私的京都議定書始末記(その20)
-本格交渉開始の前哨戦-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
またスターン特使から、全ての主要排出国が参加するフォーラムを近々立ち上げるという話もあった。ブッシュ政権下で生まれたMEM(主要経済国会合)と類似した考えであり、それが現在まで続いているMEF(主要経済国フォーラム)である。160カ国以上が参加する国連フォーマットでは意味のある議論ができない、主要プレーヤーで実質的な議論が必要という考え方は、政権交代があっても変わりなかった。4月末にワシントンで開催された第1回MEF会合にはクリントン国務長官、チューエネルギー長官等が出席し、杉山審議官等、各国の首席代表はオバマ大統領とも個別に会う機会が設けられる等、米国が本件に力を入れていることがうかがわれた。
私は在任中、杉山審議官、森谷審議官と共にMEFに9回出席することになった。MEFに限らず、ドイツ主導のペータースブルク対話とか、COP16に向けてメキシコが主導した非公式対話、中国の解振華副主任との会談等、表舞台である国連交渉以外の少数国会合、非公式会合は原則としてこの杉山・森谷・有馬の3人+1名程度で対応した。以前の投稿で「気候三銃士」と書いたが、常に同じメンバーで対応することで、お互いの気心も知れ、他国のカウンターパートにとっても継続性を確保するものであり、このチームはよく機能したと思う。
日伯対話
2009年の交渉カレンダーの幕開けは、日本とブラジルが共同議長を務め、2月初めに日本で開催した「気候変動に関する更なる行動のための非公式会合」(通称:日伯対話)であった。これは2004年から続いているフォーラムであり、気候変動の主要プレーヤーとなる国24-5ヶ国にUNFCCC事務局、両AWG議長が参加し、フランクな雰囲気で意見交換を行う。通常、年末のCOPが終了すると、翌年春まで国連交渉は行われない。その意味で、例年2-3月に開催される日伯対話は、前年末のCOPの結果を踏まえ、主要国がその年の交渉にどう臨もうと考えているかを探る絶好の機会であった。特に2009年はCOP15での交渉妥結を目指す大事な年であり、各国の出方が注目された。
大事なのは会議の場だけではない。むしろ会議の合間、後に行われる各国代表との昼食、夕食の場で本音がちらほらと見えるケースが多い。その意味で今でもよく覚えているのが中国のスーウェイ国家発展改革委員会局長との夕食会である。防衛省に異動した大江博審議官に代わって着任した宮川真喜男審議官主催の夕食会であったが、その際、将来枠組みについての議論になった。日本の考えは、「京都議定書には歴史的役割はあるものの、義務を負う国のカバレッジは今や全排出量の4分の1程度しかなく、今後の温暖化問題に取り組むツールにはなり得ない。LCAにおいて、全ての主要国が参加する新たな枠組みを作ることが不可欠。京都議定書の優れた要素は新たな枠組みの中に活かしてゆけばよい」というものであった。これに対し、G77+中国の論客であるスーウェイ局長は薄笑いをうかべながら、「LCAで交渉中の枠組みがどのようなものになろうと、京都議定書はずっと残る。京都議定書締約国は第二約束期間を設定することを義務付けられており、そこから逃れることはできない。日本が京都議定書第2約束期間に参加しないと、国際的な非難を浴びて大きなコストを払うことになるだろう」と述べた。「それではLCAの成果として何を想定しているのか」と聞くと「LCAでは京都議定書に参加しない米国に義務を負わせることと、先進国の枠組み条約上の義務である資金援助、技術移転をきちんと履行させることが重要。もちろん途上国も行動するが、それはあくまで自主的なものであり、先進国からの資金、技術援助が前提」という。
要するに「何があろうと京都第二約束期間を設定させ、現在の枠組みを維持する」ということである。バリ行動計画ができた時から予想されたことではあったが、交渉成果について彼我の認識が大きく乖離していることが改めて明らかになった。それはそのまま、COP15での合意がいかに難しいかを予見させることでもあった。