再エネ普及政策に「虫の目」を


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(産経新聞「正論」からの転載:2018年11月9日付)

 「自然エネルギーは自然に優しい」。耳当たりが良く、さらりと聞き流してしまうフレーズだが、少し立ち止まって考えてみたい。

安全性や安定性には懸念も

 確かに太陽光や風力といった自然の力を利用する再生可能エネルギーは、発電時に地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を排出しない。地球温暖化対策の観点からは有益だし、推進すべきだ。しかしそれはあくまで「鳥の目」の議論だ。

 地域の自然環境や周辺住民との調和を図る「虫の目」や、消費者が負担する賦課金や送配電網増強を長期的に考える「魚の目」が、これまでの再生可能エネルギーをめぐる議論には、あまりに欠けていたのではないだろうか。

 わが国では2012年に「全量固定価格買い取り制度」が導入されて以降、世界にも類を見ないスピードで太陽光発電が増加した。太陽光発電の普及拡大は喜ばしいことだが、高さが4メートル未満の場合は建築基準法の「工作物」に該当せず、また、50キロワット未満であれば電気事業法上、求められる保安上の規制も大幅に軽減される。それらの多くは、事業者の名称や連絡先などの情報も開示されていない。

 将来、再生可能エネルギー設備が劣化した場合、撤去が適切になされるのかどうかも不安だとなれば、地域住民との軋轢(あつれき)が増加するのも当然だろう。

 森林を伐採したり、傾斜地に簡易な工事で設置された太陽光発電が急増し、安全性に懸念のあるケースも多い。今年7月の西日本豪雨では山陽新幹線の線路脇に太陽光パネルが崩落し新幹線が一時運休する事態に陥った。9月には四国で台風で飛ばされた太陽光パネルが電気設備に甚大な被害を与え、停電を引き起こした。政府・自治体はようやく規制に乗り出した。

 そもそも電力供給の安定性という観点からは、再生可能エネルギーは限界がある。電気は常に消費する量をそのタイミングで生産しなければならないのに、再生可能エネルギーの発電量は太陽や風次第だからだ。発電量が足りないからといってお尻をたたいて増やすこともできないし、余ったときには発電を抑制する必要がある。

 九州地域における再生可能エネルギーの出力制御が批判されたが、蓄電技術や他地域への送電などの手段を尽くしても発電量が多くなりすぎるようであれば、出力をコントロールするしかない。電力供給の一翼を担うのであれば当然の措置である。

太陽光発電も「異物」である

 筆者が、再生可能エネルギーに対する「虫の目」の大切さに気づいたのは、ミズバショウで有名な「尾瀬」における自然保護活動での経験がきっかけだった。

 この地の山小屋で以前、太陽光発電の導入が検討された。もちろん山小屋の電気を全て賄うことはできないが、ディーゼル発電に使用する重油を少しでも減らそうと考えたからだ。

 しかし国立公園としてさまざまな規制のかかる尾瀬では、山小屋に付随する設備導入の許可を得るのも一苦労だ。ある規制機関との協議では、「太陽光パネルは光を反射してキラキラする。自然の中にあると違和感が大きいので、日陰の目立たない場所におくように」という指導を受けた。

 太陽光パネルを日陰に置けというのは、一般の社会では笑い話だ。しかし長く自然保護の現場にいた立場からすれば、自然エネルギーといわれる太陽光発電も、自然の中では「異物」であるという感覚はよくわかる。

 現在は反射を抑制するタイプのパネルも開発されてはいるが、当時はそのようなものもなく、指導に沿って設置場所の工夫で乗り切ったと記憶している。しかし、こうした工夫のおかげで、尾瀬の原生自然を楽しみにやってきたハイカーたちから、批判や反発を受けることもなかったのである。

ドイツに学ぶ自然への配慮

 再生可能エネルギー先進国のドイツは、自然環境への配慮を厳しく求めることで知られている。例えば、ある空港跡地の大規模ソーラーのプロジェクトでは、その3倍の面積の植林や、そこでの動物の保護が義務付けられた。加えて将来の解体に備え、事業主が国に供託金を支払う仕組みになっており、将来、当該事業者が倒産したとしても、国民負担を生むことなく国が撤去を行えるという。

 ドイツといえば、自然エネルギーの導入量が多いことばかりが報じられるが、こうした発電設備の周辺に対する配慮を求める施策も学ぶべきであったろう。

 エネルギーを作るには少なからず自然に影響を与える。そのことを認めたうえで、影響を最小限にするという努力があってしかるべきだ。

 自然エネルギーの普及を持続可能にするためにも、「自然エネルギーは自然に優しい」などという生易しいイメージではなく、「鳥の目」「虫の目」「魚の目」でバランスよくしっかりと政策を議論することが必要だろう。