気候変動交渉はなぜ難航するのか?(その2)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
このように緩和目標の設定を通じた各国の負担分担の議論は堂々巡りになるばかりだ、いっそのこと、国別排出削減(緩和)目標は止め、地球全体の排出量にキャップをかけようという議論がある。西村六善・元地球環境担当大使が提唱している「全球キャップ論」である。これは地球全体の排出量にキャップをかけ、換言すれば、地球全体で炭素予算を設定し、国連が管理する。各国が自国の経済活動に必要な排出分をオークションで購入するというものだ。これによって地球全体で炭素に価格がつき、低炭素化が進む。いわば地球レベルの炭素税を導入するようなものだ。もちろん、先進国も途上国もオークションで購入するということになれば、経済力の弱い途上国に不公平になる。このため、オークション収入を国連が管理し、一定のフォーミュラに従って途上国にその収入を再配分し、あるいは低炭素技術に投資するというメカニズムも提示されている。http://www.energy-democracy.jp/476
この枠組みは確かに本当に実現すればシンプルで美しい。しかし「実現すれば」の話である。西村大使も私も同じく国連交渉を体験してきたが、私の方が国連という枠組みに悲観的なせいか(その理由は後述する)、国連が地球全体の炭素予算を管理し、炭素クレジットを排出者に購入させ、その収入を世界規模で所得再配分するという、究極の世界政府的レジームが実現するとはどうしても思えない。米国を含め、国連という組織に対してそこまでの権限を持たせることを各国が許容するか疑問があることに加え、国別目標設定に伴うバトルはスキップできたとしても、入ってきた収入を誰がどのような基準で途上国に再配分するのか、そのメカニズムを作るだけで気の遠くなるような交渉が必要になるだろう。この所得再配分メカニズムは、結局のところ、先進国と途上国の間の、更には途上国相互間の負担分担と同義であることも忘れてはならない。
このように負担分担の議論は、極端なことを言えば、国の数だけ正解があるような世界であり、現実には各国がそれぞれの判断基準、公平感に基づいて持ち寄る目標値を受け入れていくしかない。それが全体として温暖化防止のために求められる地球規模の排出量削減につながるか、という疑問は当然にある。
地球温暖化問題は、現世代における負担分担だけではなく、現在世代と将来世代の間の負担分担の問題でもある。ちょうど現在世代の政治的要求を満たすために財政支出が拡大し、公的債務がどんどん積み上がり、負担が将来世代に先送りになるように、現在世代が対策を遅らせて「炭素予算」を使ってしまえば、それだけ大きなツケが我々の子孫たちに及ぶ。
科学的知見の不確実性
気候変動交渉が難航するもう一つの理由は、科学的知見の不確実性である。ここで提起しているのは「人間起源の温室効果ガス排出が地球温暖化をもたらしている」という大命題に対する疑問ではない。もちろん、地球温暖化の原因については諸説あるが、温暖化交渉に参加してきた身としては、IPCCの科学的知見に信頼を置いている。
問題は、温室効果ガスの排出増に伴い、温室効果ガス濃度が倍増した場合、どの程度の温度上昇をもたらすのか、という気候感度について科学的なコンセンサスが得られていないことである。IPCC第4次評価報告書(AR4)においては、気候感度の幅は2度~4.5度とされ、「最良推定値」は3.0度とされていた。気候感度は気候モデルを使用した場合、高めに出る一方、観測データに基づいて推計した場合、低めにでる傾向があり、第5次評価報告書(AR5)では、気候感度の幅は1.5度~4.5度に拡大し、しかも最良推定値については意見の一致をみることはできなかった。AR5では便宜的にAR4の3.0度を踏襲しているが、観測データを重視する学者からは最良推定値を1.7度程度とする見解も出されている。
この気候感度が温暖化交渉になぜ大きな影響を与えるかと言えば、各国の持ち寄りつつある目標案がいわゆる「2度目標」へのトラックから大きく外れたものなのか否かの評価が分かれるからだ。図3にあるように、米国、中国、EU等が持ち寄りつつある2020年以降の約束草案の目標値に基づく排出パスを見ると、気候感度3度とした場合、2度安定化に必要な排出パス(オレンジ色の線、濃い青色の線)を大きく逸脱していることがわかる。最も厳しいオレンジ色の排出パスは、「2050年までに地球全体の排出量を半減せよ」という議論の根拠にもなっている。他方、気候感度を2.5度とした場合、2050年時点で現状よりも若干低い程度の排出量が達成できれば、2度安定化に必要な排出パス(緑色の線、水色の線)の範囲内に収まることになる(赤い○の部分)。