寿都の資源と環境と人の歴史

書評: 山本竜也 編著『寿都歴史写真集・続寿都歴史写真集』


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

印刷用ページ

電気新聞からの転載:2021年9月3日付)

 寿都に行きたいと思ったのは、放射性廃棄物処分場の文献調査に立候補したからだ。子どもの頃から同地の飯寿司のファンでよく食べていたけれど、どんな場所か知らなかった。

 札幌から2時間半。小樽、余市から積丹半島を巡って行く。ここまでは名高い観光コース。ウニ丼イクラ丼の看板が並ぶ。奇岩がそそり立つ景勝地神威岬は圧巻だ。

 岬を過ぎると人はまばらになり、断崖をくりぬいたトンネルまたトンネルとなる。その隙間に集落がある。昔は隣の集落に行くにも大変だっただろう。やはり文献調査に手を挙げた神恵内、原子力発電所のある泊を抜けて、ようやく寿都に入る。

 現職20年の片岡町長に面会頂いた。いざとなると皆尻込みをする処分場の話に手を挙げた方に興味があった。「国として必要だから一石を投じたい」ということをもちろん第一に挙げられた。けれどそれ以上に圧倒されたのは、町長がまるで商社の社長のように町の経営を熱く語ったことだった。

 20年前に町長に就任された時には、町は財政破綻寸前で、初めに手を付けたのは職員の給与削減だった。その後は赤字経営だった病院を統合するなどして黒字化し、風力発電を誘致して町の財源にした。ふるさと納税制度では、水産加工品を返礼品として積極的に広報した結果、昨年は15億円に迫る寄付金を集めたという。

 さてこの写真集。寿都の産業と環境と人々の歴史がリアルに迫る。寿都はかつて足の踏み場もないほどニシンがとれ、日本各地からの出稼ぎであふれた。人々は身欠きニシンや肥料に加工した。地元の事業者も投資して断崖をくりぬく道路を造り、また寿都鉄道を建設してSLで函館本線までのデリバリーを確保した。明治時代には刺し網から建て網へとイノベーションが起きて漁獲量は一気に増え、町は好況に沸いた。だが乱獲により大正時代に入るとニシンはとれなくなった。定置網は続けられ昭和28年には見渡す限りブリが並ぶ伝説的大漁があり、網元は北海道の納税長者番付トップになった。だがこれもやがてとれなくなり、現在はカキの養殖や、サケなどの水産加工が主になっている。

 片岡町長は廃棄物処分も町の経営を支える柱になる可能性ありとして、ポートフォリオに組み込んでいる。資源・環境を利用し、時に翻弄されつつも、様々な事業で経済を発展させてきた寿都の魂を引き継いでおられると見た。


※ 一般社団法人日本電気協会に無断で転載することを禁ず

『寿都歴史写真集・続寿都歴史写真集』
山本竜也 編著(出版社:書肆山住)
ISBN-13:978-4909144157/978-4909144423