脱炭素の対欧米競争で勝ち目薄く
思い切った絞り込みで投資支援を
山本 隆三
国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授
(「エネルギーフォーラム」より転載:2024年2月号)
2011年にノーベル経済学賞を受けたトーマス・サージェント・ニューヨーク大学教授がカリフォルニア大学バークレー校の08年の卒業式で行ったスピーチは、経済学を12の点に要約したことで有名だ。その要点の最初は「望ましいことの多くは実現可能ではない」――だ。
さて、脱炭素のため日本政府が取り組むGX(グリーン・トランスフォーメーション)は望ましいことに違いないが、実現可能だろうか。GXについて多くの説明は不要だろう。エネルギーの安定供給を前提に脱炭素への移行と経済成長を同時に達成するとした基本方針だ。省エネの徹底、再生可能エネルギーの主力電源化、原子力発電の活用、水素利用などが謳われている。
10年間で150兆円を超える投資が必要とされ、23年度から20兆円のGX経済移行債を10年間にわたり発行。28年度からの燃料賦課金と33年度から発電事業者に割り当てられる排出枠に基づく特定事業者負担金で償還する。20兆円の先行投資により民間投資を引き出す試みは目新しいが、国際競争を勝ち抜くことができるだろうか。
脱炭素目標をテコに経済成長を狙うのは、米国も欧州連合(EU)も同じだ。米国が22年に導入したインフレ抑制(IRA)法に対抗し、EUは23年2月にグリーンディール産業政策を打ち出した。再エネ設備、水素製造、蓄電池、EV、原子力発電など脱炭素のための技術開発、設備製造を支援する。中国の存在もある。国内に世界最大の市場を作ることで再エネ設備と蓄電池、EV市場で覇権を握った。
大きなイノベーションがない限り、脱炭素によりエネルギー価格は上昇し経済にマイナスの影響を与える。各国とも経済成長によりそれをある程度打ち消せると想定しているようだが、日本の事情は異なる。マクロで見ると、30年前は世界経済の18%あった日本の国内総生産(GDP)は、今や4%。さらに少子高齢化により、70年の人口は今から3割、労働力人口は4割減少する。大きく縮小する市場では大きな成長は期待できない。
脱炭素でエネルギーコストは上昇
企業活動に負の影響も
脱炭素は日本のエネルギーコストを他主要国よりも上昇させ、企業活動に負の影響を与える。洋上風力では日本の風況は欧米諸国より劣る上、同じ設備でも遠浅でない日本では設備費はより高い。最近のインフレにより再エネ設備の価格も値上がりしており、発電コストの差は拡大している。原子力発電では工費、工期を守るため継続的な建設の経験が欠かせないが、10年以上建設が中断している。
これから非炭素電源を利用する電化が進み、電気の利用が難しい高炉製鉄や化学などの分野では水素が利用されるようになる。水素は主に天然ガスから製造されているが、これからは製造時排出されるCO2を捕捉、貯留するか、非炭素電源による水の電気分解で製造することが必要だ。米国では価格競争力のある天然ガスからの水素製造が主体に、欧州では再エネと原子力の電気を利用した水の電解による製造が主体になりそうだが、いずれも日本のコストをかなり下回る。欧米政府は大きな補助金の投入も計画している。
エネルギーコストが他国より上昇する中で失われた30年で疲弊した多くの企業は影響を受ける。法人企業統計によると1992年度57兆円あった設備投資額(金融保険を除く全産業)は、22年度47兆円、GXに重要な製造業では19兆円から15兆円に減少しており、毎年15兆円の脱炭素投資は難しい。
主要国が脱炭素を競えば、エネルギー覇権を握るのは米国だろう。世界最大の原子力発電設備を有し、風況にも恵まれている地域を多く持つ。天然ガスから製造する水素の価格も競争力を持つ。脱炭素技術の分野でも先行している。日本製鉄は米国のUSスチールの買収を発表したが、エネルギー価格が安い米国は電炉にも高炉製鉄にも魅力的な地だ。
エネルギーコストが安い地が、これからエネルギー多消費型産業を引き付ける。米国への産業流出を警戒したドイツは、産業用電気料金を引き下げる方針だ。欧米と大きく状況が異なる日本が同じ目標を持ち、競争しても勝ち目は薄い。脱炭素と成長を実現するためには、全方位で投資を行うのではなく、GXでの投資分野を思い切って絞り支援を行うべきだ。
ポール・クルーグマン・ニューヨーク市立大学大学院センター教授は、小泉内閣の時に来日し経済担当大臣と面談した結果、「日本が良くなることを願っているが、そうはならないだろう」とコラムに書いた。クルーグマン教授はGXについて何と言うだろうか。