停電を人災と呼ぶ大新聞の非論理性
山本 隆三
国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授
北海道で発生した停電に関し、朝日新聞と毎日新聞は「巨大な発電所に頼る構造が停電を招いたのは、東日本大震災時の福島第一など多くの原発が止まり計画停電を招いたのと同じ。電源を分散していれば停電を避けられた」との記事を掲載した。
朝日新聞は、9月13日付「北海道を闇に包んだブラックアウト 空白の17分に何が」で、「一つの発電所に電力の多くを依存するという北海道電力の構造的問題を浮き彫りにした」「巨大な発電所に頼る構造は北電に限らない。東京電力は東日本大震災で福島第一など多くの原発が止まり、計画停電を余儀なくされた。経済性を優先するあまり、電力需要や送電網の規模が小さいのに出力が大きい原発などを集中的に抱える電力会社に同じ課題を突きつけている」としている。
毎日新聞も9月12日付「原発依存が招いた”人災“」で「停電は電気を供給する北電に責任があり想定外ではなかった。今回の原因は、長年にわたる原発依存の経営が招いた人災だった」「目先の経営効率を優先し大規模一極集中型の原子力発電を推進したツケが、いま噴出している」とし「北電は電源の多様化や発電所立地の分散化に限りある経営資源を投じるべきだ」と朝日とほぼ同内容の記事を掲載している。
両記事の主張を簡単に言えば、「コストがかかってもよいから、小規模電源をあちこちに建設しておくべきだった。そうしなかったのは北電の責任」ということだが、電気という生活と産業に大きな影響を与える商品において、コストを考えずに万が一に備えて分散だけを行うことはあり得ない。そんなことを行っている電力会社はどこにもない。あまりに不思議な主張だ。
発電所が大規模になる理由
日本に限らず、発電所の規模は大きいのが普通だ。一か所に大規模な発電所を建設すれば管理費、保守維持費などを節約できるので経済性を考えれば当たり前の選択だからだ。例えば、英国の石炭火力発電所の規模を見ると、苫東厚真の165万kWに対し、Drax 198万kW、Cottam 201万kW、West Burton 201万kW、Eggborough 196万kW、Aberthaw B 161万kWと大型火力が並んでいる。
特に、日本のように、エネルギー自給率が低く化石燃料を輸入に依存している国では、投資額節約の面からも大規模発電所が主体になる。燃料輸入には大型港湾が必要となることから、港湾を必要とする発電所を多く建設することは二重投資の無駄を生む。余分な投資による電気料金の上昇を避けるためには発電所を大型化することが必要になる。港湾を必要とする発電所が大型化するのは、燃料を輸入に依存する国では必然的な選択だ。また、原発も一地点に数基建設するのが世界共通だ。保守、管理の費用を考えれば大型化することによりコストを削減することが可能だからだ。
東日本大震災時原発の停止が計画停電を招いたかのように朝日の記事中にあるが、間違いだ。日本の火力発電所は燃料受け入れのため沿岸部に建設するしかない。東日本大震災では、東日本の太平洋沿岸部にあった石炭火力、石油火力なども被災し運転できなくなった。燃料を輸入に依存せざるを得ない日本では避けられない停電だった。
北電の苫東厚真が大型化した当然の理由
北電が苫東厚真石炭火力の設備を大型化したのは、輸入炭受け入れ設備を建設した以上当たり前のことだ。日本海側に泊原発を建設したのも、地点を分散する観点からは当然のように思われる。北電は、道内で生産される国内炭を引き取るため内陸部に石炭火力発電所を建設せざるを得なかった。道内炭の生産数量は減少したものの、道内産業維持の観点から相対的に価格が高い道内炭も北電は消費を続けている。
内陸部の石炭火力設備の老朽化が進んだことから、石狩湾に液化天然ガス(LNG)火力を今建設中だが、道内炭引き取りがあるため設備が使える間は新規の大型発電所の建設に踏み切れなかった事情もあるだろう。詳しくはWedge Infinityの連載「大停電は天災だけでなく地球温暖化でも引き起こされる」をお読み戴きたい。朝日も毎日も、分散したくても出来なかった事情と分散のコストには全く触れず、分散しなかったのは北電の責任というのは、かなり一方的な主張だろう。
小規模火力をあちこちに建設したならば、北海道の電気代は、今のレベルにはとても収まらない。今年3月の輸入価格を基にすると、輸入炭価格1kW時当たりの燃料代3.8円に対し原油価格は11円、LNGは6.9円だ。仮に、苫東厚真を小型火力にしていたとすると、その分を賄うため建設可能なのは小型の石油火力しかない。燃料代の差だけで、電気料金を1kW時当たり数円引き上げることになる。小規模発電所への設備投資も考えると、電気料金は2,3割上昇することになるだろう。災害に備えて普段から余分な設備を持つ投資を行い、大型港湾のメリットを捨て高い燃料を使えという主張を朝日と毎日はしている。そんなことを道民は受け入れるのだろうか。
自国内で生産される石炭を主たる燃料として発電を行っていた豪州は、地球温暖化問題への対処があり、石炭から天然ガスと風力、太陽光の再生可能エネルギーに電源を分散化している。その結果、豪州全体では過去10年間で電気料金は平均7割上昇した。また、風力発電量が3割になった南オーストラリア州の電気料金は世界一になったと地元紙は報道している。さらに、同州では風力発電が止まった時に停電が発生するようになり、送電系統の中に蓄電池を入れる一方、揚水発電所の建設も検討し始めた。電源の分散というのは簡単だが、それは費用との引き換えの話だ。分散をしても停電を完全に避けることが難しいことは世界の停電事故を調べれば分る。
停電事故は人災?
停電事故は様々な理由で起こるが、世界の大規模停電の事例で多いのは嵐によるものだ。
世界最大の停電は、調査機関のロジウムグループによると、2013年にフィリピンを襲った台風ハイヤンによるもので、61億顧客数・時間になっている。2003年の北米大停電は5億9200万顧客数・時間だった。まだ道内で110戸の停電が解消していない(9月16日現在)が、今回の北電の停電事故の顧客数・時間は、北電のツイッターを基に計算すると1億時間弱になっている。
北電の停電の少し前に台風により関西地区で停電事故が発生し、復旧に時間がかかった。朝日も毎日もこれは天災による停電と理解しているらしい。台風による停電も設備を地下に埋設すれば避けることが可能なので、地下化していなかった人災とも言えるが、朝日も毎日も主張しない。同じ天災でも地震による停電は人災になるという主張の違いはどこから来るのだろうか。
エネルギー政策では、安全保障、経済性、環境性能の視点が必要とされる。朝日も毎日も安全保障・安定供給のためであれば、他は犠牲にしても良いと主張しているようだが、大きなコストが掛かる地下化は例外なのだろうか。電源の分散にも同様にコストが掛かるが、分散は行えとの立場のようだ。安定供給のためにはコストを掛け必要なことを行えと主張するのであれば、終始一貫そう主張すべきではないのだろうか。地下化にかかる費用を考慮し台風による停電を取り上げないのであれば、分散化による北電の電気料金上昇も考慮すべきだ。送配電線の問題を取り上げても反原発の主張には結びつかないからだろうか。そのため主張に論理性がなくなっているのではないか。
地震による停電を、北電が一部の地域に限定できず全道に広がることを防げなかった理由については調査が必要だが、大型設備を建設したのを人災というのは、言いがかりに近い。停電事故を避けるため設備を分散すべき、あるいは予備の設備を持つべき必要があるのであれば、発電事業を手掛ける事業者はいなくなるだろう。大半の消費者が納得する電気料金を設定することができなくなるからだ。