平成のダイオキシン空騒ぎは、現在の気候変動危機騒ぎと瓜二つ!


科学ジャーナリスト/メディアチェック集団「食品安全情報ネットワーク」共同代表

印刷用ページ

 自民党政権の今後を占う衆議院選挙。どの野党も「消費税を下げます」「10万円の給付金を出します」などと聞こえのよい美しきスローガンを放つ。この種の声は選挙のたびに聞くが、「世界に通用する日本の産業を育てましょう」とか「テクノロジーをもっと発展させましょう」といった企業の活性化を訴える声はほとんど聞かない。かつては世界第2位を誇った日本の1人当たりの所得はいまや韓国にも抜かれ、20台位をうろちょろしている。その背景にあるのは何だろうか。約30年前のダイオキシン騒動から続く“産業軽視の空気”なのではないだろうか。
 そもそも新聞やテレビのメディアでは「産業を育てよう」という呼びかけ自体が否定的に語られる(報じられる)傾向が昔からある。私が取材でカバーしてきた遺伝子組み換え作物やゲノム編集作物で「日本にも健全な形で遺伝子組み換え作物に関する産業(先進農業)を育成しなければならい」と言おうものなら、リベラル派人間から「あなたは企業寄りの人間ですか。命よりも経済を優先するのですか」と何度か言われたのを思い出す。リベラル派が強いメディアで「企業寄り」や「政府寄り」のレッテルを張られると、その人のイメージダウンは必至である。
 このことから分かるように、何か問題が発生したときに、メディアから喝さいを受けるのは「経済よりも命が大事です。効率性よりも平等が大切です。悪いのは企業、そして資本主義です」という物言いである。そういう風潮は昔からあったが、特にその種のスローガンが人気を博したのは平成30年時代の特徴だったように思う。
 そのことは私個人の体験からも言える。1999年に「化学物質の逆襲 汚染される人体・環境・地球」という本が世に出た。私をはじめ7人が執筆した本である。当時の私はダイオキシンをはじめとする環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)の危険性を訴える側にいた。その本の冒頭に編者がこう書いている。

 「便利さや効率性を追い求める経済活動優先によって、環境ホルモン汚染は日本国内だけなく、地球的な規模で大きな問題となっている。このままでは人類を含めた生物は永続的に生きながらえることが困難となっている。自立神経失調症、不定愁訴、更年期障害などの疾病の大半がもしかしたら化学物質による影響なのではないか・・・」(筆者で要約)

 いま叫ばれている「地球温暖化や気候変動危機で人類や地球が危ない」という物言いとそっくりである。

ダイオキシン類の排出は激減

 平成初めの当時、子供たちの多動、自閉症、学習障害、キレる行動、男性の精子の減少、カエルの奇形、卵巣をもったオスの魚など、さまざまな異常現象の原因がダイオキシンをはじめとする合成化学物質とされていた。いまなら、異常な気象災害がすべて温暖化や気候変動危機のせいにされているのと同じだ。
 この種の異常な空気はいったん螺旋階段をかけ上り始めると、もはや止めようがなく、冷静であるはずの政府も異常な空気の嵐に巻き込まれてしまう。当時、政府はダイオキシン類対策特別措置法(1999年)を制定し、焼却場をはじめ、あらゆるところでダイオキシン類を削減する行動に出た。その効果は絶大であった。
 ダイオキシン類の排出量は1997年には年間約8000g-TEQ(TEQは、毒性の最も強い2,3,7,8-TCDDの毒性を1とした場合の29種類のダイオキシン類の毒性の総量)だったが、なんと5年後には10分の1以下に減った。その後も減り続け、2009年からは同100g程度に低下した状態が続いている。
 ダイオキシンの摂取源の大半は魚介類を中心とする食事だが、その食事からのダイオキシン類摂取量も年々下がり、1999年当時に比べて、4分の1以下になった。
 つまり、この20年余りでダイオキシン類の排出量は激減した。

ダイオキシンに代わる犯人が登場

 ところが、子供たちの自閉症や注意欠陥多動性障害、学習障害をはじめとする発達障害児の報告数は1990年代から一貫して増えており、下げる傾向はない。文部科学省の調査(「平成30年度 通級による指導実施状況調査結果」によると、これらの障害児童生徒数(小・中・高校)は1998年には約24000人だったが、20年後の2018年には約5倍の約12万3000人に増えた。前年に比べて減った年はない。
 つまり、ダイオキシン類は急激に減っていったのに、子供たちの障害報告数は一貫して増え続けているのである。どうやらダイオキシン類を犯人に仕立てあげることはもはや難しくなってきたと言ってよい。
 では、ダイオキシン騒動から20年以上がたったいま、何が犯人とされているだろうか。ネットも含めたメディア空間を見ると、世界で最も安全な農薬といってよい除草剤のグリホサートやネオニコチノイド系農薬、遺伝子組み換え作物、食品添加物、ワクチンなどが標的になっている。遺伝子組み換え作物が普及し始めたのは1996年からだ。ダイオキシン類が騒がれたころは、まだ標的とされるほど普及していなかった。
 こうしてみると、何か特定のモノを犯人に祭り上げる空気の構図は変わっていないが、攻撃の対象となる悪役は時代によってくるくる変わる。ただし、命を脅かす原因を工業活動に伴う産物や工業文明(広い意味で資本主義)に求めることは共通している。
 おそらくダイオキシン類の削減に数千億円の税金が費やされただろう。だが、何かの面で人への健康リスクが下がったという証拠は何一つない。
 電気自動車を普及させたり、石炭火力を廃止させたりする動きを見ていると、温暖化対策にもダイオキシン騒動と似た非合理な感情的要素があるように思う。日本の経済が世界から大きく取り残された平成の30年間は、「経済よりも命」という美しきスローガンが幅を利かせた時代だったのではないか。こういう言論空間の浅薄な思想を変えない限り、経済の活性化は望めない。「雇用をつくり、所得を増やす産業の育成・活性化こそが人々の命や生活を守るのだ」という思想の浸透を政治家に期待したい(この論考は私個人の意見であり、私の属する組織とは関係ありません)。