停電の長期化が突きつける課題


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(産経新聞「正論」からの転載:2019年9月20日付)

 9月最初の週末に日本を襲った台風15号は甚大な被害を与え、特に停電が長期化している。今はただ被災された方に心からのお見舞いを申し上げるとともに、復旧作業が進み一日も早く皆さんが日常を取り戻せるよう祈るばかりだ。

 当初の復旧見通しが大幅にずれたこともあり、関東の送配電事業を担う東京電力パワーグリッドに多くの批判が寄せられている。復旧作業が終わった後には未曽有の災害という不可抗力に甘えることなく、改善すべき点がなかったか真摯に洗い出し、次なる災害への対応力を向上させてもらいたい。

 だが事業者に改善を求めるだけではこの災害からの学びとしては不十分だ。長期化した千葉の停電は、より構造的な課題を社会に提示したと理解すべきであろう。

電気設備の強靱化だけでは

 停電の長期化に伴い、電線の地中化や設備の多重化・強靱化を進めるべきだとの主張が多くなるのは当然だ。しかし、それが多大なコスト負担を伴うことは忘れられがちである。いくらコストをかけて設備の冗長性を高めても、リスクがゼロになることはない。どこかでリスクとコストの折り合いをつけなければならない。

 さらにいえば、電力設備の強靱化だけを考えればよいわけではない。道路や看板類を含む建造物、森林等を含めたインフラ全体の強靱化が必要だ。昨年の台風21号を経験した関西電力の報告によれば配電設備への被害の9割は倒木、看板などの飛来物、土砂崩れなどによって生じている。今回気になったのが倒木の多さだ。以前千葉の森を歩いたときに、間伐が行き届かず非常に細くて頼りない木が多いことが気になっていたが、林業の衰退もあって手入れの行き届かない森が全国で増加している。

 日本の多くの社会インフラは高度経済成長期に投資されたものが多い。しかし、今あるものを今あるように維持すれば、その維持コストは次世代に大きな負担を残すことにもなりかねない。デジタル技術の活用による低コストでのメンテナンスも進められてはいるが、現場を支える技術職の減少と高齢化という課題を、技術によってどこまで解決できるかが重要だ。

人口減社会のインフラ維持

 より長期的に考えれば、停電が長期化している山間部は、人口減少が急速に進む。送配電線への投資回収はより困難になることが確実だ。そうした地域では今後、太陽光発電などの再生可能エネルギーと蓄電設備でやりくりしてもらい、いざ雨天が続いた場合には大型のバッテリーを積んだ電気自動車が駆けつけるというシステムに移行したほうが、全国で設備投資を進めるより、低コストで強靱性を高められる可能性もある。

 筆者はしばしば「電気はインフラ中のインフラ」と表現するが、情報通信・水道・医療などあらゆるものが、電気に依存している。デジタル化が進めば、電気への依存はさらに強まる。インフラを適切に維持していくことに加えて、今後普及が進むと思われる、地域の再生可能エネルギーや電気自動車の蓄電池などを非常時に有効活用することで、過度な投資を抑制しつつレジリエンス(回復力)を向上させていくほかあるまい。

 人口減少・過疎化社会の社会インフラ維持には、発想の転換が必要だ。東日本大震災以降、政府主導のもと進められた電力システム改革に、社会インフラの維持という視点は十分に取り入れられていただろうか? これまでの議論を丁寧に検証し、社会が適切だと思う「リスクとコストのバランス」を議論する必要があるだろう。

危機管理力は向上していない

 日本はもともと地震や火山の噴火などの災害が多いことに加えて、近年、豪雨・台風等の災害のレベルや頻度が上昇している。しかしそれに伴って社会の危機管理能力は向上しているだろうか?

 わが国の防災担当相は内閣府特命担当大臣として、基本的に他の国務大臣が兼務している。東日本大震災以降、米国の緊急事態管理庁(FEMA)に倣う省庁の創設が議論されたこともあったが、中央防災会議が策定する防災計画に沿って自治体が防災に努めるという構造は変わってはいない。常設の役職や組織を作れば無駄も生じるので、単純に役職や組織創設が解決策だと考えるわけではない。

 しかし非常時にみんなが集まって協力しあうという仕組みは、ともすると統率のとれた復旧作業を阻害することにもなりかねない。わが国の危機管理能力向上を真剣に議論すべきではないだろうか。

 加えて強調したいのは、個々人の防災力も高める必要があるということだ。わが国の防災教育は、災害時には公的機関からのサポートがあることを前提としている。しかし、防災教育の真価は「いざというときに誰に頼ればよいか」を知らせることではなく、「自分の身は自分で守る」ために何をすればよいかを教えることにあるはずだ。災害の多い国でありながら地域の防災訓練への参加率が低く参加する人としない人が固定化している現状を、改めて我々自身も反省すべきではないだろうか。