原発政策で期待する科学的議論
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
(産経新聞「正論」からの転載:2020年10月29日付)
原子力政策のアキレス腱といわれる、放射性廃棄物の最終処分地の問題に大きな動きがあった。処分地選定の最初の一歩である文献調査を、北海道の2自治体が受け入れたのだ。
放射性廃棄物処分の問題については、自民党政権の下で少しずつ進展してきた。2015(平成27)年に基本方針が改定され、可逆性(引き返せること)や回収可能性(一旦埋設処分しても回収できる)を担保して将来世代に一定の選択肢を残しつつも、現世代の責任で解決を目指す姿勢が示された。2017年には火山や断層等の状況を踏まえた科学的特性マップが提示された。文献調査は、最終処分地を決定づけるものではないが、この課題が科学的かつ現実的に議論される大きな一歩であることは間違いない。
なぜ解決が難しいのか
放射性廃棄物の最終処分地選定の問題は、原子力政策の中でも最も難関とされてきた。高レベル放射性廃棄物は、多量の放射性物質を含むとはいえ、発電中の燃料とは異なり、ガラス固化され物質的には安定したものだ。技術的には地層処分することが妥当という結論が国際社会でも共有されている。しかしなぜ議論はこれほど進まなかったのだろうか。
一つは、処分場は必要だがわが家の裏は困るというNIMBY(Not In My Back Yard)問題に向き合うのはごく限られた自治体だということだ。わが国の最終処分地として必要な敷地面積は、地上施設で約1~2平方キロメートル程度、地下施設で約6~10平方キロメートル程度と見込まれる。原子力発電所は各地にあるが、処分地は将来的に1カ所程度に絞りこまれる。自治体としては孤独な判断を迫られる。
加えて、最終処分の問題が差し迫った課題ではなかったこともある。再処理してガラス固化体になり、それを一定程度温度が下がるまで保管するので、最終処分までには数十年の時間的猶予がある。官民連携の下で原子力発電事業を進めてきたわが国では、廃棄物処分についても民間事業者に主体的な役割が期待され、この問題で政治的アセット(財産)をすり減らすことは避けたいという思惑が働きやすい仕組みでもあった。
先送りは政治の怠慢だ
しかしわが国が原発の利用を開始して既に約半世紀がたつ。先送りは脱しなければならない。さらに菅義偉政権は2050年には温室効果ガスの排出を実質ゼロにするという非常に野心的な目標を掲げた。原発を排除して現実解を描くことは難しい。わが国における再生可能エネルギー適地の少なさや、2050年まで30年という時間軸を考えれば、ハイブリッドのエネルギー供給を前提とせざるを得ないだろう。温暖化対策の観点からも原子力政策のボトルネック解消は喫緊の課題だ。
文献調査を含め、法定調査全体で約20年を要するとされる。腰を据えた科学的議論、徹底した情報開示、そして明確な意思決定プロセスを心がけてほしい。
場当たり的では解決遠のく
科学的議論に拠らず場当たり的な対処では、解決がより難しくなることは、東京電力福島第1原発の処理水問題で既に経験済みだ。問題となっているトリチウム(三重水素)は自然界でも生成され、水蒸気や雨水、人間の体内にも存在する。運転中の原発からは希釈して放出されているが、福島では長年タンクを増設し溜め続けてきた。一旦溜めたものを放出するとなると、国民の不安や不信はより大きくなる。
もちろん地元の方には不安や、なぜいつまでも福島がこの問題で苦しまねばならないのかというやるせなさもあるだろう。丁寧な説明が必要であることは言うまでもない。しかし、いつまでも決まらない状態に置かれるしんどさもまた、地元の方を苦しめている。科学的議論と情報開示の徹底が大前提ではあるが、事前に合意された意思決定プロセスに則り、決断・実行していくことが重要だろう。
多くの原子力発電利用国が最終処分問題に頭を悩ませているが、既に建設が進むフィンランド、処分地を決定したスウェーデンなどの事例もある。以前処分地として選定されたフィンランドのエウラヨキ自治体関係者と議論したなかで印象的だったのは、国際的にも関心の高いこの問題を解決することで、国内外から質の高い人材を集めることが可能になり、自治体の発展が期待できるといった前向きな声であった。もちろんこうした声がすべてではないだろうが、学ぶべきことは多い。昨年6月のG20エネルギー環境大臣会合を機に「最終処分国際ラウンドテーブル」も創設されており、わが国の貢献も期待されている。
前回本欄(9月21日付)において、「地味に見える課題に、地道に取り組むことを新政権の真骨頂として」と書いた。放射性廃棄物の最終処分地選定は地味な課題の最たるものだが、原子力発電の恩恵を得て発展してきた現世代として、解決への意欲を明確にすることを菅政権には期待したい。