私的京都議定書始末記(その36)
-天津、豪・NZ、ワシントンそしてカンクンへ-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
首相官邸での対処方針説明
COP16に先立ち、菅首相への対処方針説明も行われた。COP16では日本への風圧が高まる可能性が高い。メキシコのカルデロン大統領やバンキムン国連事務総長から総理あてに電話がかかってくることも否定できない。かつて日本が京都議定書批准に大きく踏み出したCOP6再開会合においても同様のことがあった。そうした事態に備えて首相にまで方針をあげておく必要があった。総理執務室には外務省、環境省、経産省、国家戦略室の幹部クラスが入り、経産省からは松永次官と私が陪席した。杉山地球規模課題審議官が対処方針の概略を説明した。温暖化交渉に関する菅首相の持論は、「90年基準とか2005年基準によって同じ排出量であっても、物差しの違いによって削減率が違って見えるというのはおかしい。もっと一人当たりの排出量を均等にしていくといった客観的な指標が必要ではないか」というものであった。ちなみに「一人当たり排出量均等化」というのは倫理的には理解しやすい議論なのだが、各国の国情や発展段階の違いを考えれば、現実には極めて難しい。厳密には相互に違いがあるとはいえ、一人当たりエネルギー消費均等化、一人当たりGDP均等化に相通ずる議論でもあるからだ。「インドの一人当たり排出量と先進国の一人当たり排出量が等しくなるまではインドが緩和努力を強いられることは受け入れられない」といった主張に塩を送る側面もある。先進国の一人当たり排出量を減らしていき、生活レベル向上に伴い途上国の一人当たり排出量が増加していけば、両者の格差は縮小していく、そういった長期的な方向性の議論だと思われた。したがって京都第二約束期間への参加の是非とか、コペンハーゲン合意のCOP決定化といった対処方針の議論は、菅首相の持論と必ずしもかみ合っているわけではなかったが、対処方針自体については了承された。
総理説明から戻るともう夕刻であった。翌日の11月27日(土)にはカンクンに向けて出発である。私は対処方針の総論部分をベースに英文の発言要領を作り始めた。29日(月)にはAWG-LCAとAWG-KPのプレナリーが開催される。AWG-KPでいつ、どのような形で日本の立場を表明するかは決まっていなかったが、いつでも発動できるように準備だけはしておきたかった。オフィスのパソコンの前に座り、心を静めてから「Thank you, Mr Chairman, …」とパソコンのキーをたたき始めた。
カンクン到着
11月27日、北米経由でカンクンに到着した。COP16の会場となるムーン・パレスは広大なリゾートホテルだ。太陽が燦々と輝き、空も海も青い。
ホテルにチェックインすると腕輪のようなものを渡される。リゾートホテルによくあるやり方で、腕輪をスキャンしてもらえば広大なホテルのどこでも食事ができるという仕組みである。敷地内を自分の宿舎棟に向かって歩くと左側にプライベートビーチ、右側にはプールやプールサイド・レストランが並んでいる。部屋に入ると通常のバスルームに加えて部屋のど真ん中にジャグジーバスがある。全ての部屋が海に向かっており、バルコニーにはデッキチェアがあった。最終日まではそんな余裕はないだろうと思いながら、到着した日はジャグジーバスに入った。バリのCOP13の時も感じたことだが、「気候変動交渉で来るのでなければ、どんなに楽しいところだろう」と思った。
日本政府代表団室と私の泊まる宿泊棟はメインビルディングや会議場を挟んで反対側にあり、結構な距離を歩く。交渉団の中には自転車をホテルから借りて会場内を移動している人もいたが、私は朝晩、会議場や代表団室からの行き帰りを歩くことを好んだ。テレビドラマの「SP」がはやっている頃であり、歩きながら、SPのテーマミュージックを聴くことを常とした。
COP16で日本に対するプレッシャーが非常に強まることはわかっていた。そんなことでもして自分を奮い立たせていたのである。