エネルギー・温暖化をめぐる国際情勢と原子力の役割
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
(「環境管理」より転載:2024年7月号 vol.60 No.7)
ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争等を背景にエネルギー安全保障を取り巻く国際情勢は不透明度を深める一方、温暖化防止の面では1.5℃目標がデファクトスタンダード化する等、野心レベルが強化されている。
2023年12月のCOP28(ドバイ)はこのような状況下で開催された。COP28はパリ協定に基づくグローバル・ストックテイクの第1回目を完了する「節目のCOP」であった。グローバル・ストックテイクは、パリ協定の目標達成に向けた世界全体での実施状況をレビューし、目標達成に向けた進捗を評価する仕組みであり、その評価結果は、各国の行動および支援を更新・強化するための情報や、国際協力を促進するための情報となる。グローバル・ストックテイクにおいては今後の削減経路、エネルギー転換の考え方等が大きな争点となり、我が国の今後のエネルギー環境政策にも大きな影響を与えることが予想される。本稿ではグローバル・ストックテイクの結果とその地政学的意味合い、我が国への影響について考えてみたい。
削減経路は「認識」対象
先進国は1.5℃目標、2050年全球カーボンニュートラルを実現するため、IPCC第6次評価報告書に盛り込まれた「2025年ピークアウト、2030年全球43%削減、2035年全球60%削減」という数値がグローバル・ストックテイクに反映されることを強く主張した。1.5℃目標の実現に決定的な影響力を有する中国、インドを中心とする新興国に対して大幅な目標引き上げを促すためである。
採択された文書注1)には、1.5℃目標を達成するためには2025年ピークアウト、2035年全球▲60%が必要との文言が書き込まれた(パラ26、27)。更に2025年に提出される次期NDCにおいては1.5℃目標に沿ったものを提示することが促された(パラ49)。
しかし、これによって世界が1.5℃目標と整合的な排出経路に行くとは思われない。IPCC報告書に記載された2025年ピークアウト、2035年▲60%といった数値は「世界的なモデル化経路と仮定に基づくもの」と位置付けられ、「認識(recognize)」対象でしかない。更に2025年ピークアウトについては「この期間内に全ての国でピークに達することを意味するものではなく、ピークに達するまでの期間は、持続可能な開発、貧困撲滅の必要性、衡平性により形成され、各国の異なる状況に沿ったものである」との留保条件が付いている。次期NDCについても「各国が決定するとの性格を再確認し」「異なる国情を考慮し」という点が強調されている。これらの留保条件を考えると、中国、インドが2025年ピークアウトや2035年▲60%といった目標を出す可能性はゼロである。むしろ新興国・途上国は「世界全体で2025年ピークアウト、2035年▲60%を目指すならば、先進国は更なる深掘りをして途上国に炭素スペースを与え、途上国に対する資金援助を大幅に拡大すべきだ」との主張を強めるだろう。
化石燃料フェーズアウトをめぐる議論
COP28で最大の論点になったのは化石燃料の取扱いであった。欧米諸国、島嶼国が「1.5℃目標を達成するためには化石燃料の段階的撤廃(フェーズアウト)が不可欠」と主張したのに対し、サウジアラビア、ロシア等が「我々が目指すべきはCO2排出削減であり、化石燃料狙い撃ちはおかしい」と強く反発し、交渉は最後までもめた。最終的に合意されたパラ28では、「1.5℃の道筋に沿って温室効果ガス排出量を深く、迅速かつ持続的に削減する必要性を認識し、パリ協定とそれぞれの国情、道筋、アプローチを考慮し、国ごとに決定された方法で、以下の世界的な取り組みに貢献するよう締約国に求める」との柱書の下、8項目の取り組みが列挙され、化石燃料については「科学に沿った形で2050年までに正味ゼロを達成すべく、この10年間で行動を加速させ、公正、秩序ある、衡平な方法でエネルギーシステムにおいて化石燃料から移行(transition away from fossil fuels)という表現になった。2021年のCOP26(グラスゴー)においては排出削減対策を講じない石炭火力のフェーズダウンが盛り込まれたが、化石燃料全体について書き込まれるのはこれが初めてである。
原子力については追い風
日本のメディアは8項目の取り組みのうち、「化石燃料からの移行」と「2030年までに世界の再エネ設備容量3倍、エネルギー効率改善2倍」を特筆大書したが、筆者がCOP28で注目したのは原子力に対する風向きの変化である。COP28では米国、日本を含む22カ国が2050年までに世界の原発設備容量を3倍に拡大するとの宣言に参加した。再エネは無条件で称賛する一方、原発にはネガティブな環境NGOの影響が強いCOPにおいて原子力推進を高らかに掲げる有志国声明が発出されることは極めて異例である。加えて8項目の一つとして、「再エネ、原子力、CCUS、低炭素水素製造等のゼロ・低排出技術加速」が盛り込まれた。原発を推進したい国々の有志国声明と異なり、グローバル・ストックテイクの決定文書は全会一致を必要とする。島嶼国のように原発に極めてネガティブな国が存在する中で再エネと原子力がともにゼロ・低排出技術として加速すべき対象に列挙されたことは瞠目に値する。筆者が2000年〜2001年に関与した京都議定書の詳細ルール交渉ではクリーン開発メカニズム(CDM)等の京都メカニズムの対象プロジェクトに原子力を加えるか否かが大きな論点となった。原子力は非化石電源として明らかな役割を有しているにもかかわらず、反原発国の反対により、交渉結果は「原子力プロジェクトから発生したクレジットを先進国の目標達成に用いることを差し控える(refrain from)」となり、原子力は事実上の対象外となってしまった。その時代と比較すれば、隔世の感がある。これは不透明化するエネルギー安全保障環境への対応と野心レベルが更に高まっている温暖化目標を同時追求するためには再エネ、省エネだけでは不十分であり、化石燃料輸入依存を引き下げつつ、莫大なカーボンフリー電力を供給できる原発に対する認知が高まってきたことの証左でもあろう。
多様な道筋の認知
エネルギー転換をめぐるパラグラフ28が最終的に合意できた最大の理由は、柱書において「それぞれの国情、道筋、アプローチを考慮し、国ごとに決定された方法で」と明記されたことである。すなわち8項目の行動のどれをどの程度実施するかは各国の選択に委ねられる。先進国は「化石燃料からの移行」という文言を「化石燃料時代の終わりの始まり」と解釈しているが、ロシアや産油国は「8項目はアラカルトメニューであり、化石燃料からの移行をどの程度進めるかは各国次第」と解釈している。同床異夢を許容する表現を紡ぎだすことは国際交渉の常道である。強固な反原発国が存在する中で原子力にポジティブに言及した文言が合意できたのも同様の理由であろう。
こうした各国固有の事情を踏まえた「多様な道筋」の考え方は日本がG7広島サミットで欧米諸国を相手に粘り強く主張してきたものであり、G20デリーサミットにも引き継がれた。エネルギー賦存状況、発展段階の異なる190余カ国の合意を得るためには、特定のエネルギー転換の絵姿の押し付けは禁じ手である。筆者は今回のCOPの最大の成果は「多様な道筋」が認知されたことであると考える。
地政学的意味合い
野心的なエネルギー転換がもたらす地政学的意味合いも考えねばならない。世界の再エネ設備容量を2030年までに3倍にするとあるが、それは太陽光パネル、風力、蓄電池等に高いシェアを占める中国が利益を得ることに直結する。更にクリーンエネルギー技術に不可欠な重要鉱物の精錬の大部分が中国に集中していることを考えれば、石油の中東依存、ガスのロシア依存と同様に経済安全保障上のリスクをもたらすことになる。
COP28を席巻した化石燃料フェーズアウト論は、8割を化石燃料に依存する世界のエネルギー供給の現実を無視しているとしか思えない。これに強く反発するOPEC、中東産油国はロシアとの連携を強めている。イスラエル・ハマス戦争も相まって欧米諸国に対する不信感を強めた可能性は大きい。12月初頭にプーチン大統領がサウジアラビア、UAEを訪問したことは欧米と中東諸国の関係にくさびを打つことも一つの目的であったに違いない。そのロシアから石油、天然ガスを陸上パイプラインで調達している中国も中東への関与を強めている。おそらく化石燃料フェーズアウト論に強硬に反対するサウジ、ロシアの背後に回って彼らを側面支援していたに違いない。今回、中東産油国は理念的に脱化石燃料を主張する欧米諸国に対して、ハマス・イスラエル戦争におけるダブルスタンダードも相まって不信感を強めたのではないか。今後も国際情勢の不安定化により化石燃料価格が高騰する可能性は十分あるが、欧米諸国が湾岸産油国に増産を要請しても冷淡な反応が返ってくるかもしれない。温室効果ガス削減が至高の目的となり、環境NGOの声が会場を席巻するCOPにおいてこうした地政学的意味合いが十分考慮されていたとは思われない。
歴史的合意には巨額のコストがかかる
また、野心的な緩和目標やエネルギー転換目標は巨額な資金ニーズと表裏一体であることを忘れてはならない。決定文書には「途上国の資金ニーズは2030年以前の期間で5.8〜5.9兆米ドル」(パラ67)、「2050年までにネットゼロ排出量に達するためには、2030年までに年間約4兆3,000億米ドル、その後2050年まで年間5兆米ドルをクリーンエネルギーに投資することが必要」(パラ68)、「途上国、特に公正かつ衡平な方法での移行を支援するため、新規の追加的な無償資金、譲許性の高い資金、非債務手段を拡大することが極めて重要」(パラ69)等が盛り込まれている。
換言すれば、1.5℃目標に必要な排出経路やエネルギー転換を実現するためには巨額な請求書が回ってくるということであり、これらの金額が動員されなければ、途上国の排出削減は期待できないということだ。インドのモディ首相はCOP28において「今後の資金の議論はbillion単位ではなくtrillion単位であるべきだ」と述べている。しかし現実には先進国の途上国支援は現行目標1,000億ドルにも達していない状況である。会議中、複数の途上国から「先進国は途上国に対して(脱化石燃料等)あれこれ追加的な制約を課そうとしているが、それに必要な資金援助を出していない」とのフラストレーションが表明されたが、残念ながらこの指摘は相当程度当たっている。
このように「歴史的合意」とされるグローバル・ストックテイク決定文書に盛り込まれた削減数値、エネルギー転換目標、資金ニーズは野心的であるが、実現可能性となると大いに疑問がある。2021年のグラスゴー気候合意において1.5℃目標が世界のデファクトスタンダードとなったが、2030年までに2010年比▲45%が必要と明記されているのと裏腹に、2021年、2022年、2023年と3年連続で世界の排出量は最高値を更新し続けている。率直に言えば、1.5℃目標は実質的に「死んだ」に等しい。しかし誰もそれを口にすることをしないまま、ますます非現実的な緩和目標と資金需要を掲げることにより「1.5℃目標はまだ可能である」と強弁しているのが実情ではないか。
難しい日本の立ち位置
COP28の結果は今後の日本のエネルギー温暖化政策に大きな影響を与える可能性がある。日本は2つのエネルギー危機に直面している。ウクライナ戦争は我が国のエネルギー安全保障にも様々な課題を投げかけている。何より化石燃料価格の上昇と円安の進行は、ただでさえ主要国中最も高い日本のエネルギーコストを更に引き上げ、日本経済の大きな重荷になっている。電気料金補助の終了は国民生活にも大きな負担をもたらすことになろう。
日本のエネルギー温暖化政策は2050年カーボンニュートラル、2030年▲46%という目標に強く支配されている。日本がG7の一員として脱炭素化に努力することは当然だ。また世界が趨勢として低炭素化、脱炭素化に向かっていくことも確かである。しかし上に示したように先進国、新興国が同じページにいるとは思われず、1.5℃目標に向かって世界が一致団結しているとはとても言い難い。
そうした状況下で日本が、2030年▲46%、2050年カーボンニュートラルを他国の動向如何にかかわらず、教条的に追求して自縄自縛に陥ってしまうことはエネルギーコストを大幅に引き上げ、経済、雇用に悪影響をもたらすリスクがある。
日本は現在、2035年の次期NDCに加え、2040年に向けたGXビジョン、第7次エネルギー基本計画の検討途上にある。COP28で日本は2030年▲46%に向けた着実な進展をPRしていた。しかしこれは「諸刃の剣」であり、「2030年▲46%が達成可能ならば、2035年は当然▲60%もしくはそれ以上を目指すべき」との議論に直結する。COP28の決定文書に2035年▲60%という数字が含まれた以上、そのプレッシャーは内外から高まるだろう。4月のG7気候変動・エネルギー・環境大臣会合にもこの数字が盛り込まれ、日本は2035年▲60%に近い数字の表明を余儀なくされる可能性が高い。
今こそ原発の活用を
日本がエネルギー危機に対処しながら、更なる温室効果ガス削減を進めるためには原子力の活用が不可欠であることは論理的に考えれば自明である。
もともと日本は京都議定書の下で低炭素化を進める上で原子力を切り札として位置付けてきた。特に鳩山内閣が90年比▲25%という無謀な目標を設定したことを踏まえ、2010年に策定された第3次エネルギー基本計画では、2020年までに発電電力総量に占める原子力のシェアを50%に引き上げるとの目標を設定した。しかし2011年の福島第一原発事故によって我が国の原子力をめぐる環境は大きく変わった。反原発団体やメディアは日本も原子力フェーズアウトと再エネ推進を進めるドイツに倣うべきであるとの議論を展開した。国民の間での反原発感情の高まりの裏返しとして再エネに対する期待が過剰なまでに高まり、日本経済に多大な負担をもたらす固定価格買い取制度(FIT)も導入された。2015年に策定された第4次エネルギー基本計画では再エネを主力電源として位置付ける一方、原子力については重要なベースロード電源と位置付けつつも、その依存度を「可能な限り低減する」とされた。
しかし、冒頭に述べたようにパリ協定の下で野心的な目標設定が求められる一方、ウクライナ戦争等、エネルギー安全保障をめぐる環境は厳しさを増している。また脱炭素電源として期待される再エネについては土地(メガソーラー)、海の深さ(洋上風力)等の地理的制約、間欠性であるが故の統合コスト(送電網強化、バッテリー、火力の出力調整による発電効率低下等)の顕在化、中国製品への過剰依存、再エネ技術に不可欠な重要鉱物の中国依存といった課題が顕在化してきた。国内に化石燃料資源を有さず、近隣国との送電網接続のない日本にとっては、再エネの主力電源化を追求するのと同時に、準国産エネルギーであり、大量の非化石電力を生み出せる原子力についても活用していく必要があるとの認識が強まってきた。
原発活用にとっての喫緊の課題は迅速な再稼働である。原発が1基再稼働すれば、LNG100万トンの節約につながり、逆に再稼働が遅れれば、燃料コストの上乗せになる。既存原発の運転期間の延長も重要だ。安全投資を行った原発の運転期間延長はエネルギー安全保障、温暖化防止両面で最も費用対効果が高い。
その意味で2022年8月末に岸田総理が「電力需給逼迫の克服のため、原発については再稼働済み10基の稼働確保に加え、設置許可済みの原発再稼働に向け、国が前面に立ってあらゆる対応をとる。安全性の確保を大前提とした運転期間の延長など既設原発の最大限の活用、新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設等、政治判断を要する点につき、年末に具体的な結論を出す」との方針を示したことは大きな一歩であった。これを受けて2023年5月には原則40年、1回に限り延長して60年まで運転が可能とのルールは維持しつつ、震災後の新たな安全規制の導入や行政・裁判所の命令等、電力会社では予想できなかった理由で止まっていた期間を運転期間から除外し、実質的に60年超に延ばすとことを大きな柱としたGX電源法が成立したことは歓迎される。
しかし温室効果ガス削減努力は2030年以降も続く。2023年5月に成立したGX推進法に基づき、20兆円規模のGX移行債が導入され、2026年からは段階的に「成長志向型カーボンプライシングの導入」が始まるが、カーボンニュートラルに向かう長い道のりを進むには再エネ、水素、CCUS等と合わせ、原子力も使っていく必要がある。そのためには既存原発の再稼働、運転期間延長のみならず、次世代革新炉の開発・建設が不可欠だ。しかし自由化された電力市場の下で「普通の企業」となった旧一般電気事業者に丸投げしても新規投資は実現しない。長期のリードタイムを要する大規模施設への新規投資を誘導するためには再エネと同様、政策的インセンティブを設けることが必要だ。2030年以降をにらみ、一刻も早い政策環境の整備が望まれる。
COP28において原子力がゼロ・低炭素技術として明確に認知されたことは大きい。G7中最も脆弱なエネルギー事情を抱えた日本が将来にわたってエネルギー安全保障と温暖化防止を同時達成するためにも、このモメンタムを逃してはならない。