私的京都議定書始末記(その3)

-交渉デビュー-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 週末に代表団内、アンブレラグループ内デビューを果たし、週明けに初めて交渉会合に参加した。「何とも独特な雰囲気の会合だな」というのが第一印象であった。

 第一に参加者の多様性である。私がこれまで参加したIEA、OECD、APEC等の会合は政府担当官間の会合であり、男性の場合、ネクタイにスーツというのが通常であった。これに対してUNFCCCの会議は政府関係者だけではなく、NGOやプレスも参加しており、国の数が160以上であることも相まって、実に多くの、かつ様々な種類の人々が会場内を歩き回っていた。Tシャツ、ジーパン、ポニーテールといったラフな格好はもとより、白クマのぬいぐるみを着ているような人もいた。会場廊下ではNGOがビラを配ったり、イベントをやったりしている。後ほど紹介する「化石賞」もその一つだ。何となく大学祭を思い出させるようなところがあった。もちろん政府関係者に限定された交渉会合もあるが、全体会合は基本的にオープンでマスコミ、NGOも出席している。全体会合ではNGOにもステートメントのタイムスロットが割り当てられていた。野心的行動、目標を強く推す発言があると大きな拍手が沸き、意に沿わない発言があると時にはブーイングが生ずることもある。このため、「全体会合での発言する時は後ろ向きな印象を与えないように」という無意識のプレッシャーがかかる。宗教的な「空気」が支配する会議とも言える。私がこれまで経験した国際会議とは全く異質の「劇場型会議」という印象だった。

 第二に対立的な雰囲気である。OECDやIEAの会合では基本的に同質的な先進国同士の会合であるため、意見の対立はあっても、全体としてプロフェッショナルに妥協点を見出す力学が働いていた。APECは先進国、途上国を含むフォーラムであるが、協力が基本テーマであるため、とげとげしい雰囲気は殆ど感じなかった。これに対してUNFCCCの会議では、途上国が先進国の責任を追及し、EUがアンブレラグループの「環境への後ろ向きな姿勢」を批判し、NGOが毎日、「化石賞」によって「交渉の足を引っ張る国」の名前を晒すという、まことにぎすぎすした雰囲気が漂っていた。

 こうした中で、私が担当したのは京都メカニズムに関する交渉である。京都メカニズムとは京都議定書6条に基づくJI(共同実施)、12条に基づくCDM(クリーン開発メカニズム)、17条に基づく排出量取引を指す。JIとは先進国Aが先進国Bにおいて温室効果ガス削減に資するプロジェクトを実施した場合、その削減分をクレジット(ERU:Emissions Reduction Unit)として取引できる制度である。排出量取引とは、先進国Aと先進国Bの間で自国に割り当てられた温室効果ガス排出許容量(AAU: Assigned Amount Unit)を取引できる制度である。JIと異なり、プロジェクトの実施を伴う必要はない。CDMとは、先進国Aが温室効果ガス排出削減義務のない途上国Cにおいて温室効果ガス削減に資するプロジェクトを実施した場合、そのプロジェクトが存在しなかった場合の自然体の排出量(これをベースラインという)からの削減分を第三者機関が認証し、発行されたクレジット(CER:Certified Emissions Reduction) を取引できる制度である。いずれも京都議定書交渉の土壇場で導入されたものであり、各条文にはコンセプトが示されているに過ぎない。これを実際に動かすためには実施ルールを定める必要があった。前回述べたように、日本は6%目標を合意するに当たって、吸収源3.7%と京都メカニズム1.8%の活用を見込んでいた。このため、京都メカニズムの実施ルールが出来る限り制限的でない、柔軟なものであることを確保することが至上命題であった。

 しかし交渉の行く手は厳しいものだった。アンブレラグループは京都メカニズムをできるだけ柔軟なものにするという方針で一致していたが、「京都メカニズム」という概念が新しいものであったせいもあるのだろう、途上国や環境NGOの影響力が強いEU諸国は、これを「国内削減努力をサボるための抜け穴(loophole)」とみなす傾向が強かった。「途上国を搾取して、汚染する権利を掠め取る」といった見方もあった(当時、環境NGOが配っていたビラの中には、お札の形をした1トン分のPollution Creditもあった)。

 こうした雰囲気の中で、途上国、欧州からは京都メカニズムに手かせ足かせをはめるような、実に様々な案が出されていた。例えば京都メカニズムの使用量の数量上限を課する、CDMの対象技術の中から化石燃料技術や原子力技術を除外する、CDMのプロジェクトの認定基準を厳しくし、ベースラインの設定をできるだけ保守的にする、プロジェクト認定に当たって、地元住民、更にはその周りの住民の意見も聴取しなければならないようにする、目標達成ができない場合、京都メカニズムの使用を禁ずる、いわゆる「ホットエア」の存在により、多量のクレジット供給が可能なロシア等の排出量取引参加に制限をかける等々である。これに加え、ある種の悪循環も働いていた。即ち、上記のような提案により、CDMの手続きが非常に煩瑣なものになる→途上国は煩瑣なCDMからJI、排出量取引に需要がシフトすることを恐れ、JIについてもCDMと同じような煩雑な手続きを求める、といった具合である。CDMを煩瑣なものにすることは環境に優しい技術の移転につながるプロジェクトの組成を妨げるものであり、途上国にとって決して得策ではなかったはずだが、未だ得体の知れないCDMに対する警戒心、NGOを中心とするピューリタン的なアプローチがこうした力学を生むことになったのだと思う。

 資源エネルギー庁から交渉に参加している立場からすると、温室効果ガスを排出しない原子力をCDM、JIから排除するという論理は極めて理不尽に映った。気候変動枠組み条約の目的は温室効果ガスの削減なのだから、その目的に合致する技術を差別すべきではないはずだ。しかし、欧州諸国の交渉ポジションに多大な影響を与えていた環境NGOの中には反原発団体から進化したものも多く、ドイツ、フランスのように緑の党出身者が環境大臣を務めているケースもあった。彼らは「原子力は持続可能なエネルギー源ではない」との理由で原子力排除を主張していたのだった。当時の日本は原子力でCDMやJIプロジェクトを形成し、クレジットを獲得しようと考えていたわけではない。しかし、「原子力は持続可能な技術ではない」という烙印を押されることは、今後の国内原子力政策にも悪影響を及ぼすものと懸念された。

 EUは90年基準に助けられ、何の努力もせずに8%目標を達成可能だ。途上国はそもそも京都議定書で何の義務も負っていない。そういう国々が、日本のように6%目標を達成する上でシンクも京都メカニズムも最大限の活用が不可欠な国に対して「シンクと京都メカニズムは抜け穴だ。国内対策で最大限やるべきだ」と迫ることは、事実上、京都議定書の再交渉のように思われた。「これは環境交渉ではない。経済交渉だ」という思いを非常に強く持ったのはこの時である。

 このように途上国とEUは京都メカニズムに制約を加えるという点で共闘路線を組んでおり、シンクの戦線においても全く同じであった。他方、先進国全体と途上国で対立するケースもあった。例えば途上国はCDMで生み出されるCER(Certified Emissions Reduction)、JIで発生するERU (Emissions Reduction Unit)、排出量取引の対象となるAAU (Assigned Amount Unit) は互換性がない(これをこの世界では 「fungibility がない」という)と主張していた。また京都議定書上、適応基金についてはCDMから発生するCERの一部に課金をして、それを財源とすることが明記されているにもかかわらず、課金対象をJIや排出量取引にも拡大すべきだと主張していた。この点についてはアンブレラグループ、EU共に反対していた。

メカニズムの交渉グループの議長をやっていたのはマレーシア出身のコ・キー・チョウ氏である。京都メカニズムという新たな概念を巡って皆が好き勝手な主張をするのを辛抱強く議事進行していた。ただ、その彼でも時に切れてしまい、議長席を蹴って退場してしまうこともあった。そういう彼の姿を見て、「国連プロセスで議長をやるのは本当に、本当に大変だ」と思ったものだ(彼は私が2度目の温暖化交渉をやっている2009年8月に早世した。心から哀悼の意を表したい)。

 この分野で延々と交渉をやってきた人たちに混じって、デビューしたての交渉官として発言するのは緊張するものだ。私のこの交渉グループでの最初の発言は、”I would like to reiterate the position expressed by our delegation in the previous meeting” という、ごく短いものだった。何をreiterate したかよく覚えていないが、恐らく外部の聴衆がたくさん聞いている中で、あからさまに発言すると、攻撃されやすいポジションだったのだろう。前に述べたように「空気」が支配する全体会合で、流れに棹差すような発言をすることはためらわれる雰囲気があったのだ。谷みどり室長から、「あえて攻撃されやすいポジションを繰り返さずに、『先ほど言ったポジションをreiterateしたい』で済ませたのはスマートね。それから英国風発音もいいわね。こういう場で英国風アクセントをつけて発言すると一目置かれるわよ」と妙な褒められ方をした。もっとも、後年、AWG-KPの首席交渉官を務めた時は、図々しくなっており、「攻撃されても言うことは言う」というスタンスで臨んでいたのだが。ともあれ、ヨチヨチ歩きではあるが、交渉会合でデビューを果たし、コンビを組んでいる環境省の梶原室長にいろいろ教えてもらいながら、その年の秋のCOP6(ハーグ)に突入していくことになる。

コ・キー・チョウメカニズムグループ議長
マリティムホテルのSBSTA全体会合

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