活断層評価で議論呼ぶ原子力規制委と電力会社への注文


国際環境経済研究所前所長

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効率性という視点

 この最後の点にも関連するが、第1のポイントは規制の「効率性」である。福島第一原発の事故によって、いわゆる安全神話は崩れた。今後の原子力技術の利用に関する規制の課題は、リスクをゼロにすることを目的とするのではなく、リスク低減のために求める措置の強度やコストとリスクの低減度合いとの兼ね合いをどうバランスさせていくかにある。
 米国の原子力規制委員会(NRC)は規制活動の5原則の1つに「効率性」を挙げる(他に、独立性、開放性、明瞭性、信頼性)。「納税者、電気料金を支払う消費者、認可取得事業者は皆、規制活動の管理運営は可能な限り最良の状態であることを求める権利があ」り、「規制活動は、それによって達成されるリスク低減の度合いに見合ったものであるべき」であり、「有効な選択肢が複数ある場合には、リソースの消費が最小になる選択肢を採るべき」だとする。
 そうした原則に基づき、米国のバックフィット制度においては、NRCは「公衆の適切な防護を確保するにための措置」に該当する場合においてのみ、コストを考慮せずに迅速なバックフィットを要求するが、そうでない場合には、NRCが改造・追加投資によるコストと安全性向上によるメリットを比較したうえで、実施の要否を判断することになっている。
 日本においては、「ゼロリスクはありえない」ということを学んだにもかかわらず、むしろそれがゆえに、再稼働にむけてゼロリスクを要求する世論が強まるという逆説的な状況が続いてきた。規制委も、「グレーであれば安全側に立つ」といった表現で、そうした空気に寄り添うスタンスを取ってきたという印象が強い。
 ともすれば規制委自身がゼロリスクの呪縛に囚われた規制活動を行っていないか、自ら顧みることが必要ではないだろうか。田中俊一委員長自身もあるインタビューでこう言っている。「絶対安全とは言わない。言えばまた安全神話になる」(東洋経済オンライン)と。その立場を守ってもらいたい。

規制当局と事業者のあるべき関係

 最後に「実効性」の問題だ。
 これまでの規制行政については、福島第一原発の事故以降、さまざまな問題の指摘がなされてきた。特に、安全審査や検査が、構造や強度などの安全基準への形式的な適合性を確認することに重点が置かれすぎ、全体の安全性を実効的に確保する活動に努力が振り向けられるようなインセンティブ設計がなされていなかったという点が最大の問題である。
 10年ほど前に発覚した東京電力の自主点検記録に関する不正問題をきっかけに、品質保証計画に基づく保安活動が義務づけられることになった。これは、それまで安全性向上を事業者自らの責任で自律的に達成していくという意識がなく、国が策定する規制基準を遵守し、規制当局にお墨付きを得ればそれで十分という認識しかなかった原子力事業者の意識改革をもたらすものとなりえた制度改革だったのである。しかし、こうした検査型から監査型への移行は、手法の未成熟さや制度の理解不足などから、期待どおりの成果をもたらすことなく行き詰まっている。
 米NRCは、スリーマイル原発事故のあと適合検査を強化することで原子力安全の確保を進めようとした時期があったが、不適合が多発し稼働率が大きく低下、結局失敗したとの認識が広がった。そこで「We trust licensees, but verify them」(認可事業者は信頼する。しかしそれを検証する)を原則とし、現在に至っている。検査の重点は規制の実施結果を見ることに置かれ、検査官は問題のある部分に集中することができるようになった。逆に原子力事業者の方も、規制当局に信頼されていることが前提であることから、自律的な責任感が醸成され、むしろ不適合は減少、稼働率も大幅に高まった。
 日本で重大な事故を防げなかった原因が、形式的な規制当局の規制活動と規制当局からの指摘をできるだけ免れようとすることに専念する事業者の行動パターンとの組み合わせにあったことを忘れてはならない。実は今こそ、こうした関係を断ち切るチャンスだ。規制当局は最低基準としての安全基準を策定することに止め、事業者がそれをクリアしたうえで自主的・自律的に、世界最高水準の安全性確保のためのハード・ソフトの両面での工夫を凝らしていくという関係を築くべきなのだ。実は、田中委員長自身もそうした立場を表明してきている。
 ただ、結果として「やはり認可事業者は信頼できない、規制当局自らが基準適合検査をさらに強化すべきだ」という風潮が強くなってきかねないのが日本の風土である。しかし、そうなってしまえば規制の実効性は失われ、形式的な適合性だけが重視される規制活動に戻ってしまい、本質的な原子力の安全性確保がないがしろにされかねない。それでは、元の木阿弥である。一方、原子力事業者側も、自律的な努力による安全性向上が実現するような工夫を、自らの社内組織ガバナンスや人事評価システムに埋め込む事が必要だ。
 原子力に対する信頼回復は、政権交代によってもたらされるものではない。それは、福島第一原発事故の反省に基づく原子力安全性向上に関する関係者の真摯な努力によってのみ可能となる。事業者は、「規制を遵守すればそれで十分」という意識からどう脱却するかに真剣に取り組まなければならない。そうした意識は、政府や規制当局への甘えの裏返しだ。また規制委は、羮【あつもの】に懲りて膾【なます】を吹いてはならない。そのような規制活動を志向すれば、結局ゼロリスクの罠に嵌まるか、事業者を叩けばいいという政治的な規制機関になってしまいかねない。

WEDGE Infinityより転載