日本の約束草案は野心のレベルが足りないのか?(第2回)


東京大学公共政策大学院 教授・客員教授・客員研究員

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※【第1回】はこちらから

4.日本のINDCの野心度は他国に比して低いのか

 日本のINDCを1990年基準や2005年基準で置き換え、EUや米国の目標に比較して野心の不足を批判することは、京都議定書時代のアナクロニズム的発想である。重要なのはパーセントの数字の比較可能性ではなく、努力の比較可能性である。
 たとえば現在及び2030年のGDP当たりの温室効果ガス排出量や一人当たり排出量を見れば、日本のINDCがEUや米国と比較しても十分に野心的であることは明らかである(図6、図7)。

図6 主要国の温室効果ガス排出量の対GDP比(現在及び2030年) (注)国毎に成長率等の前提条件等が異なり、特に中国については公表データが少ないため、多くの推計を含む。 出所:経産省,IEA、国連統計

図6 主要国の温室効果ガス排出量の対GDP比(現在及び2030年)
(注)国毎に成長率等の前提条件等が異なり、特に中国については公表データが少ないため、多くの推計を含む。
出所:経産省,IEA、国連統計

図7 主要国の一人当たり排出量(現在及び2030年) 出所:経産省,IEA、国連統計

図7 主要国の一人当たり排出量(現在及び2030年)
出所:経産省,IEA、国連統計

 また日本エネルギー経済研究所のアジア/世界エネルギーアウトルック2015注3) (図8)を見ると、日本のINDCは省エネ技術や低炭素技術の最大限の導入を前提とした技術進展シナリオ(ATS)と同程度に野心的であることがわかる注4)

図8 日米EUのINDCと自然体ケース、技術進展シナリオの比較 出所:日本エネルギー経済研究所「アジア/世界エネルギーアウトルック2015」

図8 日米EUのINDCと自然体ケース、技術進展シナリオの比較
出所:日本エネルギー経済研究所「アジア/世界エネルギーアウトルック2015」

 更に最近のOECDの分析注5) をみると、米国、EU、日本の目標はいずれもGDP成長率と温室効果ガス排出原単位の変化の相関関係に関する過去のトレンドから大きく乖離したものであることが示されている。特に日本の場合、2011年、2012年に温室効果ガス原単位が悪化(上昇)しており、ここから26%のラインに乗せるのは非常に大きな努力を要することがわかる。

図9 米、EU、日本の排出原単位とGDP成長率の相関関係  出所: OECD “Climate Change Mitigation ? Policies and Progress” (October 2015)

図9 米、EU、日本の排出原単位とGDP成長率の相関関係
出所: OECD “Climate Change Mitigation ? Policies and Progress” (October 2015)

注3)
http://eneken.ieej.or.jp/whatsnew_op/151021teireiken.html
注4)
日本の2020年目標は原子力を計算に入れていない。
注5)
https://www1.oecd.org/publications/climate-change-mitigation-9789264238787-en.htm

 更に地球環境産業技術機構(RITE)のモデル分析注6) を見ると日本の限界削減費用は米国やEUに比して高い(図10)。このため、日本のINDCは限界削減費用の面では米国、EUよりもはるかに野心的であり(表2)、GDP当たり削減費用で見ても米国、EUと同程度に野心的であるといえる(表3)。

図10 主要国の限界削減費用比較(2030年) 出所:RITE

図10 主要国の限界削減費用比較(2030年)
出所:RITE

表2 主要国のINDCの限界削減費用 出所:RITE

表2 主要国のINDCの限界削減費用
出所:RITE

表3 主要国のINDCの削減費用の対GDP比 出所:RITE

表3 主要国のINDCの削減費用の対GDP比
出所:RITE

5.日本は原子力なしで、より野心的なINDCが出せるのか

 世界資源研究所(WRI)は「原発なしでも再生可能エネルギー、省エネルギーへの追加投資により、2013年比31%の削減が可能である」との地球環境戦略研究機関(IGES)のワーキングペーパー“Comparative Assessment of GHG Mitigation Scenarios for Japan in 2030”注7) , を引用して日本のINDCを「野心的でない」と批判している。しかしIGES自身が「このスタディは異なる削減努力水準の経済影響を検討していない。我々の研究スコープには経済影響が入っていないが、各国の温室効果ガス削減目標策定において経済影響の評価は最も重要な指標の一つである」と認めている注8) 。INDCが日本経済のコストに非常に大きな影響を及ぼすことを考慮すれば、その視点を考慮に入れないスタディは政策決定の参考としておよそ無意味である。
 化石燃料の輸入増大、円安の進行、FIT賦課金の拡大により、日本の電力料金は震災以降25-40%上昇し(図11)、国民生活、産業活動、マクロ経済に大きな負担をもたらしている。

図11 家庭用及び産業用電力料金の推移 出所:経済産業省

図11 家庭用及び産業用電力料金の推移
出所:経済産業省

 だからこそエネルギーミックスの設定に当たってエネルギー安全保障(自給率の回復)、環境保全(CO2排出削減)とあわせて経済効率(エネルギーコストの低減)が重要な要件として位置づけられたのである。新たなエネルギーミックスでは、再生可能エネルギーの拡大に伴うコスト増(FITによる不可避的増大)を原発の再稼動、省エネ、再生可能エネルギーによる化石燃料輸入コスト節約分で吸収し、全体としてエネルギーコストを下げることを目指している(図12)。

図12 電力コスト見通し 出所:経済産業省

図12 電力コスト見通し
出所:経済産業省

注6)
https://www.rite.or.jp/Japanese/labo/sysken/about-global-warming/download-data/Energymix_INDCs_20150818.pdf
注7)
http://pub.iges.or.jp/modules/envirolib/view.php?docid=5974
注8)
同スタディ24ページ

 更に原子力のシェア1%が石炭、LNG、再生可能エネルギーで代替された場合の経済コスト、CO2排出量に与える影響についての感度分析も行われた。仮に原子力22-20%分が再生可能エネルギーで代替された場合、電力コストは上記予測よりも4.8~4.3兆円増大することになる。電力コストの低下という強い要請を満たすどころか、かえって電力コストが拡大することになるのだ。

表4  電源構成の変化に関する感度分析  出所:経済産業省

表4 電源構成の変化に関する感度分析
出所:経済産業省

 加えて表2で示されたRITEの限界削減費用分析は減価償却が進み、限界削減費用が非常に低い原子力発電所の再稼動を前提としている。限界削減費用が米国やEUよりも高いのは主に非常に野心的な省エネ目標を掲げていることが理由だ。仮に原発の再稼動が期待されたように進まず、その不足分を埋めるために省エネや再生可能エネルギーの目標値を更に引き上げることになれば限界削減費用は跳ね上がり、日本経済に多大な悪影響を与えることになるだろう
 要するに、原発の着実な再稼動は温室効果ガス削減、エネルギー安全保障、エネルギーコスト削減を同時達成する上で不可欠の要件であることは明白だ。日本では奇妙なことに野心的な排出削減目標を主張する論者が、しばしば原発再稼動に反対している。国際環境シンクタンクやNGOは日本のINDCが不十分だといって指弾するよりも、原発再稼動が最も費用対効果の高い削減手法であるとのメッセージを日本国内で発するべきである。

第3回へ続く