日本の削減目標引き上げ:失敗の歴史を繰り返すのか


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 4月16日、菅総理がバイデン大統領と初の日米首脳会談を行った。強固な日米同盟の確認、中国の覇権拡大に対抗した台湾海峡の安全保障の重視等を明記した共同声明と併せ、バイデン政権が重視する気候変動問題については日米パートナーシップを結び、水素、CCUS、原子力等の技術協力、途上国支援等への取り組みが盛り込まれた。菅首相は22日に米が主催する「気候変動サミット」までに2030年▲26%に代わる新目標を公表する方向で検討するという。日本政府は45%減を軸に調整しているが、報道によれば、米側はそれを上回る50%減を強く迫っているという。

 中国の脅威がかつてないほど高まっている中で日米同盟の強化は極めて重要である。その一環として気候変動問題における日米協力を進めることも歓迎したい。

 他方、削減目標の大幅引き上げに関しては、かつて気候変動交渉を戦ってきた身として、日本が嘗て犯した2つの過ちを思い出し、「ああ、日本はまたあれを繰り返すのか」と重苦しい気持ちになった。

 第1の失敗は1997年の京都議定書交渉時のことである。当時、日本はこれまでの省エネの進展を考えれば第1約束期間の目標値は90年比▲0.5%程度がぎりぎりだとの方針で交渉を行っていた。しかし「京都会議を成功させるためには日本の目標引き上げが不可欠である」として日本に目標引き上げを強く迫ったのは米国代表団を率いていたゴア副大統領であった。その結果、日本は詳細ルールも決まっていない森林吸収厳、京都メカニズムを目いっぱい盛り込んで▲6%目標を積み上げ、それが日本の法的拘束力ある目標になった。東西ドイツ統合効果と英国のガス転換により、寝転がっても90年比▲8%目標達成が可能なEUやそもそも削減目標のない途上国は、森林吸収厳や京都メカニズムの算定について制限的なルールを主張し、目標達成のためにこれらが不可欠な日本は散々苦しめられた。日本に目標引き上げを迫った米国は、ブッシュ政権が誕生するとさっさと京都議定書から離脱してしまった。後に残された日本は国内削減だけではとても6%削減目標を達成できず、官民ともに大量の京都クレジットを購入することになり、海外に流れた国富は1兆円を超えることとなった。

 第2の失敗は2009年の2020年中期目標設定時である。麻生政権の下では京都議定書の苦い経験を踏まえ、中期目標検討委員会を設け、日本の削減コストが欧米に比して衡平なものであることを確保すべく、限界削減費用、削減コストのGDP比等、様々な指標を用いて削減目標のオプションを評価し、最終的に2005年比▲15%(90年比▲8%)を2020年目標とした。しかし2009年夏の総選挙によって民主党政権が誕生すると鳩山内閣はこうした検討を全く行うことなく、90年比▲25%目標を対外表明した。90年比▲8%を一気に三倍以上深掘りするものであった。「全ての主要国が参加する公平で実効ある枠組みと野心的な目標の合意」を前提条件としたものの、他国は日本の大幅目標引きあげに拍手喝さいはしても、日本に追随して目標を引き上げる国は一か国もなかった。鳩山目標と辻褄を合わせるため、第3次エネルギー基本計画では原子力の総発電電力量に占めるシェアを5割まで引き上げるエネルギーミックスを策定した。福島第一原発事故以後、「原発に過度に依存したエネルギーミックス」として批判の的になったが、もとはといえばフィージビリティの精査を行わずに公表された鳩山目標が原因であった。

 そして今回の目標引き上げである。最終的な数字が▲45%なのか▲50%なのか、いずれにせよ、そのマグニチュードは上記の2つの事例と比較にならないほど大きい。▲26%目標はエネルギー自給率を震災前の水準まで戻す、電力コストを今よりも引き下げる、諸外国に遜色のない目標を出すという3つの要請を満たすエネルギーミックスに裏打ちされたものであった。それに対して今回の目標引き上げは第6次エネルギー基本計画の見直しに先行して行われるものであり、その根拠は「米国主催の気候サミットまでに数字を出さねばならない。米国は2005年比▲50%を出す構えである。EUは既に90年比▲55%を出している。だから日本もそれに近い数字を出さねばならない」という数字の横並びの発想である。

 フィージビリティを踏まえたエネルギーミックスに裏付けられていない背のびした数字という点では京都目標、鳩山目標と同じだ。いや、「原子力依存度をできるだけ低下する」との方針に縛られ、原子力の新増設はおろか、再稼働も足踏みしている現状は、原子力利用に制約がなかった京都目標、鳩山目標の時期よりも更に地合いが悪い。目標引き上げは専ら太陽光、洋上風力等の再エネ目標の積み上げに依存せざるを得ない。日本の洋上風力は夏の風況が悪いため、欧州に比して割高になる。太陽光パネルコストは低下しているとはいえ、条件のよい土地の開発は既に相当進んだ結果、土地、接続費用を含むコストは下げ止まりだ。変動性再エネのシェア拡大に伴い、統合コストも拡大する。このため、目標の大幅引き上げによる電力料金の上昇は不可避であろう。それが日本の製造業、経済に与える影響をどうするのだろうか。

 「カーボンニュートラル祭り」に参加し、2050年ネットゼロエミッション宣言を表明した時点で2030年目標の引き上げを迫られることは予想されたことではあった。しかし近隣国と連係線を有さず、原発の再稼働は思うに任せず、国土条件から再エネが割高な日本にとって、革新的技術の最大限の導入を前提とした2050年ネットゼロエミッション目標から直線でバックキャストして2030年目標を引き上げることは欧米に比して格段にハードルが高い。横並びの数字にこだわった今回の目標引き上げは、日本の製造業に大きな負担を課し、菅首相のいう「環境と経済の好循環」に逆行する恐れが高い。

 こうしたリスクを少しでも下げるためには以下の3点が重要である。

 第1に2030年に向け、最も費用対効果の高い温室効果ガス削減策である原発再稼働を加速させることである。再稼働が遅れ、その分を再エネで賄うことになれば、ただでさえ目標引き上げで上昇する電力コストを更に押し上げることになる。そのためには適合性審査を加速させるとともに、安全性が確認された原発については政府が前面に立って地元に対して再稼働への同意を働きかけるべきだ。2030年以降も2050年カーボンニュートラルに向けた困難な道程が続く。既存原発をできるだけ長く使うためにも、適合性検査の遅れによる停止期間を40年運転期間から除外し、「40年運転、1回限り20年までの延長」という他国に例のない不合理な制限は撤廃すべきだ。加えて安全性の高い新型炉による既存原発のリプレースもスコープに入れるべきだ。温暖化防止のためには使えるオプションは全て使うべきであり、エネルギーセキュリティ、経済効率性双方の観点から、国産技術である原子力を活用しないことは不合理である。原発をフェーズアウトし、再エネで代替すればよいという議論は非化石電源のシェアの食い合いであり、無意味かつ愚かでしかない。温暖化防止を至高の価値とする脱炭素原理主義はそれ自体有害であると思うが、それに再エネ原理主義、反原発原理主義が加われば、日本経済の自爆につながるのみである。

 第2に2030年まで、更には2030年以降もカーボンニュートラルに向かう道程において日本のエネルギーコスト、温暖化対策コストと米国、EU、中国等の主要貿易パートナーのエネルギーコスト、温暖化対策コストを定期的に比較・レビューし、日本のコストがバランスを失して上昇した場合、目標水準や達成方法の見直しを含むフレキシビリティを確保しておくことである。欧米が2030年目標実現に向かってどこまで一直線に進むのか見極めが必要だ。米国が気候サミットで公表する数字は確固たる国内政策の裏付けのない気合の数字である。全米規模の排出量取引や炭素税等の新法導入は当面想定されない。2年後の中間選挙を考えれば、エネルギーコストの大幅上昇を強いることも難しい。将来、政権交代があればブッシュ政権の京都議定書離脱、トランプ政権のパリ協定離脱と同様、「米国から梯子を外される」可能性もある。欧州においてもドイツはコロナによる棚ぼた的なCO2排出削減があるまでは「2020年▲40%目標達成は不可能」と白旗をあげていた。フランスでは炭素税引き上げに対するイエローベストの反発の前例もある。国境調整措置がEUのレベルプレイングフィールド確保にどの程度実効性があるかも未知数だ。

 第3に温暖化対策コストが上昇する中で産業部門と家庭部門の負担分担を真剣に考えることだ。ドイツでは産業競争力、雇用防衛のため、エネルギー多消費産業は電気税、再エネ賦課金、洋上風力系統費用等、様々の減免措置をうけており、これら産業が現実に負担している電力料金は日本のエネルギー多消費産業が負担している電力料金の3分の1程度でしかない。その分を家庭部門が余計に負担している。これは政治的に不人気な政策であろう。しかし産業競争力、雇用を維持しようとすれば、避けて通るわけにはいかない。削減目標の大幅引き上げとはそういう覚悟を求めることでもある。「国際的に良い格好をして事足れり」では困るのである。

 それにしてもパーセンテージの削減数値の横並びを重視する発想は、京都議定書時代の頃のナンバーゲームそのものである。「歴史は繰り返す」というが、過去の苦い教訓から学ぶことはできないものなのだろうか。