地球温暖化の科学をめぐって(3)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
例えば、SPMの当初ドラフトの中には、「Many of the more worrying impacts of climate change really are symptoms of mismanagement and underdevelopment」とのメッセージが含まれていた。「マラリアの広がりや農産物収穫減といった温暖化の悪影響は適切な適応対策で大きく低減することが可能であるが、マネジメントの能力の低さや低開発によるリソースの乏しさがそれを阻害している。これは温暖化のリスクというよりも政策の失敗だ。この点については、過去も指摘されてきたが、ずっと無視されてきた。SPMで温暖化のリスクのみではなく、適応能力の問題に光をあてる記述が入ることは画期的だと思った」とトール教授は言う。しかし、このメッセージは温室効果ガス削減という政治的アジェンダにとって都合の悪いものであり、結局、SPMの中から削除されてしまった。
農業の章では、「適応を行った場合の収穫高」と「適応を全く行わない場合の収穫高」が示されていたが、SPMには影響がより大きく出る後者の数字だけが盛り込まれた。トール教授は、「常識的に考えれば、環境変化に対して人間が何の対応もしないことは有り得ない。ローマ時代から環境変化に対して灌漑や新たな品種の作付け等の対応を行ってきている。適応を全く行わない場合に、収穫がこんなに減るというのは、リスクを煽るだけであり、意味のある議論とは思えない」と指摘している。
ちなみに、IPCC第5時評価報告書第3作業部会のCLAである電力中央研究所の杉山太志氏も、具体的な事例を挙げてSPMがリスクを煽る方に偏重しているとの分析評価を行っている。
http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/discussion/download/14003dp.pdf
リスクを煽る傾向は、国際交渉と密接に関連している。ワルシャワのCOP19では、貧困国は気候変動の悪影響について補償を受ける資格を有するとの表現が結論文書に盛り込まれた。トール教授は、「IPCCがこれらの悪影響の規模を評価することが期待されることとなり、この結果、途上国の間で、『自国の方が他国よりも脆弱である』との低次元の競争(undignified bidding war)が生ずることとなった。内陸国ですら、海面上昇によって悪影響を受けると主張するのは喜劇(farce)である」と言う。
彼は「過度に危機を煽る(alarmism)ことが、温暖化問題の二極分化(polarization)を助長している」と指摘する。即ち、「温暖化を熱烈に信奉する人々(zealots)は、異端派(heretics)を火あぶりにしようとし、他方、異端派は温暖化研究や温暖化政策の陰謀論やネポティズムを批判する」という現象が起きている。こうした対立は中傷合戦に発展しており、気候変動のように複雑な問題に賢明に対処する上でマイナスにしかならないだろう。
「IPCCの本質的な問題は、各国政府がクライアントになっていることだ」とトール教授は言う。「各国政府の温暖化政策担当者は、IPCCが自分たちの政治アジェンダに好都合なメッセージを出すことを期待するし、IPCCにもそういうメッセージを出す学者が集まることになる。IPCC報告書に各国の温暖化対策担当者がコメントする場合も、自分たちの存在が不用になるようなコメントは決してしない。だからSPMも原案は学者がドラフトしても、各国政府がそれを書き直すことになる。IPCCを気候官僚(climate bureaucracy)や学者を装った活動家の手から解放し、学問的権威(academic authority)の手に委ねるべきである」というトール教授の指摘には考えさせるものがある。