誤解だらけの原子力発電所40年運転期間制限


国際環境経済研究所前所長

印刷用ページ
吉井議員 ・・・
環境大臣と動議提出者に伺っておきますが、速やかに検討とか所要の措置という文言がありますが、いつまでにどのような方向での検討の見直しなのか、これはさらに延長することもあり得るということなのか、伺います。
近藤(昭)委員
貴重な御質問をいただいたというふうに思っております。
 四十年運転制限制度というのは、経年劣化等に伴う安全上のリスクを低減する観点から重要な制度、こういうふうに考えておるわけであります。
 新たな科学的知見に基づいて安全規制を不断に改善し、また、この法案によって新たに設置される原子力規制委員会の委員長及び委員の知見に照らして検証されることが重要である。御指摘の四十年の運転制限の規定を含め、施行の状況を勘案して速やかに検討を加え、安全規制全体に関して見直すというのが、この速やかに検討、所要の措置ということであります。
(衆議院環境委員会 – 平成24年6月15日)
水野賢一君
そうすると、今の話は、委員会が今後専門家としての見地から四十年というのを例えば六十年というふうに延ばすということもあり得るかもしれないし、二十年ということにすることもあるかもしれないしという、そういうニュートラルな、法文上はニュートラルだという、そういう理解でよろしいですか。
衆議院議員(田中和徳君)
全くそのとおりです。
(参議院環境委員会 – 平成24年6月19日)

原子力規制委員会は40年問題を真剣に検討したのか?

 上記のように、立法者はこの40年問題について、明らかに原子力規制委員会の良識と専門性を信頼し、委員会発足後に抜本的な検討が行われることを期待していたことは明らかである。また原子力委員会設置法の附則や国会決議においても、同趣旨のことが規定されている。
 また、下記の参議院付帯決議の中に「既存の高経年化対策等との整合性を図る・・こと」とある。その理由は、IAEAによって求められている「定期的に経年劣化も含めた総合的な安全再評価(定期安全レビュー)」について、日本は既に運転年数30年を過ぎた段階からこの定期安全レビューを行ってきているからである。その点をとらえ、原子力学会は、2012年6月7日に出された原子力学会声明「原子力安全規制に係る国会審議に向けての提言」において、日本では、継続的な安全性向上の観点から40年運転制限より厳しい措置を既に講じていると見ることができ、「『40年運転制限性』の採用に当たっては、本来、規制機関が、純粋に安全性の視点に立ち、合理的・科学的議論を堂々と開かれた形で行い、運用する制度についても合理的・科学的な説明が可能でなければならない」と述べている。

原子力規制委員会設置法附則第九十七条
 附則第十七条及び第十八条の規定による改正後の規定については、その施行の状況を勘案して速やかに検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとする。

参議院附帯決議
 二十二 ・・・また、発電用原子炉の運転期間四十年の制限制度については、既設炉の半数近くが運転年数三十年を経過していることから、既存の高経年化対策等との整合性を図るとともに、今後増加が見込まれる廃炉について、その原子炉施設や核燃料物質などの処分の在り方に関し、国としての対策を早急に取りまとめること。
 二十三 ・・・本法附則に基づく改正原子炉等規制法の見直しにおいては、速やかに検討を行い、原子力安全規制の実効性を高めるため、最新の科学的・技術的知見を基本に、国際的な基準・動向との整合性を図った規制体系とすること。

 こうした状況に対して、原子力規制委員会はどのようには反応したのか。
 田中原子力規制委員長は、発足直後の記者会見で次のように答えている。

(平成24年9月19日)
 それから、40 年廃炉はアプリオリに決めるのかという話が、国会でも質問がありました。ただし、私は 40 年というのは、1つの技術の寿命としては、結構、そこそこの長さだというふうにお答えしました。当初、それを開発してつくった人たちも、ほぼ卒業するような人間であります。
 それで、今後、規制委員会としては、バックフィットというのは非常に重要になります。40 年前の炉をつらつらと眺めてみると、40 年前の設計は、やはり今これからくろうとする基準から見ると、必ずしも十分ではないというところがあります。
 では、そのバックフィットをどういうふうに今後課していくかということの中で、40 年を超えて 20 年延長する、もっと延ばすという対応が、本当に事業者がするかどうかということは、これは、今、私は判断できないですけれども相当困難なことであろうと思います。
 政治的にそういう発言があったのは承知して、あとは規制委員会に任せますというのも、これもちょっとどうかと思いますが、それは、そこまで言う必要はないのかもしれませんが、基本的にはそういう考えでいます。

 「ちょっとどうかと思う」という認識は、ちょっとどうかと思う。立法者の意思として、きちんと原子力規制委員に信頼できる専門家が選ばれ、委員会が機能するようになってから、きちんと40年問題についての科学的調査分析を行うことを期待していたことに対して、そうした検討も行わない前から原子力規制委員会はそうした期待に沿うことはしないと宣言するようなことは、法律による行政という法治主義そのものを危うくする姿勢ではないだろうか。
 田中原子力規制委員長が、40年という期間の妥当性そのものについての検討を行うつもりはなく、単に延長条件の検討が原子力規制委員会の役割と考えていることが次の発言に表れている。

 (平成 24 年 12 月 12 日)
 原則は40年で終わりなんです。状況によっては、それを延長することもできると書かれていますので、延長するに当たっては、どういうことが条件になるかというのは、今、議論をしている最中なんです。そういうことがきちっと出されてきて、かつ、事業者がそれに対応してきた場合には、そこでもう一回考えなければいけないわけです。原則は40年で、御指摘のとおりです。

 筆者は、原子力規制委員会が規制活動や手続きについて法的根拠があいまいなまま進めていることに対して、ことあるごとに警鐘を鳴らしてきたが、この40年問題やそれを含む改正炉規制法全体の見直しについても、法律や国会決議などに定められた要請を無視していくのではないかと危惧している。
 「安全のため」と言えばどんな方法でも許されるというものではない。原子力発電のように、国民の生命・財産にかかわる重要なことは、法的な事項について神経質なくらいコンプライアンスが求められる。特に法を実施する行政機関であり、かつ独立性が強い3条委員会であるからこそ、自らのガバナンスについて襟をたださなければならない。
 「安全はすべてに優先する」ということは、「だから他のことはすべて無視してよい」ということと同義ではないのだ。