私的京都議定書始末記(その6)
-COP6再開会合-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
遵守に法的拘束力を持たせるべきではない、という点は、吸収源3.7%の確保、京都メカニズムの柔軟な活用と並んで日本が最も重視してきた点であり、カナダ、豪州、ロシア等、アンブレラグループの主要メンバーも共有する立場であった。これに対し、EU、途上国は罰則を含む厳しい遵守措置を主張していた。パッケージ案では遵守スキームについて「補足的な合意を結ぶことで法的拘束力を持たせる」という内容になっていたのである。この遵守の問題は、法技術的なものに映るが、高度に政治的なインプリケーションがあり、安易な妥協は今後に大きな禍根を残すことが懸念された。これまで締結された環境関連の国際条約で、法的拘束力ある遵守措置が導入された事例はない。補足合意で京都議定書にそのような条項が盛り込まれれば、米国の復帰は絶望的となる。また、いずれは、主要途上国にも一定の義務をかけることが不可欠になる中で、拘束力ある遵守措置の存在は、大きな障害になるだろう。先進国が拘束力ある遵守措置、途上国が拘束力のない遵守措置という二分論は米国が決して受け入れない。こうした点がマスコミを初め、日本国内で十分に理解されていたとは思えない。「日本は条約をきちんと守るのだから、拘束力ある遵守措置でもいいではないか」といったナイーブな見方が強かったのではないだろうか。日本代表団内ですら、「吸収源で数字を取れたのだから、遵守では降りてもいいのでは」とか「遵守にこだわって、日本で生まれた京都議定書を日本が殺すのか?」という議論もあったくらいである。前にも書いたが、国際交渉をしていると「後ろから弾が飛んでくる」、即ち国内からの批判に晒されることがしばしばある。今、思い起こせば、こうした「技術的だが政治的」な問題の意味を、国内に説明し、世論の理解を得ることの重要性を痛感する。
遵守措置をめぐってのアンブレラグループとEU、途上国との対立は続き、22-23日には遵守に特化した閣僚折衝が行われることになった。議論の末、「遵守措置の法的拘束力の取扱いについては、京都議定書発効後の第1回締約国会合(COP/MOP1)で議論する」という結論先延ばしで「決着」することとなったが、遵守についての火種は法的拘束力の有無にとどまらなかった。合意パッケージのうち、京都メカニズム部分には、京都メカニズムの参加資格として「遵守に法的拘束力を持たせるための補足合意を受け入れること」という文言が盛り込まれていたのである。法的拘束力ある遵守措置を受け入れない限り、京都メカニズムが使えないのでは、法的拘束力の議論を延々としてきた意味がなくなる。アンブレラグループはこれに強く反発し、COP7での交渉に委ねられることとなった。吸収源と遵守という大きな2つのイシューが決着した(遵守については、「先延ばし」という決着であったが)、24日の全体会合でボン合意が実質的に合意された。25日、26日の2日間は、合意されたパッケージをCOP決定にする作業が行われたが、時間切れで10月末のCOP7に持ち越されることとなった。プロンク議長のパッケージは政治的なイシューについて方向性を決めたものではあるが、COP決定となるべき交渉テキストは分厚く、技術的な議論が多々残されていたからである。
しかし、ボン会合で京都議定書実施ルールの合意、京都議定書の批准、発効に向けた最大の障害が取り除かれたのも事実である。プロンク議長とクタヤール事務局長は抱き合って喜び、会場は沸きに沸いていた。24日の晩には議長主催のボート・パーティがあって船上でたくさんの人が実質合意を祝って踊っていたと記憶する。
しかし、私は浮かれる気分には全くなれなかった。確かに3.9%の吸収源は確保された。メカニズムについても原子力が事実上排除される等の問題はあったが、数量上限は設定されず、今回の交渉の主目的はある程度達成されたと言えよう。しかし、それはあくまで京都議定書交渉での「負け」を「更なる大負け」にしないで済んだというだけの話である。しかも最大の排出国である米国は京都議定書から離脱し、京都議定書合意当時の前提条件が大きく変わっている。日本にとっては米国と袂を分かち、欧州との共同歩調に大きく一歩踏み出した瞬間でもあった。妙な連想だが、英米と袂をわかって日独伊三国同盟に参加した日本と、三国同盟に反対した海軍のことをぼんやりと頭に浮かべていた。