によると、「ロマン主義的なもの」はドイツの中に連綿として存在している。ロマン主義的性格はドイツ特有ではないが、他国に比して強く刻印されているため、ドイツ文化=「ロマン主義的なもの」と見なされている、という。
 さてこうしたドイツ人のロマン主義的性格が、現在の「環境至上主義」にどう関わっているか、という問題である。
 ロマン主義の中心に自然へのある種の一体感があることに見られるように、ドイツ人の森林への愛着は強い。「森林ロマン主義」という言葉も関係する書籍には登場する。確かに森林に代表される自然が破壊されることに強い抵抗感があることは、素直に理解することができる。
 こうしたドイツ人のロマン主義的な性格が政治面で端的に表れたのが、緑の党の存在である。環境政党が政治においてこれほど大きな役割を果たしている国は、ヨーロッパ、あるいは世界を見回してもないだろう。
 緑の党の創成期は、故郷(ドイツ語でHeimat)や純粋なドイツの自然を守るといった愛国主義的思想を掲げる右派や保守派のグループが大きな勢力を占めていた。1960年代後半からの、「1968年世代(日本で言えば全共闘世代)」の学生が中心となった新左翼運動は、当初反原発運動に関心を示さなかった。新左翼が反原発運動に参加したのは、1975年、フランス国境の町ヴィールでの地元住民による原発建設反対運動が最初である。
 1979年6月の欧州議会選挙を前に、「緑」を冠した団体が結成されたが、そこに集まったのは右派、保守派グループが多かった。ただ、このグループが選挙で3.2%の得票を挙げたことから、新左翼運動がこの「緑」の政治運動への本格的な参入を図るようになる。
 新左翼の色彩が強い反原発運動や、右派が強い環境保護運動、さらに女性解放運動など様々な潮流が合わさって1980年に緑の党が結成された。ただ、次第に左派の力が増していき、反核運動(米国の中距離核ミサイルの欧州配備反対運動)も強化していった。1983年には、当時センセーショナルに報じられていた酸性雨による森林枯死問題を追い風に、5.6%の得票で下院に初進出した。
 その後、原理派(Fundi)と現実派(Realo)の対立など曲折を経ながら、緑の党の活動は、ドイツ社会のアウトサイダー的存在から、ドイツ社会に根付いた政治勢力となった。1998年には社会民主党(SPD)と連立を組んで政権与党となり、脱原発の道筋を付けた。
 2005年からの16年間のメルケル政権期は、ずっと野党に止まったが、近年の気候変動問題への国民の懸念を背景に、特に若者層の支持を集め、9月の総選挙で14.8%と過去最高の得票率を上げ、再び政権参加する可能性が高まっている。
 緑の党の主張の多くは、今やSPDのみならず、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の政策にも取り入れられた。福島第一原発事故を受けて脱原発に舵を切ったのはCDUのメルケル首相だった。今回の総選挙では、その結果次第ではCDU・CSUと緑の党の連立も十分可能性があると見られていた。脱原発や気候変動対策の加速化など環境政策の基本的な方向性は、CDU・CSU、緑の党、SPDとの間ではもはや大きな差異がない。
 ドイツ人のロマン主義的な自然との深い関係が、脱原発などの政治運動を生み、それがドイツ人の多数派のコンセンサスとなったのは不自然なことではない。
 同時に、ロマン主義が持つ非合理的な衝動が、ドイツの環境運動に原理主義的な危うさを与えて来たことも否定できない。理想主義的であることが同時に、観念的、自己中心的で、開かれた柔軟性を欠く危険性である。


2011年6月25日 ベルリンで行われた緑の党の党大会(筆者撮影)

 緑の党は欧州連合(EU)重視や開かれた国際主義を掲げてはいる。ただ、脱原発をフランスやポーランドなどの近隣諸国との協調なしに独断的に主張してきたことに見るように、左派政党とは言え自国中心的なところがある。そこには「西側世界」に対してドイツの独自性を顕示しようとするロマン主義のもっていた特性を引きずっているように感じられる。
 ドイツの環境政策に世界に適用しうる普遍性があると見ることは危険である。歴史的に振り返れば分かるように、特殊ドイツ的なやり方、現象と考えて、少し距離を置いてみるのが賢明だろう。ドイツの環境政策を、その実現可能性やコスト、あるいは電力の安定供給などの側面も含めて注意深く見なければならない。
 まず今行われているポスト・メルケルの新政権樹立に向けて、SPD、緑の党、自由民主党(FDP)の3党間で行われている連立交渉の行方を注視したい。緑の党と、経済界を代弁し市場原理を重視するFDPとの間でどのような環境政策で妥協ができるかが焦点である。

本稿執筆に当たり、Joachim Radkau, The Age of Ecology, Polity, 2014、Ruediger Safranski, Romantik, Eine deutsche Affaere, Fischer Taschenbuch Verlag, 2013、Peter Viereck, Metapolitics, From Wagener and the German Romantics to Hitler, Transaction Publishers, 2014、永井清彦『緑の党』(講談社、昭和58年)、井関正久『戦後ドイツの抗議運動』(岩波書店、2016年)、西尾幹二編『ドイツ文化の基底』(有斐閣、昭和57年)、伊坂青司・原田哲史編『ドイツ・ロマン主義研究』(御茶の水書房、2007年)を参照した。