二酸化炭素地球温暖化と脱炭素社会の機能分析(要約版)
Functional Analyses of Global Warming Gas and Decarbonized Society
金子 勇
北海道大学名誉教授(社会学)
2009年COP15のさなかの「クライメートゲート事件」、その後に判明した「ホッケースティック曲線」にまつわる不適当なデータ選択を目にした時に、英語のことわざ“Fling dirt enough and some will stick.”(嘘でもたくさんいえば、多少は信じられる)を思い出し、それからは人間の思惟と行動が織り成す社会システムの研究の一部に、「CO2地球温暖化」問題を位置づけてきた。具体的には、これにまつわる2つの常識的疑問と4つの個別課題について、理論、方法、データの結合を重視する社会学の標準的機能分析法によりアプローチしてきた(金子、2012)。
機能分析とは発電でいえば、高品質の電力を安定的に供給する正機能、発電所建設や発電時それに施設解体や被災時の環境負荷(CO2の排出、放射能のもれ、自然景観の破壊、健康被害など)という逆機能の両面に等しく着目する方法である。しかも目に見えて実感できる正常機能と、表面には出ずに潜んでいる危険性までも包み込む。すなわち、顕在的正機能・逆機能、潜在的正機能・逆機能の組み合わせで、対象を四つの角度から分析する方法である。これらを組み合わせると、表1を得る。
歴史的には、大気中のCO2濃度はマウナロア測定データが公表された1958年から一貫して増加傾向にあり、ハンセンが「地球温暖化」の警告を行った1988年6月までの30年間は、世界的に「地球寒冷化」論が主流であった。しかしCO2の濃度上昇は続いていたのに、1990年あたりから「地球温暖化」論へと豹変した事情について、専門家から素人でも納得のいく説明が今もない。
これに続く第二の疑問には、台風被害、集中豪雨、大豪雪、火山噴火、土石流災害などを念頭に「自然は人の手が及ばぬ」とみる人が、なぜ地球の温度だけは人為的な制御が可能と言えるのかがあげられる。
今日までの30年間、「資本主義の終焉」や「脱成長」のなか、世界的には「CO2地球温暖化論」を背景に「脱炭素」の合言葉で、発電時の(A)「化石燃料」追放と並行して、(B)太陽光発電と風力発電を主力とする再エネ拡大運動が国連機関(IPCCやCOP)で進められてきた。そこで、発電源として100年以上貢献してきた(A)と「自然に優しい」とされる(B)との間に、どれほどの機能的等価性があるのかを検証した。
個別課題として、まず(A)(B)発電所の「敷地面積」の比較を行った。現在新設予定の火発は原発100万KW級と同じ発電が可能であり、敷地面積もほぼ等しく、たとえば武豊火力発電所では0.663km2である。しかし、太陽光発電で同じ規模の発電を目指すならば58km2(山手線内側面積)が必要になり、陸上風力発電に至っては214km2(山手線内側面積の3.4倍)を必要とするので、狭い国土の日本では(A)(B)間に機能的等価性は全くない。
第二の「発電コスト」では、再エネ促進派はエネ庁「発電コスト検証」(2021年8月)結果を見て、「日本でも25年には太陽光発電が最も安くなる」という。ただしエネ庁の再エネデータを精査すれば、建設・運転コスト、火発によるバックアップ電源費、設備解体撤去費までの合計では、火発や原発よりも再エネがかなり割高になる。だからコストについても火発・原発と再エネ間に機能的等価はありえない。加えて、補助金を前提とした再エネと火発・原発の売電価格の比較は本来無意味でもある。
第三にCOP26で合意された「温室効果ガス削減目標」の目標年でも基準年設定でも、各国間で機能的等価にはなっていない。なぜなら、日本の1990年度排出量は12.75億tなのに、2013年度の14.08億tを基準にしたために、その46%減はかなり厳しくなるからである。東独と合体した時点の1990年度基準のドイツや、石炭からの燃料切り替えで排出量を10%ほど減らしていたイギリスの1990年度基準とは不整合である。目標年や基準年が違えば、削減目標値が異なり、機能的等価は成り立たない。
第四はCO2抑制や「脱炭素」への不自然な高唱が気がかりである。呼吸や植物の光合成で不可決なCO2や人体成分の14%を占める炭素を、ことさらに貶める議論は何のためか。炭素削減で、水素活用というイノベーションへの期待なら納得できるが、再エネ普及の理由が「炭素ゼロ」では、その狙いが別にあるとしか思われない。発電源で再エネほど自然を改変して、自然に優しくない装置はないだろう。
結論として(A)(B)間に機能的等価性がないので、発電源だけでももっと合理的でバランスのとれた論議がほしくなる。COP26で証明されたように、このままではグローバルノース(GN)とグローバルサウス(GS)との対立とともに、GN間でもGS間でも不毛な対立が強まる。シミュレーションによる1.5度上昇予測より、フランス語に言う“C’est de la simulation.”(見せかけのためのごまかし)をかみしめて、状況改善のための現実的情熱を活かして、科学的成果をより正しく使おうではないか。
<文献>
- 金子勇『環境問題の知識社会学』ミネルヴァ書房、2012