電力供給を支える現場力③

-東北電力 原町火力発電所復旧の奇跡-


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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<立ち上がり、前に進む>

 冒頭「幽霊屋敷」と表現した通り、あまりの被害状況に、地元の方達からも「もう原町火力は復旧しないのではないか」との声が多く聞かれたという。原町火力発電所本体のみならず、送電線(原町火力線)も鉄塔12基の建て替えが必要になるなど、地元の方々の目にもその復旧が困難を極めることは明らかだっただろう。
 しかし、震災から2ヶ月後の5月11日には被災設備の撤去工事に着手、5ヶ月後の8月22日には今後の復旧計画を策定している。当時は平成25年夏前の稼働を目指す計画だったという。復旧工事の基本方針は

無事故・無災害・無事件
一日も早く
放射線管理の徹底
復旧工事費の抑制
被災の教訓を生かした対策の検討・実施

であったという。
 無事故・無災害は当然、震災で不安な心理状態になっている地域の方々にストレスを与えるようなことになってはいけないと、トラブルにつながるような事態・事件を徹底的に防ぐよう心がけたという。
 そして、合言葉は「一日も早く」。この目標達成のため、本店大でも「原町復旧連絡会」が組織されたそうだ。メンバーは、火力だけでなく、土木、建築、情報通信、環境、電力システム(送電)、送変電建設センター、用地など様々な部門から集められ、ほぼ毎月開催されたという。この連絡会において、それぞれの部門が緊密な連携を取り、切磋琢磨した。送電線復旧に携わるチームが工程を前倒しすれば、それにあわせて関連業務もなんとか工期短縮を図れないか、資材調達が前倒しされればそれにあわせて工期を早めよう、などと常に見直しが行われ続けたという。その結果、当初目標よりも1号機は約5ヶ月、2号機は8ヶ月近く早く試運転による発電を再開している。自由化議論の中で、発送電分離の方向が固まりつつあるが、各部門が別会社になることにでもなれば、こうした部門間連携が迅速かつ密接になされることは期待できなくなるだろう。

 原町火力発電所の復旧の難しさは、その被害の甚大さだけではなく、福島第一原子力発電所から約26kmの地点にあり、平成23年4月22日から同9月30日までの間、緊急時避難準備区域に指定されていたことがある。屋外で多様な復旧作業をするにあたり、作業員の線量管理も求められたのだ。徹底した放射線教育を実施するとともに、作業責任者が持つ線量計の1日の指示値が0.1mSvとなった時点で作業を中止するか、別の作業員と交代し、作業にあたる方達の安全管理を徹底したそうだ。
 こうした復旧工事を、いかにコスト抑制を図りながら行うかも欠くべからざる要素だ。多くの設備が被災し、莫大な復旧費用が必要となることは明らかで、コスト削減の意識は自然と社員の中に強く意識されていたと言う。既存施設の使える部分は極力活用したため、プラントの配管一つを見ても、新しい設備と古い設備がつなぎあわされ色あいが異なるところがそこここに見受けられる。こうした丁寧な仕事の積み重ねにより、当初は「いっそ発電所敷地内に新規建設をしたほうが早いし安くできるのではないか」とまで言われそうだが、復旧費用は約1700億円と、原町火力1、2号機当初総工費の半分以下に抑えられている。このように関係者の創意工夫により、安全対策、早期復旧そしてコスト抑制という3つの目標の同時達成が可能になったのである。
 しかも、ただ旧に復するだけでなく、燃料タンクを高台に移設する、事務本館のレイアウトを変更するなど今次の津波を経験した上での対策も当然盛り込まれている。

鉄塔の折損状況。
これを見て呆然とした地域の方も多かっただろう