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私的京都議定書始末記(その4)

-COP6の決裂-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授


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 閣僚達が到着し、COP6交渉はいよいよテンションを上げてきた。プロンク議長の求めにより、イシューごとの閣僚レベル会合も行われ、川口大臣は京都メカニズム交渉の議長を担当された。マルチの交渉会合は、英語でやり合うだけでも大変なのだが、川口大臣は夜遅くであるにもかかわらず、流暢な英語で議長を見事に務めておられた。

 しかし、2週目半ばになっても各交渉グループの溝は埋まらず、交渉の先行きには暗雲が漂ってきた。環境NGOは「京都議定書を殺すな」というデモンストレーションを会場各所で行っていた。京都議定書の規定集を顔に乗せた「死者」を担架で運んでいる者がいるかと思うと、中には米国の交渉態度が後ろ向きであるとの理由で、米国首席代表のフランク・ロイ国務次官がプレス会見を行っている最中にパイを顔にぶつけるという挙に出る不逞の輩もいた。「正義の味方と自任する人ほど始末に負えないものはない」との思いをこの時に強く持った。

 11月22日(木)、プロンク議長が、それまでの交渉を踏まえ、政治的な決着が必要な項目についての議長調停案を提示した。いわゆる「プロンク・ペーパー」である。プロンク・ペーパーが提示されると、各分野の交渉官は大急ぎでその内容を検討した。プロンク・ペーパーには京都メカニズム使用に定量的な数量上限を加えないとする点は評価できる一方、森林吸収源については、森林管理分の85%を割り引く(この計算方法だと日本の数字は0.56%になってしまう)、原子力からのCDMクレジット取得を差し控える(refrain from)等、日本として受け入れがたい項目も含まれていた。それからアンブレラグループ内、アンブレラ・EU間、議長・各交渉グループ間等、種々の水面下の接触・調整が行われたと記憶している。

 クライマックスは11月23日(金)から24日(土)明け方にかけての閣僚折衝であり、川口大臣もこれに入っていた。これは閣僚本人のみが出席を許されるというものであり、我々交渉官は、各論点について川口大臣からの御下問がある場合に備え、閣僚折衝が行われた小会議室の外で待機していた。ところが各国の事務方が「大臣にメモを渡す」との理由で会議室に入ったきり、出てこないケースが多いことに気付いた。「これは入ったもの勝ちだ」と思い、京都メカニズム部分の交渉に入る頃を見計らって、会議室にもぐりこんだ。楕円形のテーブルに20-30人の大臣が座っており、周囲には相当数の事務方が控えていた。「大臣限り」というのは有名無実化していることは明らかだった。このため、川口大臣の後ろに陣取って交渉を見守ることとした。原子力CDMの議論が始まると、インド、イラン、日本、カナダ等が特定技術を排除するのは不適切であると主張した。これに対して緑の党出身のボワネ仏環境大臣は「自分は過去20年間原発と戦ってきた。原子力に対して前向きな評価をすることは認められない」と熱弁をふるった。フランスの大臣が、自国の電力供給の80%を賄う原子力を真っ向から否定する姿を見て、唖然となった。その前年にOECD代表部で私が担当したIEA閣僚理事会では、フランスは原子力の重要性を強調していたからだ。フランス政府部内の連携はどうなっているのだろうと思った。プロンク議長は「原子力について見解が分かれているのは承知している。だからこそ原子力技術をCDMから除外するという表現ではなく、先進国が自主的に原子力からCDMクレジットを取得することを差し控えるという表現にしたのだ。」と迫ってきた。悔しいことだが、この点について日本は妥協せざるを得なかった。既にアンブレラグループの主張を踏まえ、京都メカニズム利用に人為的な数量上限は組み込まれない方向は固まりつつあった。原子力からのCDM取得を差し控えるとしても、各国の国内政策そのものを縛るものではない。更に、この金曜深夜の段階では、「吸収量を含むパッケージ合意ができるかもしれない」との気配が見え始めていた。



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