6割が生活苦の国、日本のエネルギー政策
山本 隆三
国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授
大手企業の初任給が大きく上昇しているように、給与増が続いている。国税庁の民間企業勤務者の給与調査によると、1997年に467万円だった平均給与は減少を続け2010年には410万円になった。その後上昇に転じ、2020年の435万円は、21年446万円、22年458万円、23年460万円と上昇した。1997年の過去最高額には、まだ達していないが、ここ数年給与は毎年増えている。
しかし、給与増に合わせ減少していた生活が苦しいとする国民の比率は2023年増加に転じ、「生活が大変苦しい」、「やや苦しい国民」はまた6割に近づいている(図-1)。物価、特に食品価格の上昇が給与増を上回っているからだろう。2020年を100とした物価の総合指数は昨年11月に110に上昇しているが、食品は120に上昇している。生産額ベースでは日本の食糧自給率は63%なので、円安の影響をかなり受ける。2021年初には1ドル104円だった円は、今155円だ。
だが、主要国の物価上昇率の推移をみると、為替の影響を受けた日本の上昇率は主要国の中では低い方だ(図-2)。トランプ新大統領が就任時に指摘したようにエネルギー価格が主要国の物価に大きな影響を与えているからだ。主要国が世界一の化石燃料輸出国ロシア依存からの脱却を図り、結果エネルギー価格の上昇を引き起こした。
中でもロシア依存度が高い欧州諸国は、22年2月のロシアによるウクライナ侵略を受けロシアからの化石燃料輸入禁止に乗り出した。22年8月に石炭の禁輸に踏み切り、続いて12月に原油を原則輸入禁止にした。依存度が高い天然ガスについては27年までに輸入を禁止する目標を掲げた。
このロシア産化石燃料への依存度削減は、欧州を中心に世界の化石燃料価格を大きく引き上げた。太平洋市場と大西洋市場の価格が異なる天然ガスについては、欧州市場が高騰し、欧州主要国は軒並み大きな影響を受けた。石炭は主要輸出国が大西洋と太平洋市場で同じだったため、世界的な価格高騰を招いた。欧州市場の天然ガスと世界の石炭価格は、史上最高値を更新した(図-3)。
日本のエネルギー価格上昇率は、欧州主要国との比較では、まだ低かったが、それでも私たちの生活と産業に大きな影響を与えている。全国の電気料金と都市ガス料金は、23 年1月から政府による補助開始が始まり下落したが、それまで大きく上昇した(図-4)。産業用電気料金は、私たちの給与と物価に大きな影響を与えた。
経済構造実態調査(製造業事業所調査)では製造業の燃料費、電力費が公表されているが、2021年の製造業の燃料費3兆1229億円は22年には4兆8525億円に55%増加した。電力費も4兆93億円から5兆7297億円に43%増えた。22年の製造品出荷額292兆円に占める比率は、それぞれ1.7%、2.0%となる。人件費に対する燃料費と電力費を足したエネルギーコストの割合は、21年の24%から34%に上昇した。
エネルギーコストは、10%の賃上げに相当する額の値上がりを見せたということだ。むろん、業種により影響には違いがある。図-5がいくつかの業種の出荷額に占めるエネルギーコストの比率と人件費に対するエネルギーコストの比率を示している。22年の出荷額に占めるエネルギーコストの比率は、自動車、電気機器ではそれぞれ1.3%、1.2%だが、エネルギー多消費型産業の化学、高炉製鉄ではそれぞれ5.4%、11.6%だ。人件費に対するエネルギーコストの比率は高炉製鉄では3.44倍に達している。自動車製造でも0.13倍だ。製造業の多くの業種ではエネルギーコストの上昇が人件費にも大きな影響を与える。
エネルギー価格、電気料金が影響を与えるのは、製造業だけではない。スーパーマーケットとコンビニを傘下に持つセブン&アイ・ホールディングの光熱費(連結ベース)は、21年2月期の1046億円から24年2月期1843億円に76%上昇している。商品の価格を引き上げなければ、経営が成り立たないし、賃上げもできない。
生活が苦しい人を少なくする効果がある政策の一つは、間違いなくエネルギーコストを下げることだ。特に、電気料金を下げる政策を直ぐに実行することだ。トランプの米国と違い「掘って掘って掘りまくれ」は無理だが、原子力発電所の再稼働を進めれば、価格変動が激しい化石燃料への依存度を下げ、電気料金を下げることが可能だ。
生活が苦しい国民が6割もいる国が取れるエネルギー政策には限りがある。マスメディアでは、相変わらず洋上風力、太陽光発電設備導入による脱炭素、新規事業創出に関する記事が多い。国際競争、中でも中国との競争が厳しい再生エネ分野でどれだけの新規事業を作り出せるのだろうか。これらの新規事業は、エネルギー価格をどれだけ引き上げ、国民と産業の費用負担をどこまで増やすのだろうか。
脱炭素に力を入れた結果エネルギー価格が上昇し、生活が苦しい国民が増えることが許容される状況なのだろうか。