「坂の上の雲」を目指して
-「2050年カーボンニュートラル」にむけて-
小谷 勝彦
国際環境経済研究所理事長
国際環境経済研究所(IEEI)設立10周年
今年は、私ども研究所設立10年の節目の年です。
「環境と経済の両立」を目指して、「第一線の企業人こそ環境メッセージを発信すべきだ」
と2011年に皆さんに呼びかけて以来、執筆者は企業、大学、官庁、マスコミ等で170人にのぼり、温暖化を中心に論考は2000本近くになります。多くの読者のサポートに感謝します。
温暖化問題では、「環境は経済に優先すべき」という「二項対立」論を主張される方がおられますが、私たちは、温暖化はエネルギー問題であり、経済発展や産業競争とバランスの取れた議論をすべきだと考えています。
2050年カーボンニュートラル
昨年10月、菅首相は「2050年カーボンニュートラルを目指す」と表明されました。
これを受けて、経団連の「2050カーボンニュートラル(Society 5.0 with Carbon Neutral)実現に向けて」をはじめ、産業界は長期的課題として技術革新に取り組もうとしています。
しかし、これは容易な挑戦ではありません。
エネルギー供給面では、電力の再生エネルギーや原子力に加えて、水素・アンモニア火力、化石火力+CCUSという選択肢が示され、需要面でも、運輸における内燃機関から電動化等のオルターナティブが提起されています。
一方、製造業においては、地球資源である鉄鉱石の還元にカーボンを使う鉄鋼や、炭酸カルシウムを原料とし製造過程でCO2が不可避的に発生するセメント、化学製品の原料として石油由来のナフサを使う石油化学など、確立した工業プロセスにおいて、脱炭素の「代替性」が難しい「非エネルギー分野」があります。
例えば、鉄鋼業において、カーボンの代わりに吸熱反応の水素還元が期待されていますが、水素還元は、世界中で未確立の技術であり、原子力や再エネで作るCO2フリーの水素を大量かつ競争力ある価格で鉄鋼コンビナートに供給できるか等、多くの課題を抱えるとともに、ビジネスとしてもアジアの「コンベンショナル技術でコスト優位な競争者」に打ち勝たねばなりません。
「坂の上の雲」をめざして
日本経済は、GDPの3割を占めるグローバル企業が、輸出や海外生産で外貨を稼ぎ、食料や原燃料の輸入を賄っています。
EUのグリーン戦略は、日本の優れた自動車のHV技術を排除するなど、産業競争の様相を呈しています。日本経済の屋台骨を支えてきた「モノ作り産業」が競争力を失うことなく、カーボンニュートラルを実現するには、「国家としての産業政策」が求められます。
このための切り札としてグリーンイノベーションが期待されています。
しかし、かつてサンシャイン計画で産官学挙げて開発した太陽光発電技術が、コモデティー段階で低価格の中国勢に席巻された轍を踏んではなりません。
政策面でも、政府の再エネ電力固定価格買取制度(FIT)は当初の高価格買取が20年続く制度設計で、一部の事業者に「クリーム・スキミング」型の参入を認めた半面、国民に累積数十兆円にのぼるFIT賦課金の負担を押し付ける結果になってしまいました。
ハーバード大のマイケル・ポーター教授は、高い数値目標に向けたブレークスルーを目指すには、政府が短期間で細かい介入を繰り返すのではなく、十分な移行期間(トランジション)を確保することが必須だと言われています。
企業は競争力ある既存技術・設備で開発原資を確保しながら、長期的視点で次世代の技術革新、設備投資を実現することが大切です。
これに対して、「2050年では遅い、1.5度達成にむけて2030年目標を上乗せしろ」という意見がありますが、ブレークスルーは、リニアで進むのではなく非連続であり、10年、20年単位の研究者・技術者の血のにじむ開発にかかっています。紙の上の議論ではなく、息長いグリーンイノベーションを期待しましょう。
また、審議会の議論で、一部の委員が「2050年カーボンニュートラルが達成された後の姿はどうなるの?」とあたかも既に実現したような発言を目にしました。
さらに、環境大臣は「2050年カーボンニュートラル目標を法律に規定する」と言われていますが、30年先に向かって目指すべき目標(Goal)に「法的拘束力」を持たせるのはおかしい。
チャレンジする企業を、場合によっては鞭打ち、金融からもDivestされることを危惧します。
2015年のパリ協定でも、「協定に法的拘束力を持たせるか」議論になりました。日本は反対し、オバマ政権のKelly国務長官(バイデン政権でも気候問題担当の外交を担う)も ”We can’t have a legally Binding Agreement” と否定し、法的拘束力を課さない協定にしたことを忘れてしまったのでしょうか。
われわれは、これから向かう長く険しい道の「坂の上の雲」を仰ぎ見、スタートを切ったばかりです。
カーボンプライシングで企業に税負担を課す「北風政策」ではなく、ブレークスルーに挑戦する企業家精神を応援する「太陽政策」を考えて貰いたい。
「出羽守」でなく、自分の頭で考えよう
新聞論調で気になるのは、「EUでは日本より進んでいる」と「他国では」を連呼する、所謂「出羽守」が多い点です。
EUは、グリーン分野の金融、タクソノミーなどのグローバル・スタンダードを握り、これを武器にかれらの土俵で競争を仕掛けています。従来からもISOなどの規格化を駆使する戦略がありましたが、「欧州では」と連日のようにメディアに煽られ、不安になってはなりません。
ヨーロッパは、各国間に電力系統網が張り巡らされ、ドイツが原発を止めてもフランスから原子力の電気を調達でき、ロシアとはガスパイプライン網が直結しています。わが国は、孤立した島国であり、エネルギー安全保障は自らの責任で構築しなければなりません。
かつて1997年の京都議定書策定時、EUはベルリンの壁が崩壊した翌年、1990年を基準年として主張しましたが、旧式設備の東独を統合し温暖化ガスの大幅削減を既に達成していたドイツの実績がベースにありました。
今回も、自国の自動車産業を持たない英国が電動化前倒しを主張していますが、各国のリアル・ポリテックスを肝に銘じ、「自分の頭」で考えることが肝要です。
昨年11月、衆参両院で「気候非常事態宣言」が、ほとんど満場一致で採択されました。
国家の総力を挙げてカーボンニュートラルに邁進しようという決意ですが、「熱い想いと冷静な頭脳」を持って欲しい。
11世紀末から200年にわたり、バチカンが掲げる「聖地奪回」に熱狂したヨーロッパ十字軍遠征のさなか、「まずベネチア国民、次いでキリスト教者であること」をモットーに、異教徒とも交易したべネチア共和国のしたたかを学びたいものです。(「海の都の物語」(塩野七生))
最後に
今年は、東北震災10周年にも当たります。
福島原発事故後も、原子力を含めたエネルギー政策に精力的に意見を述べておられましたが、残念にも2016年に亡くなったIEEI前所長の故・澤昭裕さんの遺稿「私の提言-総集編-」で締めくくりたいと思います。もう一度、目を通していただければ幸甚です。