私的京都議定書始末記(その35)

-混迷する交渉とEUの変節-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 2010年8月のAWG-KPでは、またぞろ先進国の削減幅に関するワークショップが開催され、私もスピーカーの一人として参加した。これまでと同様、米国のいないAWG-KPで附属書Ⅰ国全体の削減幅を議論することの不合理性を指摘し、中国代表団の女性交渉官とやり合いになったりしたが、予想されたように同じ議論の繰り返しだった。

 京都議定書第1約束期間が2012年末で切れることを踏まえ、仮に第2約束期間に合意しても各国の批准手続きが間に合わず、第2約束期間が発効しないままに2012年末を迎えた場合にどうするのか、という「法的ギャップ」の議論も盛んに行われていた。京都議定書第二約束期間にこだわる途上国は発効に間に合わないならば暫定適用でもすべきだという主張を展開していた。

 十年一日のごとくの議論を聞きながら、私はAWG-KPにこれ以上関与しても意味がないと思うようになっていた。従来、日本は新たな議定書を策定するオプションと併せ、京都議定書を全面改正し、途上国も別表に緩和目標を書き込むことも有り得るとの立場だった。AWG-KPに関与してきたのもそれが理由である。しかし、どう手直ししようと米国が京都議定書に決して復帰しないことは明らかになっていた。京都議定書が全ての主要排出国が参加する枠組みになり得ない以上、AWG-KPに参加する意味も消滅することになる。他方、AWG-KPでは第二約束期間設定に特化して議定書改定案の議論だけが進められている。そんなAWG-KPで第二約束期間への参加を前提とした個別の議論に参加することは、日本のポジションについて不要な誤解を与えることに成る。このため、2010年半ば過ぎから私はAWG-KP、特にナンバーグループでは冒頭に日本の原則的立場を述べた後は、個別論に立ち入らず、超然主義を貫くことにした。同じアンブレラグループの豪州等からは冗談半分に「最近、静かだね。寂しいよ」と言われたりもした。

2つのバランス論

 AWG-LCAもAWG-KPも議論が膠着する中で、全ての国が口にしていたのが「バランスのとれた成果(balanced outcome)を目指す」というものだった。しかし、同じ「バランス」という言葉を使っても、その意味するところは異なる。同床異夢が日常茶飯事の国連交渉である。

 先進国にとってのバランスとはAWG-LCAでコペンハーゲン合意を発展させ、先進国による緩和目標の計測・報告・検証(MRV)や途上国への資金・技術支援と途上国による緩和行動のMRVとがバランスよく盛り込まれることを意味する。前者の話ばかりが前に進み、途上国の緩和行動のMRVが曖昧なままでは、交渉成果を国民・納税者に説明できないということだ。

 他方、途上国にとってのバランスとはAWG-KPとAWG-LCAでそれぞれ成果を出すことであった。即ちAWG-LCAの交渉成果が議定書なのか、COP決定なのかを問わず、京都第二約束期間は必ず設定するということである。換言すればAWG-KPで成果が得られなければAWG-LCAもチャラだということだ。今や経済大国となった中国等の新興国はいざ知らず、多くの途上国にとってこれは資金や技術援助が盛り込まれているAWG-LCAは死活的に重要なはずだ。アフリカ諸国やAOSIS諸国が温暖化の悪影響を真剣に懸念するのであれば、世界の温室効果ガスの25%しかカバーしない京都議定書ではなく、80%以上をカバーするコペンハーゲン合意に基づき主要排出国が参加した枠組みを作ることをこそプッシュすべきである。「京都第二約束期間か無か」というのは、どう考えても論理的な対応とは思えなかった。アフリカにおける中国の経済的プレゼンスの拡大を踏まえ、何らかのロビイングが行われていた可能性もある。

EUの変節

 いずれにせよ、2つのバランス論が衝突する中で、EUが立ち位置を変えてきた。コペンハーゲンまでは「全ての主要国が参加する公平で実効性のある一つの法的枠組み」ということで日本とポジションを共有していたものが、2010年半ば頃から「一つの法的枠組みを志向するが、京都第2約束期間とパラレルな法的枠組みができるのであれば一つの枠組みか否かには柔軟」と言うようになってきた。しかし、仮にAWG-LCAの交渉成果が法的枠組みになるとしても、京都第2約束期間とは全く異なるものになるはずだ。そうでなければ京都議定書を受け入れない米国の参加が見込めない。またAWG-LCAの交渉成果が法的枠組みになるかどうかも全くわからない。少なくともカンクンのCOP16で法的枠組みの採択が不可能なことは明らかだ。そういう状況の中で第二約束期間の設定が先に決まれば、京都議定書に参加する先進国だけが引き続き義務を負う一方、AWG-LCAでは緩やかな枠組みが出来上がってお終いという「食い逃げ」になる可能性が極めて高い。

 EUと何度も議論したが、「京都議定書第二約束期間は途上国にとって理屈を超えたトーテム・ポールのようなものだ。これが前に進まなければ交渉全体も前に進まない」というのが彼らの反応だった。「第二約束期間を設定すれば、先進国と途上国の二分法が固定化し、更に米国とそれ以外の先進国という分断も固定化する。京都議定書の問題点を克服して新たな枠組みを作ろうという時に悪しき前例となる。途上国は京都議定書第二約束期間ができなければ、LCAも進めないといっているが、それで困るのは途上国自身ではないか。法的枠組みをプレジャッジするようなことは避けるべきだ」というのが我々の反論である。

 考えてみればEU-ETSを含め、EUの温暖化対策は京都議定書をベースにしている。更に90年比20-30%減という目標も、ホットエアを含む東欧諸国を取り込んでEU27に拡大したことを考えれば、それほど難しいものではない。特に20%減は放っておいても達成可能だ。EUにとっては第二約束期間設定容認に舵を切ることは容易だったのだろう。更にコペンハーゲンで存在感を示せず、屈辱を味わったEUにとって、第二約束期間容認というカードを切ることにより、国内の環境NGOや途上国向けに良い顔ができるという計算もあったのかもしれない。

 いずれにせよ、これまで一つの枠組みということで共同歩調をとってきたEUと袂を分かつ時期が来ていた。それはそのまま、カンクンのCOP16に向けて第二約束期間が大きな争点となり、日本が矢面に立つであろうことを意味していた。

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