「地層処分」って何?(2)
~「誰がなぜゲーム/地層処分場版」で考えよう~
中島 みき
国際環境経済研究所主席研究員
※ 「地層処分」って何?(1)~「誰がなぜゲーム/地層処分場版」で考えよう~
(ⅲ) 「誰がなぜゲーム」
さて、この難題を問う「誰がなぜゲーム/地層処分場版」の当日の進行を紹介しよう。ゲームの前に、NUMOから、最低限必要とされる知識として、「高レベル放射性廃棄物とは」「なぜ地層処分なのか」「地層処分事業の進め方」などに関する講義を提供した。その後、「政府からA町に、高レベル放射性廃棄物の地層処分場を建設したいという計画が提示された」というシナリオを用いて、8~9人単位のグループでゲームを開始した。
ゲームの手順は以下の通り。
まず参加者(プレイヤー)は上記のシナリオを読了した後、各グループ内で、地層処分場をめぐる「町の住民」・「原子力安全規制委員会(識者・専門家から成る仮想の機関)」・「国民多数者」・「政府機関」という4アクターに割り当てられた。その上で、各々が割り当てられたアクターの視点から、「地層処分場の是非を誰が決めるべきか」について、自分のアクターを含む4種を1~4位で順位付けた。
次のステージでプレイヤーは、グループ内の同じアクター同士(2~3名)で話し合い、「地層処分場の是非を誰が決めるべきか」に関するアクター4種の順位付けについて、アクター内で合意を作った。
最後のファイナルステージでは、グループ全体でアクター4種のプレイヤーが議論を行い、「誰が決めるべきか」の順位付けについて合意を作り出した。
なお各プレイヤーには、「町の住民」や「国民の多くの人々」といったアクター4種それぞれの意見書などが、参考資料として配布された(※これらの意見書は、いずれも架空のものである)。
ゲームを経験した後、「他者の意見や言動を見聞きして考えたこと」として、参加者からは次のような意見が出された。
「話し合う前は感情で決めていたが、話し合った後は『何を軸とするか』が大切だと感じた」(町の住民)
「立場によってまったく意見が違った。その中で総意を決定するのは、この人数でも容易ではないと思った」(国民多数者)、
「それぞれの立場で重視する課題が異なることが分かった。相手の立場になって対応すべき課題を明確にしていく必要がある」(政府機関)
「他者の意見を想定して順位を決定したが、実際の意見は異なるものであったことから、色々な観点で想定することが重要だと感じた」(原子力安全規制委員会)
このように、ゲームの中で自分が地層処分場をめぐる何らかの立場に立つこと、異なる立場の方々と意見を交わし合うことを通し、参加者はそれぞれに気づきを得た状況が見てとれた。
(ⅳ) 振り返り ~ゲーム参加を通じての変化~
ゲームのようなアクティブラーニングにおいては、実施後の振り返りが重要とされる。本セミナーにおいても、野波教授による、ゲーム終了後の振り返りの講演を実施した。その振り返りの要点を次に紹介したい。
- 地層処分施設などのNIMBY施設の是非をめぐっては、「当事者が決めるべき」という当事者の正当性が優先されやすい構造がある。即ち、①非当事者の無関心が生み出す「消極的当事者主義」、②非当事者の無覚悟が生み出す「無知のヴェール」、の2点。
- ①「消極的当事者主義」とは何か? 当事者である町の住民のうけるデメリットは直感的に想像しやすい反面、仮に地層処分場が建設されなかった場合の長期的なコストや安全性など、現世代の責任を果たせないといったデメリットは、目に見えにくい。当事者にとっては、自分あるいは子孫も含めた、重要な問題である一方、ともすれば、非当事者にとっては、目に見えにくい利害は関心の低い問題になるため、当事者の正当性を優先してしまい、非当事者の無関心が、当事者優先を生み出す。即ち、自他の権利について深く考えることなく、思考そのものを放棄した結果として、当事者の権利を承認してしまう結果になりやすい。これが「消極的当事者主義」である。
- ②「無知のヴェール」とは何か? 地層処分においては、自分が当事者になるか、非当事者になるかが現時点では分からない(これが無知のヴェール)。この場合、人々は「自分が当事者になったときの損害を回避したい」と考え、自分の町が候補地となったときの安全装置としての地元優先の考えが働く。即ち、非当事者の無覚悟が、当事者優先を生み出すということである。
- (少数者である)当事者を優先する考えは優れた価値観と言える。しかし、地層処分場の問題において当事者を優先した場合、高レベル放射性廃棄物は行き場を失い、誰も幸せにならない、将来世代まで巻き込んだ公益の損失が予想される。
- 誰も幸せにならないという、いわば「共貧状態」の解決法は、2つしかない。(a)少数者を犠牲にして、多数の利益を成立させるか、(b)みんなで利益と負担を分け合うか、である。そして、(b)を選ぶためには、他者のみならず、自分自身の利益、正義を知ることも大切である。
- 非当事者である自分が「本当に非当事者(無関係)なのか」を考えることが大切である。本来、地層処分は国民全体が当事者であるはず。非当事者自身が「自分たちは非当事者ではない」と知って初めて、自分たちの利害を見つけることが出来る。その上で別の人の正義を知ったとき、はじめて正義の多様性を知ることができる。
(ⅴ) 今後の課題
今回の「誰がなぜゲーム/地層処分場版」を通じて地層処分に関する考え方に変化があったと回答した人は7割強であった。
具体的には、以前から地層処分について知っていた参加者は、「地層処分は、自分とは遠い話と感じていた。今回のゲームで、様々な立場の人が一様に『当事者』であることを認識しないと、話し合いにすらならないことを知った」と報告し、地層処分を全く知らなかった参加者は、「はじめに地層処分の役割について聞いた時は『私の住んでいる場所の近くにはできてほしくない』と思ったが、セミナーが終わる頃には、その考え方が日本人として無責任であると考えるようになった」といった変化がみられた。
また、「ゲーム感覚で学ぶことで、よりそのテーマに関心を高めやすいと感じた」といった声もあり、一人ひとりが地層処分に関して「当事者」として考えるきっかけとして、社会科学的アプローチの一つとして、この「誰がなぜゲーム/地層処分場版」は有効である。
他方、時間的な制約もあり、今回のセミナーにおいては、技術的見地から安全性を検討するといった科学的アプローチの議論までカバーするには及ばなかった。今回のアンケートで、地層処分を進めることの是非については、どちらかと言えば賛成との声が多かったものの、その安全性に関しては「国民への説明機会が乏しい」、「リスクをどこまで考えているのか分からない」、「原子力発電の安全神話が崩れた」、「理解はできるけれど受け入れにくい」といった意見もあり、科学的見地からの議論の場の提供もまた重要である。
地層処分を考えるとき、上記のように、社会科学的アプローチと、科学的アプローチの両方が揃ってはじめて、検討を前に進めることができる。今回、参加者には、社会科学的アプローチに沿って、「当事者として考える」ことの重要性を認識して頂いた。次のステップとして、当事者意識を持った参加者を対象に、地層処分に関する研究の様子を実際に見て、科学者とともに考えるフィールドワークの機会を提供していきたい。
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- 本稿の執筆にあたっては、講演いただいた関西学院大学社会学部教授の野波寛氏にご協力を頂きました。ここに記して謝意を表しますとともに、本稿の文責は筆者に帰することを申し添えます。