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汽水の匂いに包まれて(その3)


NPO法人 森は海の恋人 理事長


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前回:汽水の匂いに包まれて(その2)

 気仙沼湾に注ぐ大川源流の岩手県室根村と、私たちが暮らす宮城県舞根地区は千三百年も続く伝統的な祭りで繋がっています。
 室根神社の大祭が行われる前は、舞根地区の漁民は海から室根山が見える海域まで船を出し海水を汲みます。それを神社に届ける「御潮役」という役目を与えられていました。その潮で神社本体を清め、大祭が始まるのです。
 元々、室根山は漁民にとって命を預ける山でした。一昔前まで、海で自分の船の位置を確認する方法は「山測り」でした。海から見える三方の山の形を見て、船の位置を知るのです。室根山は、その特異な形から山測りの基点となる山なのです。また、山にかかる雲の形や、山頂の雪の飛び方などから天気の予測もしていました。
 その山が、気仙沼湾に注ぐ大川の源流であり、そこに落葉広葉樹の漁民の森をつくるというコンセプトは深い意味があります。長老格のSさんはそのことを見抜いていたのです。


室根山山頂から眺めた気仙沼湾 画像提供:PIXTA

 室根村の同意がなければ計画は一歩も進みません。私は翌日、室根村役場に通され、加藤村長と直接お会いする機会を得たのです。
 唐桑町の舞根から来たことを伝えると「舞根さんですか」、と柔和な笑顔が返ってきたので、ホッとしました。
 私はまず、室根山から発する大川の河川水が気仙沼湾に注ぎ、沿岸の漁民の生活を支えていることを説明し、森を守っている室根村の民に感謝の気持ちを伝えました。すると村長は「今まで下流の人たちからは、川を汚すな、という声だけしか聞こえてこなかった。下流の、しかも、海の民から感謝の言葉を聞くとは、こんなに嬉しいことはない」と手を握ってくれたのです。
 そして、室根山八合目の海が見える「見晴らし広場」という場所を植樹地に貸してくれたのでした。


NPO法人 森は海の恋人 植樹祭の様子

 こうして、漁民による森づくりへの機運は高まっていきました。
 「ところで、ことを起こすときは、スローガンが必要じゃないの?」、という声が上がりました。
 そして、「あんたが言い出しっぺなんだから、何かかんがえてけらいんや」とお鉢が回ってきたのです。
 でも私はそれまで、カキやホタテの養殖業一筋でやってきたますので、そういう分野は苦手中の苦手だったのです。
 明けても暮れても、何か良い言葉はないものか、と思案に暮れる日々が続きました。仕事をしている方が断然楽です。
 私がやっとの思いで考え付いたスローガンは、「ワカメもカキも森の恵み」。
 どうだとばかりに仲間に披露すると「わかりやすいけども色気が無いな」と酷評されました。
 色気がないとは、人の心を震わせないということを意味しています。
 ことを起こすとき、良いスローガンができれば八割は成功だということは知っていました。
 ワカメもカキも・・・では、確かに士気が上がりません。
 そんなとき、大川の中流域に住む叔父が、いつも自慢げに語っていたことを思い出していました。
 気仙沼和遠洋漁業が盛んになった戦後に海辺の方が発展し、経済的な主導権も海辺に集中したが、昔は大川中流域の新月村の方が豊かだった。特に、文化的な面では、歌人、画家、書家などは今でも、おらほ(私たちの方)の人たちが断然上だ、というのです。何と言っても、明治から昭和にかけて、全国的に評価が高かった歌人の熊谷武雄は、おらほんお出身だからね、と胸を張るのでした。
 歌人と聞いて私はハッとしました。言葉選びにはその道のプロがいるのだ。歌人に相談するのが早道だと気が付いたのです。
 熊谷武雄の歌碑がある宝鏡寺の境内に案内してもらいました。そこにはこう記されていたのです。
 「手長野に木々はあれどもたらちねの ははそのかげは拠るにしたしき」
 ははそは漢字で「柞」。ナラやクヌギの古語、つまり落葉広葉樹ということです。手長山には様々な木があるが、ははその森に入るとお母さんの側にいるようで心が安らぎます、といったニュアンスです。落葉広葉樹の森は、自然界の母と表現しているのです。
 武雄の孫、熊谷龍子さんに漁民の想いを伝えると、次のような歌が生まれたのです。
 「森は海を海は森を恋ながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」
 この歌の中から「森は海の恋人」というスローガンが誕生したのです。



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