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私的京都議定書始末記(その7)

-COP7とマラケシュアコード-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授


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 COP6再開会合以降、積み残しとなっていたロシアの吸収源の数字も大幅に上積みして決着した。途上国もアンブレラグループとEUとの合意内容をおおむね受け入れ、COP7は京都議定の実施細目「マラケシュ・アコード」を採択して終了した。結果的にEUが日本、ロシアの主張に大幅に譲歩したことになる。COP6再開会合の時と同じく、「日本とロシアを逃がしたら、京都議定書の発効ができなくなる」という計算がEU側に働いたのだろう。その意味で日本とロシアは京都議定書発効のキャスティング・ボートを最大限活用したと言える。他方、ボンで米国と袂を分かち、EUとの共同歩調を取ることで「ルビコン川を渡った」日本が、いよいよ2002年中の京都議定書批准にコミットしたことでもあった。会場を拍手が埋め尽くす中、疲れた頭で1年半弱の交渉を振り返り、色々な思いに駆られていた。

マラケシュ合意の成立を喜ぶクタヤールUNFCCC事務局長、エルヤズギ議長(モロッコ)

 第1に「米国が入らない枠組みを永続化させてはならない」ということだ。今後の米国の政権の方針は予想できないが、最大の排出国である米国が入らないような枠組みはどう考えても公平ではない。京都議定書の抜本的見直しなのか、全く新しい枠組みなのかはともかく、現在のような一握りの先進国だけが義務を負う枠組みを続けてはならないと強く思った。

 第2に「第一約束期間終了後、新たな目標を設定する場合に、算入できるかどうかわからない要素を入れ込んで数字を高めに設定するような愚は繰り返してはならない」ということだ。過去1年半の交渉は、6%が先に決まっており、その前提となった吸収源、京都メカニズムが本当にどの程度算入できるかわからないという、まさに「やってはならない交渉」だった。

 第3に「日本は安易にCOPをホストすべきではない」ということだ。京都議定書の交渉結果は日本にとって非常に不公平なものであったにもかかわらず、「日本で生まれた京都議定書なのだから、その早期発効に向けて妥協すべき」という議論をこの1年半の間、何度聞かされてきたことか。米国が京都議定書から離脱した際、日本は京都議定書の抜本的な見直しにより、米国も入る枠組みを作ることをトライしたが、徒労に終わった。その際、米国と共に京都議定書から離脱する道は、たとえ論理的には可能でも、日本にとって取り得るものではなかったろう。京都で締結され、日本も署名した議定書の呪縛はそれほど強かったのだ。しかし国益が激しくぶつかり合う環境交渉においては、できるだけのフリーハンドを持っておくことが不可欠である。自国の都市の名前を冠することで自らの手を縛るようなことは二度とすべきではないと痛感した。

 COP7が終わり、2002年の暮れを迎えようとしていた。既に国際エネルギー機関(IEA)国別審査課長のポストを受けることが決まっており、そのための準備に取り掛からねばと思っていたところ、気候変動交渉関連で、もう一仕事、ご奉公することになった。澤環境政策課長から、「京都メカニズムの逐条解説を作ってほしい」との指示があったのである。

 過去1年半の交渉の結果、マラケシュ・アコードの京都メカニズム関連部分は膨大なものになっていた。そのまま英文テキストで見ても、素人には理解不能であっただろう。他方、京都メカニズムを最も必要としているのはまさしく日本企業であった。このため、渡邊厚夫氏、菊川人吾氏と共に作業室を立ち上げて「京都メカニズムガイド」の作成にとりかかった。マラケシュ・アコードの関連条文を和訳しつつ、その条文の意味、留意点等を説明し、特に手続きが複雑なCDM、JIについては手続きフローチャートも入れた。こうして2002年1月に出来上がったのが、「京都メカニズム利用ガイド Version 1.0」であり、恐らく日本国内で出された最初の京都メカニズム案内書であった。経産省内にも「京都メカニズムヘルプデスク」が設置され、全く新しい制度である京都メカニズムの理解増進を手助けする体制が整えられた。「利用ガイド」はCDM理事会等で詳細ルールが決まるたびに増補改訂され、当初は80ページ程度だったものが、2年後のVersion 5.4 では160ページに膨らんだ。その記念すべき初版の作成に関与できたことは、今でも良い思い出である。

京都メカニズム利用ガイドVersion1.0

 1年半の交渉の卒業論文とも言うべき「京都メカニズム利用ガイド」を仕上げ、IEA勤務も無事内定し、2002年6月に日本を離れ、パリに赴任した。ストレスのたまる気候変動交渉から卒業し、プラグマティックな議論ができるエネルギーの世界に入れることで気持ちが躍っていた。この時点では、よもや6年後に再び京都議定書と格闘することになるとは思ってもみなかった。

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