COP28の結果と評価(2)
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
グローバル・ストックテイク合意文書の読み方
次に今回最大の論点となった化石燃料に関する部分を見てみよう。
- パラ28.
- さらに、1.5℃の道筋に沿って温室効果ガス排出量を深く、迅速かつ持続的に削減する必要性を認識し、パリ協定とそれぞれの国情、道筋、アプローチを考慮し、国ごとに決定された方法で、以下の世界的な取り組みに貢献するよう締約国に求める。
- (a)
- 2030年までに再生可能エネルギー容量を世界全体で3倍にし、エネルギー効率改善率を世界平均で2倍に。
- (b)
- 排出削減対策を講じない石炭火力の段階的削減に向けた取り組みを加速。
- (c)
- ゼロ・カーボン燃料と低炭素燃料を活用した、ネット・ゼロ・エミッションのエネルギーシステムに向けた取り組みを、今世紀半ばよりかなり前、あるいは半ば頃までに世界的に加速。
- (d)
- 科学に沿った形で2050年までに正味ゼロを達成すべく、この10年間で行動を加速させ、公正、秩序ある、衡平な方法でエネルギーシステムにおいて化石燃料から移行(transition away from fossil fuels)
- (e)
- エネルギーシステムにおける排出削減を講じていない化石燃料の代替に向けた取り組みを強化するため、特に、再生可能エネルギー、原子力、炭素回収・利用・貯蔵を含む削減・除去技術、低炭素水素製造を含む、ゼロ・低排出技術を加速。
- (f)
- 2030年までに、特にメタン排出を含むCO2以外の排出を世界全体で加速的に大幅に削減。
- (g)
- インフラ整備やゼロエミッション車・低排出車の迅速な導入など、さまざまな経路を通じて、道路交通からの排出削減を加速。
- (h)
- エネルギー貧困や公正な移行に対処しない非効率な化石燃料補助金を早期に段階的に削減。
- パラ29.
- 移行燃料 (transitional fuel) は、エネルギー安全保障を確保しつつ、エネルギー移行を促進する役割を果たしうることを認識。
化石燃料についてはフェーズアウト、フェーズダウンではなく、「化石燃料からの移行(transition away from fossil fuels)」という表現になった。日本のメディアの中には「10年で化石燃料脱却」という見出しを掲げたものがあったが、全くの誤訳である。パラ28(d)においては「この10年間で行動を加速」とあるが、「化石燃料からの移行」の度合い、終着点は明らかにされていない。だからこそ産油国、ロシアも同意できたのであろう。
COPの決定文書の中で化石燃料からの移行が取り上げられるのは初めてであるが、パラ28(e)において原子力、CCUSが推進すべき技術として再エネと並んでポジティブに言及されたのも初めてのことである。環境NGOの影響力の強いCOPにおいて原子力、CCSについてはネガティブな視線が注がれることが多かった。それだけに今回、原子力、CCUSに正当な位置づけが与えられたことは特筆に値する。ウクライナ戦争によってエネルギー安全保障の重要性が再認識され、フランス、オランダ、ポーランド等において原発の増設方針が打ち出される等、原子力に対する見方も変わってきている。COP28期間中、米国の提唱により2050年までに世界の原発設備容量を3倍に拡大するとの声明に日本を含め22か国が名前を連ねたのも、これを反映している。
加えてパラ29においてはエネルギー安全保障と円滑なエネルギー移行のための移行燃料の役割が明記された。移行燃料の定義は明確にされていないが、天然ガスが含まれることは間違いない。ロシア、イラン等の産ガス国の意向を反映したのだろう。石炭から天然ガスへの移行はこれからエネルギー需要が急増するアジア地域においてエネルギー安全保障と温暖化防止を同時追求するための現実的オプションであるが、環境派の間では「天然ガスも所詮は化石燃料なのだから、新規投資はすべきではない」との極端な意見が強かっただけに、エネルギー安全保障の視点に基づく移行燃料の役割の認知は特筆に値する。
パラグラフ28、29全体を見れば明らかなように、化石燃料からの移行は「各国がそれぞれの国情、道筋、アプローチを考慮し、国ごとに決定された方法で」取り組む様々な施策の一つという位置づけである。パラ28の(a)~(h)に掲げられた施策の組み合わせやマグニチュードは各国が選ぶことになる。日本がG7広島サミットで打ち出し、G20ニューデリーサミットにも引き継がれた「多様な道筋」という考え方に沿ったものともいえる。筆者はこうした現実的なアプローチこそがCOP28の最大の成果として評価されるべきであると考える。
今回の合意で注目されるのは2035年次期NDC設定において1.5℃目標を参照することが盛り込まれた点だ。該当部分は以下のとおりである。
パラ39. 国別貢献(NDC)は各国が決定するとの性格を再確認し、締約国に対し、次回のNDCにおいて、異なる国情を考慮し、最新の科学に基づき、全ての温室効果ガス、セクター、カテゴリーを対象とし、地球温暖化を1.5°Cに制限することに沿った、野心的で経済全体の排出削減目標を提示するよう促す(encourages)。
先進国はG7エルマウサミット(2022)、COP27(2022)広島サミット(2023)において新興国を念頭に、1.5℃目標に整合するよう2030年目標を見直すことを繰り返し促してきた。しかしCOP27においてもG20ニューデリーサミットでも目標見直しの参照とされるのは1.5℃~2℃の幅をもつパリ協定の温度目標であった。ただこれによってインド、中国が次期目標を大幅に野心的なものにするかは大いに疑問だ。「各国が国情に応じて決定する」というNDCの考え方が強調され、各国は1.5℃目標への適合をencourage されるに過ぎない。そもそも途上国にとって1.5℃目標イコール2035年60%減を意味するものではなく、パラ26にあるように「モデル化された経路と仮定」に基づくものでしかない。世界目標である1.5℃を各国目標に落とし込む考え方には先進国と途上国で大きな違いがあることを忘れてはならない。
また野心的な緩和目標やエネルギー転換目標は巨額な資金ニーズと表裏一体である。決定文書には「途上国の資金ニーズは2030年以前の期間で5.8~5.9兆ドル」(パラ67)、「2050年までにネットゼロ排出量に達するためには、2030年までに年間約4兆3,000億ドル、その後2050年まで年間5兆米ドルをクリーンエネルギーに投資することが必要」(パラ68)、「途上国、特に公正かつ衡平な方法での移行を支援するため、新規の追加的な無償資金、譲許性の高い資金、非債務手段を拡大すること極めて重要」(パラ69)等が盛り込まれている。 もちろん資金ニーズのすべてが先進国への請求書になるわけではない。途上国自身が緩和や適応のために自ら負担すべき部分も当然にある。しかし先進国への請求書が大幅にアップすることは間違いない。インドのモディ首相はCOP28において「今後の資金の議論はbillion 単位ではなく trillion 単位であるべきだ」と述べている。しかし現実には先進国の途上国支援は現行目標1000億ドルにも達していない状況である。「先進国は途上国に対して(脱化石燃料等)あれこれ追加的な制約を課そうとしているが、それに必要な資金援助からは逃げ回っている」という途上国のフラストレーションは故無きことではない。
2024年のCOP29(アゼルバイジャン)においては2020年までに年間1000億ドルという資金援助目標を見直し、1000億ドル以上として決定することになっている。今回の決定では「資金」の文脈でグローバル・ストックテイクの成果を実施するための「xx対話」を立ち上げる(パラ97)こととされた。先進国はこの場でグローバル・ストックテイクに盛り込まれた野心的なメッセージの値札に直面することになるだろう。
1.5℃目標は死んでいる
低炭素化、脱炭素化に向けたエネルギー転換の動きは間違いないだろう。しかし1.5℃、2050年カーボンニュートラルからバックキャストするアプローチは非現実的な化石燃料不要論等に直結する。グラスゴー気候合意で1.5℃をデファクトスタンダードとしたことはCOPの議論を現実から遊離させた元凶であったと考える。しかし現実はCOPの決定文書に縛られない。グラスゴー気候合意では1.5℃目標のためには2030年までに2010年比▲45%が必要と明記されたが、2021年、2022年、2023年と3年連続で世界の排出量は最高値を更新し続けている。
筆者は、1.5℃目標は実質的に「死んでいる」と考える。IPCC第6次評価報告書で1.5℃目標達成のために必要とされる2030年▲43%(CO2では▲45%)、2035年▲60%(CO2では▲65%)を実現するためには、2023年から30年まで年率9%、2030年から35年まで年率7.6%で毎年削減しなければならない。世界中がコロナに席巻された2020年ですら対前年比▲5.5%でしかなかったことを考えればおよそ実現可能な数値とは思われない。
しかし理想論が支配するCOPでは誰もそれを率直に口にすることをしない。むしろ2025年ピークアウト、2035年▲60%、支援ニーズ数兆ドル等の非現実的な緩和目標と資金需要を掲げることにより「1.5℃目標はまだ可能である」と糊塗している。しかし世界の排出経路が上の図から乖離することはすぐにだれの目にも明らかになるだろう。SDGに象徴されるように世界は様々な課題を抱えており、途上国は1.5℃目標と心中するつもりなどない。我々は1.5℃目標とそこから導出される削減経路に執着する限り、現実解は得られないという「不都合な真実」に直面すべきである。