COP17を巡る諸外国の動向等について
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
国連交渉は、どの国に成長を認めるかに関する交渉という見方
そもそも国連気候変動枠組み条約と京都議定書の枠組みは、実質的に機能不全に陥っている。京都議定書の第1約束期間中、世界のGHG排出量は90年比で約4割増となっている(2008年は90年比40.5%増、2009年は90年比38.3%増)。この原因は、京都議定書で「免責」された新興途上国の経済が急速に成長したことにある。つまり、京都議定書は地球規模のGHG削減に無力であり、今後も途上国免責の構図があり続ける限り、無力であり続けるということである。
すでに紹介したように、新興国のGHG排出は各国の経済成長とそれにリンクしたエネルギー消費の拡大と共に増加する。脱炭素化が進んでいるといわれている欧州でも、リーマンショックによる景気低迷から経済が回復する過程で、排出量を増加させており、経済成長とGHG排出量の正の相関関係は直近でも克服されていない。
したがって、UNFCCCやCOPで各国の交渉官が話し合っているのは、結局のところ「どの国にどれだけの経済成長(=エネルギー消費)を認めるか」という交渉であり、「途上国の成長のために先進国がどこまで自らの成長を抑制するか」という交渉なのである。
これに加えて、「豊かな先進国は貧しい途上国の経済成長を援助すべき」という、従来からの国連の南北問題の価値観が持ち込まれ、そこに地球温暖化という価値の軸が加わったことによって、「今までのGHG排出で地球を汚してきたのは先進国なのだから、先進国が脆弱な途上国を援助するのは当然の義務」という、援助をもらう側の倫理的正当性をもたらしている。先進国が途上国を「援助してあげる」のではなく、「罪滅ぼしのために援助するのが当然」という価値観の転倒が生じているのだ。
結局、温暖化問題を軸に「ゼロサムゲーム」のパイの取り合い、つまり「富の再配分」を目指したのがUNFCCC・COP交渉だった。日米欧3極ともに危機的な経済・財政問題に直面している現状下で、そもそも配分すべき富がなくなっているなか、配分どころではないというのが先進国の本音であり、新たな「配分」のための枠組みに合意できる可能性は、事実上「ない」というのが実態だろう。
したがってダーバンでの交渉がどうなるにせよ、日本の京都議定書の第2約束期間への不参加問題や震災による削減目標の見直しについて、EUや途上国が後ろ向きだとして非難したとしても、それは地球全体の温暖化対策としてはまったく本質的な問題ではない。そもそも実態として、温暖化対策上無力かつ無意味になってきている枠組みについての交渉なのであり、京都議定書の第2約束期間があってもなくても、日本が25%を掲げても降ろしても、地球規模のGHG排出量は現状トレンドでは長期的に増え続け、もしそれが温暖化の原因であったとすれば温暖化は不可避となるのである。
その意味で、先進国と途上国の異なる義務(というより途上国の免責枠組み)を固定化、既成事実化する京都型の枠組みは、地球環境対策に逆行することになり、日本政府がこれに強く反対していることは地球温暖化対策の観点からは「正しい」主張である。日本政府が求めているように、あくまで「米中の2大排出国を含む、すべての主要排出国をカバーする法的枠組み」の下で対策を採ることが必要である。その際、京都型のトップダウンで削減義務を設定する京都型アプローチは合意不可能であり、あくまで自主的で協力的な枠組みを設定して、各国の自主的な対策、国際間の協力的な対策を具体的に積み上げる新たな枠組みが必要となる。