第2回 住友化学株式会社 愛媛工場、別子銅山、サンライズファーム西条


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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 別子銅山は、昭和48年(1973年)に閉鉱となり、今はその一部が「マイントピア別子」という観光施設になっています。全山、目にまぶしいほどの青葉で、以前はげ山になっていたことなど想像もつかないほど。そこここに点在する近代産業遺産を見て歩きながら、当時の経営者の言葉を伺うとその先進性と普遍性が強く胸に迫ります。なかでも「別子全山を旧のあおあおとした姿にして、之を大自然にかえさねばならない」と、植林事業に尽力した伊庭貞剛氏の言葉は、今も多くの社員の方が最も誇りにしているそうです。記録の残る限りですがこの地での植林は明治21年に始まり、明治30年代には年間200~250万本を植林されたとか。ちなみにここでの植林事業が、現在の住友林業の発祥だそうです!

【旧端出場所水力発電所】別子銅山に電気を供給する目的で明治45年(1912年)に建設された旧端出場水力発電所。それにしても、「はでば」水力発電所って、読めました?!

 新居浜では街の至る所で、住友が地域とともに歩んできた歴史を伺い知ることができます。例えば山根グラウンド。当時の別子銅山の最高責任者である鷲尾勘解治(わしおかげじ)氏の指揮のもと、住友各企業の社員による「作務(さむ)」(奉仕活動)で作られ、今も地域の憩いの場となっています。事業だけでなく、地域が発展することに心を砕き続けた歴代の住友経営者の思いが、地域でしっかりと受け止められていることがわかるのが、愛媛県立新居浜南高校のホームページです。住友とともに発展してきた地域の誇りにあふれていて、読み物として本当に面白いですし、地域振興の原点を見る思いがします。ちなみにこのホームページは、全国コンクールでグランプリも獲得した「本物」。ぜひ一度訪れてみてください。私のつたないレポートより、よほど住友の歴史がお分かり頂けることと思います!

【山根グラウンド】収容人数3万人という大グラウンド。正面の石積みの観客席も、住友社員の皆さんの「作務」でつくられたというからすごい!ゲートボールに興じるお年寄り、ランニングする若者など、地域の憩いとして愛される場所のようです。この奥に大山積神社。 【大山積神社(おおやまづみじんじゃ)】別子銅山労働者の氏神として抗夫たちが入山する際には必ず拝礼したという大山積神社。元禄4年(1691年)の別子銅山開坑直後に建設されたという歴史ある場所です。