吉田調書を安全対策の柱にせよ


国際環境経済研究所前所長

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(産経新聞「正論」からの転載:2014年10月16日付)

 いわゆる吉田調書を読んだ。そもそも事故調査の原則として、個々人の責任を問う目的ではなく、再発防止のための教訓を得るために当事者から行う事情聴取は非公開が原則だ。今回のようなことが前例となれば、当事者の協力が得られにくくなり、どの分野での事故調査も実効性を失いかねない。

 百歩譲って公開を是としても、当事者が多数に上るような大事故の場合には、たった数人の調書が公開されたからといって、事故原因の全体像が明らかになるわけではなく、面白そうなエピソードが一人歩きするだけに終わる。

 その典型が、今回その真偽をめぐって大騒ぎになった「命令違反」問題だ。しかし、実際に吉田調書全部を読んでみるとその話は全くの「余談」であり、事故再発防止のためにくみ取れる教訓の豊富さに比べれば、取るに足らないものであることが分かる。

≪東電に特殊な事故ではない≫

 政府事故調査委員会の中間報告と最終報告とを読み合わせると、この調書から得られる教訓を十分に生かした提言がなされているとはいえないことにも気づいた。事故調は極めて多数の当事者から聴取を行ったうえで、それら全体を俯瞰する形で提言を結晶化したわけだから、提言そのものが抽象度が高くなったのだろう。吉田調書の取り扱いに関しても、他の当事者からの聴取結果と整合する部分だけが有効だと判断したのかもしれない。

 しかし、再稼働を前にした全国の原子力発電所の所長たちにとっては、この調書には学ぶべきことが満載だ。果たして彼らは全員この吉田調書を、目を皿のようにして読んだだろうか。吉田昌郎元所長の経験を自社の事情や施設の状況に引きつけて熟考すれば、これは東京電力に特殊な事故ではないことに気づくにちがいない。

≪浮かび上がる8つのヒント≫

 再発防止や事故対応にとって本質的な対策のヒントになる吉田元所長の陳述が随所に見られるが、まとめると次のようなものだ。

(1)
所長でさえ現場の状況をつぶさに見ることなく、所内通信手段もほとんど使えない中で、あいまいな指示は事態を悪化させるだけである。
(2)
さらに現場から遠い東京の役所や本店から、頓珍漢な命令や指示の雨あられを受ける。「雑音」ばかりを奏でる関係者が増える状況の中で、所長の意思決定を支援する組織や機能をどう構築しておくのか。
(3)
問題が生じた複数炉を同時並行的にかつ優先順位を付けながら対応するための判断基準や手順をどう整備し、設備の事前設計に生かすのか。
(4)
事故が生じて線量が高くなる中、直接発電所まで物資を輸送する体制をどう準備しておくのか。自衛隊、警察、消防と所長との間での指揮命令権限と報告義務を明確化しておくことも重要。
(5)
運転経験や保全経験など、事故時に必要とされる職務経験や当該発電所での施設・設備の工事記録に対する深い理解などについて、どの程度所長に就く条件として要求するのか。
(6)
組織間の縦割り的な実行責任の押し付け合いが、現場の末端でも発生することを念頭に、危機時に対応する組織は平常時とは別体系にする必要がある。
(7)
事故調査は手順や対応の結果責任を問うことに重点が置かれる一方、所長が実際に直面した人命優先状況、真偽不明な情報洪水に想像力を働かせることは難しい。
(8)
吉田元所長は事故発災後早い時期から、避難を余儀なくされた地元住民が抱いている「いつまでこんな生活が続くんだ」という不安に対して、自分たちが説明不足でいることを気にしている。事故収束に専念せざるをえない発電所と地元住民とのコミュニケーションをどう取ればよいのか。

≪事故で得た教訓提供が責務≫

 世間には吉田元所長の指揮ぶりを礼賛したり、所員の対応の勇敢さを褒め讃える声がある。しかしこの調書はそうした「物語」造りのために存在するのではない。ましてや、所長や所員個々人のミスや判断の誤りを、後知恵で掘り起こして批判するものでもない。

 吉田調書の公開は、事故調査の原則からすれば賢明な措置だとは思えないが、公開された以上、今後の安全対策に徹底的に活用すべきものである。この調書に加えて、既に公開されている東京電力内部のテレビ会議を併せて観察することによって、原子力発電所の事故時の対応に備えた組織・人員・設備・通信・輸送など、あらゆる側面での対策の方向性が明確になる。それにより、今後の原子力安全に対する関係者の認識や組織の安全文化の刷新につながることに期待したい。

 東京電力も、事故後、原子力改革監視委員会を外部に設置して組織全体で安全文化改革に取り組んでいるが、事故から得られた知見や教訓を他の電力会社や世界の原子力事業者に対して提供していくことが同社の責務である。それこそが吉田元所長自身が心から望んだことだろう。