新型コロナウィルスと地球温暖化問題(2)
-楽観主義者と悲観主義者の観方-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
イエール大学森林環境学部のサイトであるYale Environment 360 にフレッド・ピアースによる「コロナウィルス後:2つの大きく乖離した気候経路(After the Coronavirus Two Sharply Divergent Paths on Climate)という論考が出た注1) 。コロナと温暖化問題の関わりについての2つの考え方を要領よくまとめたものであるため、ここに紹介したい。
欧米諸国も日本も未だコロナ禍の渦中にあるが、「コロナ後の世界」において温暖化との戦いはどうなるのか?」ピアースは楽観主義者と悲観主義者の観方があるという。
楽観主義者は「政策的にはパンデミックも気候変動もイノベーションと科学を必要とし、国際協力を必要とするという点で瓜二つの問題」というビル・ゲイツの考え方を支持している。彼らはコロナによる急激な生活変化は相互支援の重要性を人びとに再認識させ、政策担当者に将来のリスクに対する予防的対応の重要性や最悪の事態に関する専門家の警告に耳を傾け、将来のリスクに対する予防的対応をとることの重要性を痛感させたと説く。また楽観主義者は政府がロックダウンの実施であれ、ゼロエミッションへの移行であれ、政府が共通の利益のために強力な力と義務を有していると考える。UCLのマーク・マスリン教授は「我々の生活を政府が支配することが広く受け入れられたことを利用し、国やグリーバル経済をサステナブルな方向にシフトさせていかねばならない」と述べる注2) 。彼らは「コロナ危機はサステナブルな方向への投資を促進する歴史的な機会である。G20諸国は経済封鎖に際して既に5兆ドルもの経済対策を講じている。クリーンエネルギーをその中核にすべきである」とのビロルIEA事務局長のコメント注3) に勇気付けられている。オスロ国際気候研究調査センターのグレン・ペータースは「計画よろしきを得れば2020年が全球排出量のピーク年になる可能性がある」と述べる注4) 。市場関係者の中には「原油価格の低下により化石燃料投資のリスクが高まる一方、低炭素投資は魅力的な選択肢であり続ける。コロナ危機は脱化石燃料を加速する」との観方もある。
他方、悲観論者は短期的な経済封鎖による環境面の便益は長くは続かないと考える。中国の排出量は石炭火力発電所の運転停止により2月には25%減少したが、フィンランドのエネルギー・クリーンエア調査センターのローリ・ミリヴィルタによれば石炭火力発電は3月末には元の水準に戻っているという注5) 。ブレークスルーインスティチュートのゼキ・ハウスファーザー、シーヴァ・ワンは「2020年のCO2排出削減量は0.5-2.2%減にとどまり、大気中のCO2濃度は増加を続けるだろう。コロナは温暖化対策のための時間を稼いだというよりも犠牲にした」と述べている注6) 。また悲観論者はコロナによって温暖化対策への政治的取り組みは前進ではなく後退すると考える。経済を立て直すことが喫緊の課題であり、政治的なshort termisumやナショナリズムも手伝い、経済刺激策はエネルギー多消費産業や化石燃料企業のてこ入れを行い、資源開発を進めるというのだ。オックスフォード大のディーター・ヘルムは「コロナは経済危機を招き、人々は将来世代のために費用を負担することにこれまで以上に後ろ向きになるだろう。コロナによって2050年ネットゼロエミッションという新たな目標が政治的なアジェンダから消えるかもしれない」と述べている注7) 。コロナとの戦いの中で経済活性化のため環境基準の規制緩和・撤廃が行われる可能性もある。「対応を誤ればパンデミックは公共政策から温暖化対応のエネルギーを奪う可能性がある」と国際環境開発研究所のアンドリュー・ノートンは警鐘を鳴らし注8) 、インペリアルカレッジロンドンのグランサム気候変動研究所のマーチン・シーガートは「数兆ドルをコロナ対策に使い果たしてしまっては、低炭素化に投資する筋力を失ってしまう」と述べている注9) 。ここで注意すべきは「悲観主義者」は決して温暖化防止を軽視しているのではなく、コロナの経済被害が予想以上に拡大する中で楽観主義者のように温暖化対策の好機であると断言できるのか、と疑問を呈していると解するべきだろう。
もう一つのグループはもともと温暖化問題に否定的だった人びとで例えば保守系ネットマガジンSpiked のブレンダン・オニールは「環境主義者が我々に押し付けようとしているディストピア」注10) の中で「コロナ危機に際して家に閉じこもり、ソーシャルディスタンスを守り、仕事も旅行もしない等の犠牲を払うことは当然だ。しかし我々は工場が稼動し、飛行機が飛び、人びとがどこにでも行け、満足が行くまで人と交わり、買い物し、食べる生活に戻りたい。環境主義者はコロナについて語るとき注意すべきだ。我々が耐え忍んでいる不快な非常事態が環境主義者の企図しているディストピアに酷似していることを多くの人びとが認識しはじめている」と述べている。確かにコロナによってインドに青空が戻ったとか、ベニスの運河にクラゲが現れたといった記事はかえって逆効果かもしれない。
筆者の見立てはといえば、「悲観論者」に近い。特にコロナによる非常事態的な政府の強制権限や莫大な財政支出を温暖化対策のアナロジーで語るのは「ちょっと違うのではないか」と思う。コロナは自分、家族、友人に対するまさに「今そこにある生命の危機」である。そのために犠牲を払うことについては国民の納得感は強いだろう。しかし温暖化問題のように身近な犠牲者が出ているわけでもなく、数十年にわたる取り組みを要する問題についてコロナと同レベルの政府による強権発動が受容されるとは思えない。またディーター・ヘルムが指摘するようにコロナによって所得が低下した人びとが温暖化対策のために電力料金を更に引き上げることを受け入れるかといえば大いに疑問である。その度合いは途上国において一層強いだろう。筆者は東大公共政策大学院、国際大学で途上国の政府関係者を含む留学生主体のクラスでエネルギー気候変動製作を講義しているが、ポストコロナと温暖化の関わりについて意見を聞いてみると、皆、一様に「コロナの克服が第一。気候変動対策によってエネルギーコストが上昇することは国民が絶対に受け入れない」と口をそろえる。温暖化防止が進むかどうかの決定的なカギは今後エネルギー需要、CO2排出が増大するアジアの途上国がにぎっている。ただでさえ温暖化対策への資金的ポケットが先進国に比して制約されている途上国がコロナ対策に忙殺されれば、温暖化対策に回す資金的人的資源がより稀少になることは間違いない。4月5日の記事に書いたように、途上国ではもともと温暖化よりも健康、雇用、教育のプライオリティが高いのだから当然だろう。
またコロナによって脱化石燃料が進むという議論も「本当だろうか」と思う。石油ガス価格の暴落により、新たな上流投資のリスクが高まっているのは確かだ。しかし既存の化石燃料火力の燃料費も大きく低下する。新たな再エネ投資をするよりも、既存の化石燃料火力を目いっぱい使うということにならないか。中国は運転停止していた石炭火力を再開しており、温暖化防止を理由に制約を加える兆しは全く見られない。つまり化石燃料への投資は手控えても、化石燃料の使用は景気回復と共に増大する可能性が高い。コロナ前は「再エネは安くなった。従来型火力よりも価格競争力がある」という議論が良く聞かれたが、その際に前提となっていた化石燃料価格は暴落している。これはクリーンエネルギーの相対的競争力を引き下げることを意味する。ガソリン価格が低下すればクリーンエネルギー自動車を買おうというインセンティブは低下するだろう。
他方、懐疑論者のようにコロナ禍を奇貨として温暖化への取り組みをダウンプレーし、嘲笑することは全くフェアではない。温暖化は現実に進行している問題であり、後回しにして済む問題ではない。
まずは現下のコロナ禍を収束させ、危機的状況にある家計、企業を救済してからでなければ各国が温暖化対策に本腰を入れることは難しいだろうが、コロナ禍で疲弊した経済を立て直すためのパッケージが打たれることは間違いない。その際、温暖化防止を見据えたクリーンエネルギー推進、インフラ投資も含められるべきだろう。他方、コロナ後、政府の財政力も民間企業の資金力も相当疲弊している可能性が高い。このため、コロナ後の経済対策においては、従来以上に費用対効果を見極めることが必要だ。化石燃料の価格が大幅に低下したままであれば、再生可能エネルギー補助のコストは相対的に増大するため、FIT的な補助金垂れ流しには慎重であるべきだ。可処分所得が低下した家計にとっても、アジア太平洋諸国の中で最も高い電力料金に直面している産業界にとっても温暖化対策コスト負担増の受容度も低下しているだろう。ブレークスルーインスティチュートのテッド・ノードハウスが主張するように注11) 温暖化防止を最優先にかかげるよりも、経済再建に有効であり、温暖化防止にも効く対策を考えていかねばならない。日本についていえば、老朽化した送電網の更新、変動性再エネの導入ポテンシャル拡大のための地域間連携線の前倒し整備、スマートグリッドの導入、将来のマーケットを見据えた水素、CCUSの技術開発、実証プロジェクト等はNo Regretの対策になると考える。特にコロナ後、中国をハブとしたサプライチェーンの見直しが確実視される中で、日本産業が今後食べていけるような技術開発を促進していくことは死活的に重要である。コロナ禍でハイリスクのR&Dに向けた民間企業の体力が低下しているときこそ、政府の役割は大きい。
コロナ禍で延期されたCOP26に向け、小泉環境大臣はNDCの引き上げ、2050年ネットゼロエミッション目標、脱石炭火力に意欲を燃やしていると言われる。それならば原子力の再稼動、運転期間延長、更には新増設・リプレースという最も費用対効果の高いCO2削減策にきちんと向き合ってもらいたい。原子力について口を拭ったままで、安価、安定的な石炭火力を駆逐して、なおかつ目標引き上げを行うことは電力料金の上昇を招くのみであり、ただでさえ毀損した日本経済を更に痛めつけることになることは火を見るよりも明らかである。エネルギー温暖化政策は各国の国情を踏まえた現実的なものでなければならない。巨額な財政、民間資金を費消した後、受けを狙って耳当たりのよい施策を並べる贅沢は許されないはずである。