米EU貿易協議から見えてくるもの
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
本年7月25日、ワシントンを訪問した欧州委員会のユンカー委員長とトランプ大統領との間で以下の4点を内容とする共同声明が発表された。
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- 通商関係の強化:「自動車以外の工業品に関する関税・非関税障壁・補助金の撤廃」に向けて協力することで合意。さらにサービス貿易や化学・医薬品・医療機器のほか、大豆などについても、障壁を減らし貿易拡大を進めるとし、市場開放と投資拡大、双方のさらなる繁栄につなげるとともに、公正かつ相互的な通商関係構築に取り組む。
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- エネルギー分野での戦略的協力:EU側はエネルギー調達ソースの多様化のために、米国からの液化天然ガス(LNG)輸入の拡大を目指す。
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- 国際基準の形成に向けた対話緊密化:行政の非効率性を改め、コストを抑え、貿易を円滑化するための国際基準の形成に向けた緊密な政策対話の機会を創出することで合意。
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- 不公正貿易慣行の排除:世界の不公正な貿易慣行から欧米企業を保護するため、協力を進めることで合意。また、WTO改革を進めるために協力する。特に知的財産権侵害や強制的な技術移転、工業製品分野の補助金、国営企業がもたらす市場歪曲(わいきょく)、そして、供給過剰力の問題への対応で連携を図る。
米中貿易戦争を含め、トランプ大統領の保護貿易政策は世界を引っ掻き回しており、今回の共同声明は大きく報道された。エネルギー面では米国からのLNG輸入拡大が盛り込まれたが、潤沢な国内エネルギー生産をテコにEnergy Dominance を目指す米国の利害と、悪化する対ロシア関係の中でガス供給源多様化を目指すEUの利害が一致したといえよう。
しかし筆者が着目したのは温暖化アジェンダについてEUが節を曲げたと思われる点である。EUは昨年6月のトランプ大統領のパリ協定離脱表明を強く批判してきた。特にパリ協定の「生みの親」であるフランスはその急先鋒であった。昨年11月のCOP23でフランスのマクロン大統領はパリ協定不参加国への貿易措置の可能性に言及していた。マクロン大統領は本年2月には「パリ協定を実施するつもりのない国と貿易合意をするのは狂気の沙汰だ(Why should we sign a trade agreement with powers that say they don’t want to implement the Paris Agreement? We would be mad)」と発言している。同時期にルモワンヌ外務副大臣も「EUと貿易合意を欲する国はパリ協定を実施しなければならない。パリ協定なくして貿易合意は有り得ない(No Paris Agreement, no trade agreement)。米国もそれをわかっているはずだ」と述べている。
事実、EUが貿易合意を結ぶ相手国にパリ協定実施を条件としている。本年7月17日に安倍総理と欧州委員長のトウスク理事会議長、ユンカー委員長の間で署名された日EU経済連携協定の中にはパリ協定に関する規定が含まれている。
それだけに米国からのLNG輸出を除いてエネルギー温暖化問題への言及のない今回の共同声明は環境至上主義の立場に立つ欧州の環境関係者をいたく失望させた。環境シンクタンクE3Gのジョナサン・ガヴェンタは「ユンカー委員長のプライオリティは貿易紛争を回避することだった。それは今回の合意である程度実現されたが、そのために欧州委員会は貿易交渉におけるパリ協定と環境基準の重要性に関するポジションを曲げた。その点が心配だ」と述べている。オバマ政権時代に米EU間でTTIP(Transatlantic Trade and Investment Partnership)が交渉されていた際、環境に関する米国とEUのアプローチは大きく異なり、それも一因となってTTIPは合意に至らなかった。今回の合意内容の中には「国際基準の形成」が含まれているが、欧州の環境団体は「規格基準に関する交渉開始は産業界のロビイングを招くパンドラの箱であり、欧州の環境規制を骨抜きにすることになりかねない」と批判している。
今回の米EU協議に際し、EU内部ではパリ協定とのリンケージを強く主張するフランスと対米自動車輸出が多く強硬路線を忌避するドイツの間で意見対立があったという。しかし外交・安全保障、貿易等、米EU間の多様な利害関係を考慮すれば、パリ協定を理由に米国との貿易協議をしないというオプションは考えにくい。つまるところEUは温暖化アジェンダよりも貿易戦争回避、ひいては経済を優先したという当たり前といえば当たり前の結論になったということであろう。