EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その2)
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
前回:EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その1)
2.「国境調整メカニズム」は自由貿易体制と共存できるか
先ず初めに問題となるのは、各国間で温室効果ガスの排出規制政策の強度差がある中で、その差異に基づいて、国境をまたいで取引される物品に課税をして負担調整をすることが、そもそも許されるかという点である。
気候変動枠組み条約(UNFCCC)では、基本原則を定めた第3条5項において「気候変動に対処するためにとられる措置(一方的なものも含む)は、国際貿易における恣意的若しくは不当な差別の手段または偽装した制限となるべきではない」として、気候変動対策を根拠とした差別的な貿易措置を禁じている。
この背景にあるのは、同じ第3条1項に規定されている「共通だが差異ある責任(CBDR)原則」に基づき、先進締約国が率先して気候変動対策を行うべきという同条約の基本的な考え方がある。厳しい温暖化対策を先進国のみが国内で実施すれば、国内企業がそうした制約を受けない途上国企業に対して競争力を失う懸念があり、そうした国内産業の保護のため、関税その他の通商障壁を設けようという政治的誘因が働くことが想定される。上記の第5項では、そうした貿易制限措置そのものを禁止してはいないが、「恣意的、若しくは不当な差別の手段または偽装した制限措置」は認められないとしている。問題は、気候変動枠組み条約では、こうした「やってはいけない行為」によって引き起こされた締約国間の紛争について、当否を判断して裁定を下したり、違反国に罰則を課すといった「紛争調停メカニズム」が存在しておらず、「やってはいけない行為」を規制する強制力がどこにもないことである。
通商に関する係争を国際的に解決するための、強制力のある仕組みは、気候変動枠組み条約ではなく、「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」に規定されている。しかもパリ協定締約国195か国の内、164か国がWTO締約国として重なっているという現実がある。従って現在の国際枠組みの中では、気候変動政策に起因した通商紛争であっても、そうした事案が発生した場合にはこのGATT-WTOの紛争調停メカニズムの中で解決を図っていくことになると考えるのが自然だろう。
実はそもそも、この気候変動枠組み条約の第3条にある「国際貿易における恣意的若しくは不当な差別の手段または偽装した制限」という表現は、GATTにおいて、例外的に通商制限を設けることを認める規定である第20条で使われた表現を、そのまま引用しているものである。それゆえに、欧州委員会はグリーンディール政策案の中で、導入を図る「国境調整メカニズム」について、「WTOルールやその他EUが課されている国際的な義務に準拠するように設計されることになる」として、GATT-WTO違反にならないように配慮する、としているものと思われる。
ではそのGATTの条文を見てみよう(枠内が条文引用部分。下線、強調、カッコ内は筆者が挿入。邦訳は外務省ホームページの公式日本語版による)。
GATT第20条 一般的例外
この協定の規定は、締約国が次のいずれかの(制限的)措置を採用すること又は実施することを妨げるものと解してはならない。ただし、それらの措置を、同様の条件の下にある諸国の間において恣意的若しくは正当と認められない差別待遇の手段となるような方法で、又は国際貿易の偽装された制限となるような方法で、適用しないことを条件とする。
このあと、貿易制限措置が認められる具体的な例外項目として、公徳や生命・健康の保護や国宝の保護、希少国内資源の輸出規制など、(a)~(j)まで具体的な10ケースが挙げられているのだが、気候変動問題に関連する例外措置として適用が可能と考えられるのは、以下に引用した(a)か(g)だろう。ただし、このGATTの規定では、貿易制限を禁ずる原則の例外的措置が認められるこうした各ケースについても、具体的な詳細ルールは規定されていない。
- (a)
- 公徳の保護のために必要な措置
- (g)
- 有限天然資源の保存に関する措置。ただし、この措置が国内の生産又は消費に対する制限と関連して実施される場合に限る注6)
果たしてEUが行う気候変動対策が(a)公徳の保護のために必要な措置に該当するか(温室効果ガス排出規制が公徳の保護に繋がると仮定して)、あるいは(g)有限天然資源の保存に関する措置に該当するかどうか(輸入品にかかわる温室効果ガスの排出を国内の生産活動への規制に見合ったものに制限することが、健全な大気という有限天然資源の保存に相当すると仮定して)については、明確な規定や基準はなく、議論が分かれることになるだろう。長年にわたってWTOの上級委員会(紛争調停の上級審裁判所に相当)の判事長を務めたJames Bacchus氏は、この点について「WTOの判事には気候変動問題に関する知識や見識が無く、また過去の判例も判断基準となる規定もないため、もし国境調整メカニズムをめぐる係争が起きた場合には、ケースバイケースで難しい判断を迫られることになり、WTO自体が機能不全に陥りかねない。GATTの20条には内外無差別原則などの、例外的に貿易制限を認める場合の原則論が書かれてはいるが、どのようなケースで認められるかに関する具体的な基準は決められていない。従って今後気候変動問題を廻り、そうした紛争がおきた場合、気候変動と自由貿易という二つの価値観が仲裁の場で正面衝突することになり、結果も予想できない」としている注7)。
また同氏は自身の論文の中で、炭素価格に関する国境調整税の扱いについて、「WTOでは、製品の取引にかかるIndirect Tax(消費税等)を内外無差別とするため、輸入品に課税したり輸出品を免税としたりする国境調整税措置は認められているが、生産者に課税されるDirect Tax(たとえば法人所得税)の扱いについてはWTO上は明確ではない。(輸入品が負う)炭素税が間接税(Indirect Tax)か直接税(Direct Tax)かについては議論が分かれており、従って炭素税を国境調整できるかどうかについてはWTOに明確な規定がない。さらに製品の製造過程で使われるエネルギーへの課税のように、製品そのものに物理的に付随して取引されない投入物(input)に課された炭素税の扱いは非常に難しい」と指摘している注8)。
このように、通商の世界においていまだ明確なルールや規定、共通認識がないとう現状を鑑みると、EUが導入しようという「国境調整メカニズム」の具体的な仕組み如何によっては、目下トランプ政権によるユニラテラルな通商政策によって引き起こされている米中間や米‐EU間の通商摩擦で燃え上がる炎に、さらに油を注ぐこととなり、ただでさえ揺らいでいる国際自由貿易の仕組みを瓦解させる、貿易戦争の危機を招くことに繋がりかねない。
こうした懸念自体、かなり深刻なものと思われるのだが、ただしこれは、そもそもWTOの紛争調停メカニズムが正常に機能していることを前提とした上での懸念や課題である。ところが現実の世界では、それ以前に目下WTOの紛争調停機能自体が機能不全に陥っているという深刻な現状が、さらにこの問題を難しくしている。
WTOに持ち込まれる国際的な通商紛争案件は、紛争処理機関(DSB)の下に設置される小委員会(パネル)で審議され、まずは調停案が当事国に勧告され、当事国がそれに納得できない場合は、裁判の上級審に相当するWTO上級委員会が最終的な裁定を行うことになっている。このWTOの上級委員会では、7人選任されている委員=判事のうち、紛争当事国と関係のない独立的な立場の3人の委員によって紛争が処理、裁定されることになる。ところが現状では、任期切れで辞任した委員の後任指名を、トランプ政権下の米国がブロックしているため、昨年19年の12月末の時点で、7人の委員枠のうち6人が任期後れで空席となっており、中国の委員1人だけが残っているという異常事態に陥っているのである。つまりこのままでいけば、そもそもWTOの紛争調停機能自体がマヒしたままとなり、気候変動政策の国境調整にかかわる国際紛争について、通商の立場から唯一裁定することができるはずのWTOの機能不全が続いてしまう・・つまりどこにも紛争を調停する場がなくなるという状況になってしまう。
いずれにせよ、欧州委員会が今後検討・策定し、具体的に提案することになっている「国境調整メカニズム」の中身を詳しく見てからでないと、それがWTO上認められる例外措置にあたるのかどうかについて、議論や判断をするのは難しい。また仮に、EUがそれをWTO整合と主張したとしても、国際的な議論を引き起こすことは間違いない上に、その当否をめぐる国際的な調停機関の機能不全がいつまで続くか先行き不透明という、きわめて微妙な政治的、外交的状況の中で、本件に関する議論が展開されていくことになるだろう。
次回(その3)につづく。
- 注6)
- 20条では(a)から (j)まで10項目の例外規定が挙げられているが、本ケースで適用可能と思われる項目は上にあげた(a) 、(g)の2項だけかと思われる。
- 注7)
- ICC (国際商工会議所)“Roundtable on Climate Waiver”(2019年9月26日於ニューヨーク)におけるスピーチ。ちなみに同氏は、気候変動に関する国境調整メカニズムに特化した通商制限例外措置を規定したClimate Waiverの早期設定を提唱している。
- 注8)
- James Bacchus, ”The Contents of a WTO Climate Waiver”, Center for International Governance Innovation CIGI papers No.204, (December 2018)