私的京都議定書始末記(その6)
-COP6再開会合-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
しかしボン会合の主戦場となったのは、シンクの扱いと遵守問題であった。京都で6%目標を飲まされた日本にとって、3.7%分の森林吸収源の確保が不可欠であったことは累次説明したとおりである。しかし、COP6及びそれ以降の会議では、EU、途上国が「京都メカニズムと吸収源は厳しい国内対策を逃れる抜け穴である」としてその活用に強い制約を加えることを主張してきた。しかし吸収源についての彼らの懸念は日本よりもむしろ、広大な土地を有する米国、カナダ、ロシアであった(特に米国が離脱した後は、カナダ、ロシア等が主なターゲットとなった)。COP6再開会合前にプロンク議長が出した統合テキスト案において、カナダ、ロシアには少量しか認めない一方、日本向けには3.0%を認めるとの案が含まれていたのも、その表れであろう。しかし、日本は吸収源3.7%を取るためだけに交渉していたわけではない。6%を達成するためには京都メカニズムの活用も必要だったし、膨大なクレジットを有するロシアが京都議定書に参加しなければ、京都メカニズムのコストアップにつながる。日本にとっては、自分の吸収源確保のみならず、ロシアが京都議定書から抜けるような事態を防ぐことも必要であった。広大な国土を有するロシア、カナダにとって吸収源の確保は、日本とは違った意味で重要な課題である。COP6再開会合において日本、カナダ、豪州、ロシアが特定のフォーミュラに基づく機械的計算ではなく、各国の実情に応じて、吸収源の国別キャップを設定すべきであると共同提案したのはこのような事情によるものだった。吸収源を「抜け穴」として批判していた環境NGOはこれに反発し、我々はそろってその日の化石賞を受賞することになった。
温暖化交渉に参加したての頃は、会場で配布されるNGOのビラで日本が名指しで批判されたり、化石賞を受賞したりすると、ショックを受けたものだったが、1年近くこのプロセスに関与して、「化石賞は国益のために戦った者に与えられる勲章だ」と思うことにした。化石賞の受賞国は米国、カナダ、豪州、日本、ロシア等、アンブレラ諸国に偏っており、EUや途上国にバイアスのかかったものであることは明らかだったこともある。
COP6再開会合で、まず事態が進展したのは吸収源だった。主要閣僚会合がエストラーダ大使(アルゼンチン)の議長の下で行われ、日本を含む各国の「言い値」を記載した表が合意されたのだ。日本については1300万トンと、3.7%を上回る3.9%が合意された。吸収源に対するこれまでのEU、途上国の主張から見れば驚くほどのベタ降りであった。米国が抜けた今、京都議定書を発効させるためには、日本やロシアを取りこむ必要がある、COPを二度続けて決裂させるわけにはいかない、等の考慮が特にEUサイドに働いたと思われる。EUの中で誰がイニシアティブをとったのかはわからない。恐らくCOP6の決裂の再来を何としてでも食い止めたいプロンク議長がヴァルストローム環境委員初めとする欧州勢に強力に働きかけたのではないか。率直に言って我々は環境NGOの影響力の強い欧州は、吸収源で頑な姿勢を取り続けるだろう、したがって再開会合での合意も難しいだろうと思っていた。「ワイルドカードを切ってきたな」というのが率直な印象であった。ちなみにロシアはボン会合の最終局面で「自分達の数字が少なすぎて受け入れられない」と大立ち回りを演じ、ロシアの数字についてはCOP7で継続協議ということになった。自国の国益に抵触するとなれば梃子でも動かないロシアの姿をその後も何度も見ることになったが、ある意味、その胆力がうらやましかった。国連常任理事会で何度となく拒否権を発動してきた大国だからであろう。これに対して日本人は生来、対立を嫌うことに加え、国際交渉で孤立することへの恐怖心が強い。少数派になっても頑張る国際捕鯨委員会(IWC)の日本代表団は例外的といえよう。
合意に向けた最大の障害の一つが決着したことにより、ボン再開会合は前に進み始めた。21日夜には上記の吸収源の合意を含む合意パッケージ案がプロンク議長により示された。EU、途上国は相次いでこれを受け入れる旨表明し、日本、豪州、カナダ、ロシア等のアンブレラグループは「後はお前たちだけだ」という苦しい立場に追い込まれた。しかし、パッケージ案には大きな問題があった。それは遵守の取扱いである。