地球温暖化の科学をめぐって(3)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
気候変動交渉に取り組んでいる頃、途上国の交渉官や、環境NGOが「地球とは交渉できない」、「科学とは交渉できない」「だから2度(あるいは1.5度)目標は絶対だ」と、あたかも自分たちが科学を体現しているかのような発言をするのをしばしば聞いた。「私的京都議定書始末記」において「先進国は2020年までに90年比25-40%削減すべき」という途上国やEUの主張を紹介したが、これも「科学が(IPCCが)求める数字」であるとされてきた。しかし、温暖化のメカニズムやその影響について完全に解明されていない以上、上記の議論は特定の学説を根拠とした政治的発言であり、「科学による判決」ではない。
気候変動交渉も政治メカニズムである以上、IPCC報告書の中で自分たちに都合のよい部分を使って自らの主張を補強することは、驚くにあたらない。しかし、温暖化のメカニズムや影響を科学的に解明するための場であるIPCCでの議論が政治によって捻じ曲げられたり、「政治からの期待」に応じてバイアスがかかるとすれば、それは問題だ。
今年の4月に、IPCC第5次報告書第2作業部会のCLA(総括責任執筆者)の1人であるリチャード・トール・サセックス大教授が「IPCC報告書は温暖化の危機感を過剰に煽っている」との理由で報告書執筆者の名前から自分を削除することを求めて話題になった。彼は1994年以降、IPCC報告書の執筆に参画してきており、第5次評価報告書では気候変動の世界経済に与える影響を担当すると共に、CLAとして政策決定者向けサマリー(SPM: Summary for Policy Makers)の作成プロセスにも参加してきた人物である。一連の顛末に関する彼のブログを読み、興味を覚えたので、サセックス大学に彼を訪ねてみたが、その話を聞くと色々考えさせられるところがあった。
http://richardtol.blogspot.co.uk/2014/04/ipcc-again.html
彼が初めてIPCCのプロセスに参加したのは1994年の第2次評価報告書からであるが、その頃は、色々な学説がオープンに議論される、知的刺激の強い場であったが、最近のIPCCは執筆者の選考過程にバイアスがあり、集団思考(group think)に陥っているという。温暖化問題に懐疑的な学者はもともとIPCCに参加しないし、各国政府が執筆者を推薦するため、どうしても各国政府のポジションをエンドースする執筆者のラインナップになりやすい。もちろん中にはIPCCの主流派と異なる考えの学者もいるが、「招かれざる客」になるため、居心地が非常に悪く、離れていく人も多いそうだ。この結果、ますます似たような考え方の人々がIPCCに集まることになり、自分たちの確信を相互に補強しあうことになる。
そうした中で、「IPCCは温暖化のリスクを過剰に強調する一方、温暖化のポジティブな側面(例えば寒冷リスクの低減等)を過小評価している」というのがトール教授の議論である。彼は自分のブログの中で「さしたる根拠もなく、温暖化による貧困、紛争、移民、死のリスクを黙示録の四騎士(four horsemen of the apocalypse)のように煽り、マスコミがそれを更に助長している」と警鐘を鳴らしている。