私的京都議定書始末記(その7)
-COP7とマラケシュアコード-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
京都メカニズムと遵守の法的拘束力との連関性の問題と並んで、マラケシュで火種になったのが吸収源のインベントリー(登録簿)の問題だった。広大な国土を有するロシアは膨大な吸収源を有しており、その数字の取り扱いがCOP6再開会合で未決着となったことは前回書いたとおりである。今回、問題となったのは、数字の取り扱いに加え、吸収源のインベントリーの提出を京都メカニズムの参加要件とするかどうか、という点であった。当時、ロシアのインベントリー作成能力には疑問符がついており、吸収源のインベントリー提出を参加要件とした場合、ロシアが京都メカニズムの参加資格を失う可能性があった。膨大な余剰排出クレジットを有するロシアが京都メカニズムに参加できなければ、京都メカニズムの使用コストが著しく上昇することになる。このため、アンブレラグループはインベントリーの作成・提出を京都メカニズムの参加資格とすべきではないと主張した。これに対してEUは環境十全性を理由に厳格なインベントリー審査を主張した。吸収源と共に京都メカニズムを活用しなければ目標を達成できない日本と、寝転がっても目標を達成できるEUの違いが改めて浮き彫りとなった。
事務レベル交渉が膠着状態となる中で、一週目の交渉が終わり、日曜日は交渉も休日となった。周囲にさして見るべきものもないボンと異なり、マラケシュは世界中から人が集まる大観光地であり、ホテルで寝ているのは余りにも勿体無かった。このため、経産省代表団の有志で、チャーチルが定宿にしていたマムーニア・ホテル、スーク(市場)を見に行った。しかし連日の交渉で疲れており、マラケシュを堪能したとは、とても言いがたい。「国際交渉ではなくて観光で来たらどんなに楽しかっただろう」と思った。代表団の中にはベリーダンスを見に行ったグループもあったが、翌日からの交渉のことを考えると、とてもそんな気分にはなれなかった。
翌週半ばからの閣僚折衝では、吸収源のインベントリーについては、「第一約束期間においては、提出されたインベントリーの質を問わない」こととなり、ロシアが参加資格を失う懸念はなくなったが、京都メカニズムの参加資格と遵守システムとの連関性についてはアンブレラグループとEUとの対立が続き、ついに交渉最終日を迎えた。法的拘束力のある遵守措置の受け入れを京都メカニズムの参加資格とすることは色々な意味で大きな問題があった。京都メカニズムの参加資格を得るために法的拘束力のある遵守措置を受け入れれば、将来にわたって米国や主要途上国が参加することのない枠組みを固定化することにつながる。また、法的拘束力ある遵守措置に反対しているロシアが京都メカニズム参加資格を失えば、仮に日本が京都メカニズムを使えたとしてもコスト高なものになり、元も子もなくなる。さりとて法的拘束力のある遵守措置を受け入れなければ京都メカニズムが使えず、6%目標の達成が不可能になる。国によっては「遵守措置に法的拘束力がないのだから達成できなくてもかまわない」といった対応もあるかもしれないが、真面目な日本には考えられないことだった。だからこそ、この点について安易な妥協はできなかったのだ。
最終日の11月9日の夜、川口環境大臣とヴァルストロームEU環境委員の間で折衝を行い、京都メカニズムの参加資格と法的拘束力ある遵守とのリンクを断ち切ることは、日本の批准に関わる事項であると強く申し入れ、ついにEUが折れた。この際、経産省代表団で日下産業技術環境局長、関総一郎室長を助けて大活躍したのが石川和洋氏であった。彼はアンブレラグループの米、豪、加の法律専門家と強力なネットワークを築いており、閣僚折衝の際には、彼らと共に近くの別室に待機し、どんな文言であれば法律的にOKかをインプットできる体制を整えた。この時の活躍で、交渉終了後、アンブレラグループの交渉官達から彼に対して手書きの「表彰状」を授与された。