私的京都議定書始末記(その12)
-COP13とバリ行動計画-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
第1週目から豪州のバムジー大使と南ア環境省のサンディー女史の共同議長の下で長期協力対話に関するコンタクトグループが何度も開催されたが、議論は堂々巡りで一向に進まなかった。過去の経験から見ても、いずれにせよ、物事が前に進むのは閉会日直前であり、1週目から2週目の前半は各国が自分のポジションを繰り返すのみであることはわかっていた。そのうち、主要国だけがテーブルに座れるような少人数会合のセッティングになり、バックベンチャー用の壁際の椅子も限られているため、床にべったり座って議論を聞くようになった。
議論は多岐にわたるのだが、一つの焦点は、仮に京都議定書作業部会とは別に新たな場を作る場合、何を議論するかということだった。先進国は2013年以降の枠組み、しかも先進国のみならず、主要途上国も温室効果ガス削減に取り組む枠組みを議論すべきとの点で、完全に認識が一致していた。他方、予想されたことではあるが、中国、インド、南ア、ブラジル等の新興国はこれに激しく反発した。途上国の議論は、「現在の温暖化問題をもたらした先進国には歴史的責任がある」「途上国は一人当たり排出量と言う点では引き続き先進国よりも低い」「そもそも2013年以降の枠組みで途上国の応分の負担を議論する前に、先進国が条約上の義務である資金援助、技術移転をきちんと果たしているかどうかを議論すべき」等というものである。
例えばフィリピンのベルナルディータス・ミュラー女史は途上国の名物交渉官だが、先進国がいかに「条約上の義務」である資金援助、技術移転を怠ってきたかにつき、条文第何条第何項を引用しつつ、20分以上にわたって滔々とまくし立てていた。私もアフリカで援助担当をしていたが、このコメントを聞いたら先進国の援助担当部局は著しくやる気を殺がれるだろうな、というような調子であった(ある米国の交渉官が、「彼女を交渉官としていることは、フィリピンへの二国間援助に悪影響を与え、結果的にフィリピンの国益に反するのではないか」と言っていたが、言い得て妙というべきだろう)。彼女の凄いところは、この手のコメントを十年一日のごとく繰り返していることであり、聞かなくても内容がわかるので、そのうち彼女がフロアを取ると自動的にメモをとる手を休めた。途上国の論客として存在感を示したのがブラジル外務省のマシャド局長だった。立場はもちろん違うのだが、「ああ言えば、こう言う」という練達の外交官で、「なるほど、こういう議論の展開をするのか」と唸ることもしばしばあった。その意味で、先進国からも一目置かれる存在であった。彼が後に発足する長期協力作業部会の共同議長になるのは、この時の印象が強かったからだろう。
温室効果ガスの抑制・削減(これを国連交渉では「緩和」(mitigation)と呼ぶ)の有り方についても議論が白熱し、計測可能、報告可能、検証可能(measurable, reportable, verifiable)という表現が浮上してきた。後に交渉官の間ではこれを略してMRVと呼ぶようになる。ただ、この概念を先進国、途上国の緩和にどうあてはめるのかは、まだまだ議論が収斂しなかった。また先進国はハイリゲンダムサミットを踏まえ、地球全体の温室効果ガス半減等のグローバルな目標の共有(Shared Goals)の必要性を強調したが、中国、インド等の途上国がこれに強く反対したのは、APECサミットや東アジアサミットと同様である。
予想されたことではあるが、膠着状態が続いたまま、第2週目後半を迎えた。閣僚セグメントが始まると、パンキムン国連事務総長が遅々として進まない交渉に苛立ちを隠さず、交渉官たちに対して「きちんと働け」と叱咤激励する一幕もあった。ようやく物事が動き出したのは14日金曜日晩の閣僚レベル非公式少人数会合だったと思う。これには外務省の鶴岡地球規模課題審議官と交渉経験の長い経産省の岡本補佐が参加した。我々を含む各国の交渉官たちは、会議室外で延々と待機である。待っている間、知り合いのエリオット・ディリンジャー氏(ピューセンター国際担当)やIEAで一緒だったジョナサン・パーシング氏(WRI)と立ち話をした。ディリンジャー氏は「金曜晩になってもこの状態じゃ、先行き暗いなあ」と言い、パーシング氏は「中国と国交回復したのはニクソン共和党政権だった。ブッシュ政権が中国とディールをすることは決して有り得ないシナリオではない」と言っていたことが記憶に残っている。ようやく午前2時頃になって鶴岡審議官たちが会議室から出てきた。まだ紙になってはいないが、「バリ行動計画」が少人数会合でまとまったということである。
その内容は多岐にわたるが、最も重要なポイントは、京都議定書特別作業部会(AWG-KP)とは別途、米国も参加する気候変動枠組み条約の下に長期協力行動に関する特別作業部会(AWG-LCA)を設け、2009年のCOP15までに結論を得るということである。更に長期目標の共有や、先進国のみならず、途上国の温室効果ガス抑制についてもバランスのとれた記述があるという。米国がきちんと参加する交渉の場が存在しなかったことや、長期目標、途上国の温室効果ガスの削減に関するこれまでの交渉経緯から考えれば、非常に大きな成果と思われた。ただ、そんな先進国にとって満点の交渉結果になることは有り得ないのであって、具体的なバリ行動計画の文言には、色々な解釈を許容する玉虫色の表現が多々、盛り込まれていた。次回で、実際の文言をご紹介しつつ、「バリ行動計画の読み方」について若干の解説を加えることとしたい。