地球温暖化の科学をめぐって(4)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 結局のところ、将来の温暖化のコストと、温暖化対策のコストを比較して皆が合意できるバランス解を出すことはミッション・インポッシブルなのかもしれない。エネルギー気候変動の世界で著名な学者であるマイケル・グラブ・ケンブリッジ大教授が近著「Planetary Economics」の中で「地球温暖化問題には多層的な不確実性があり、炭素の社会的コストについての客観的な見通しや、国際的なコンセンサスを不可能にしている」と述べている。

 「地球温暖化の科学」といっても、温暖化のメカニズムについては自然科学の範疇だろうが、温暖化や温暖化対策のコスト評価は社会科学の要素が大きく、その分、研究者の価値観に左右されるところも大きい。例えば将来のコストを現在価値化する際の割引率をどう設定するかで、費用対効果分析の結果も大きく違ってくる。だからこそ温暖化交渉で繁用(乱用)される「科学が求める数字」というレトリックをそのまま受け入れることはできない。

 ローソン議員、トール教授の事例を通じて、痛感するのは、「異なる考え方に対する寛容さの重要性」である。米国の気候学者、ジュディス・カリーは自身のブログの中で以下のように述べているが、私も全く同感だ。

Can climate scientists please stop the intimidation, bullying, shunning and character assassination of other scientists who they find “not helpful” to their causes? Can we please return to logical refutation of arguments that you disagree with, spiced with a healthy acknowledgement of uncertainties and what we simply don’t know and can’t predict?  

 「気候変動は人類に突きつけられた大きなリスクであり、これは人類起源のCO2によってもたらされている。温室効果ガス削減の野心的な目標を掲げ、早期に行動すべきである。気候変動の対策コストは気候変動がもたらすコストに比べればはるかに小さいものである」という気候変動コミュニティの「教義」から見れば、ローソン議員はもちろん、トール教授、ジュディス・カリーも、更にこんな記事を書いている私自身も「温暖化懐疑派」とのレッテルを貼られるだろう。しかし、巷間、「温暖化懐疑派」と言われる考え方の中には「温暖化は生じていない(むしろこれから寒冷化が生ずる)」、「温暖化は生じているがCO2が原因ではない(原因かどうかわからない)」、「温暖化の将来見通しとそのコストには不確実性がある」、「温暖化は生じており、CO2が原因である可能性が高いが、対策コストが過大にならないようにすべきだ」等々、実に様々なものが含まれる。

 異なる考え方を「レッテル貼り」によって排除することは、思考停止に等しい。私自身が温暖化交渉を通じて何度も化石賞を受賞した経験に照らして言えば、上記の気候変動コミュニティの定説に楯突くと、「温暖化懐疑派」もしくは「化石」との「レッテル貼り」をされる傾向が強いように思える(ちなみに福島事故以降、我が国で猛威を振るった「原子力ムラ」という用語にも同じ傾向を感ずる)。しかし「レッテル貼り」は自らにも跳ね返る。クライメート・ゲート事件が生じた際、IPCCプロセス全体を「まやかし」と揶揄する言説が横行したが、これはトール教授の言うところの「温暖化を熱烈に信奉する人々による異端派の火あぶり」に対する悪しき反作用であろう。どちらも温暖化問題への健全な対応にとって有害でしかない。

 何事にも疑いをもつことは科学的思考の出発点である。地球温暖化の科学もその例外であってはならない。

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