私的京都議定書始末記(その9)

-<エネルギーマルチ>転戦記-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 次の大きなターゲットは東アジアサミットプロセスだった。2007年1月のエネルギー安全保障に関するセブ宣言に Set individual goals and formulate action plans voluntarily for improving energy efficiency という一文が入った。これは画期的なことだった。東アジアサミット参加国のうち、先進国は日本、韓国、豪州、NZのみであり、その他はASEAN諸国、中国、インドという途上国であり,これら諸国は、マルチの場で自らの行動に目標設定をすることを好まないのが通例だったからだ。あるいはgoals という言葉は数値目標だけではなく、より定性的な目標も含むと解釈していたのかもしれない。ともあれ域内エネルギー協力の場でこの大事なモメンタムを育て、具体化していくことが重要だった。ところが東アジアサミットプロセスは立ち上がって間もない状況で、受け皿となるエネルギー大臣会合の器がまだ存在していなかった。

 このため、私のミッションは、第1に2007年の議長国であるシンガポールを説得し、エネルギー大臣会合を開催してもらうこと、第2に大臣会合共同声明の中に省エネ、セクター別アプローチの要素を盛り込むことだった。そこで2007年初頭にシンガポールに乗り込み、エネルギー行政当局に対して「セブ宣言のモメンタムを維持するためにも、是非エネルギー大臣会合をやるべき」と申し入れた。先方は当初、「事務レベル会合でもいいじゃないか」という反応だったが、こちらの熱意が伝わったのか、「まず事務レベル会合を立ち上げ、大臣会合の開催もその中で議論しよう」というところまでこぎつけた。3月に事務レベルのECTF(Energy Cooperation Task Force)が立ち上がり、行きがかり上、シンガポールのウオン・シュー・クオン・エネルギー市場局長と共に共同議長を務めることになった。また第1回ECTF会合では省エネ、バイオ燃料、エネルギー市場を3つの重点作業分野とすることが合意された。日本は省エネを重点分野として強く押し、この分野での取りまとめ役を買って出た。ちなみにバイオ燃料を推したのはフィリピン、エネルギー市場を推したのが豪州だった。立ち上がり段階で手を上げておくことはその後の議論をリードする上で非常に重要なことだ。この結果、日本はタイ、マレーシアと共に省エネ分野のとりまとめを行うこととなり、これは省エネ目標、セクター別アプローチに関するメッセージを打ち込む上で非常に役に立った。エネルギー大臣に対する省エネ分野での提言案も事実上、日本が中心になってとりまとめた。当初はペンディングだったエネルギー大臣会合の立ち上げにも合意できた。

ECTFの議事メモ