縄文海進について
深草 正博
皇學館大学教育学部教授
はじめに
現在、世界中で気候変動の問題がクローズアップされています。先頃行われたドイツの総選挙においても、最大の争点は気候変動対策でありました。地球環境問題対策を主張する「緑の党」の躍進がそれを物語っております。また、スウェーデン出身で18歳の環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが、この選挙の直前に、当のドイツで、「気候変動対策をしっかり実行できる人」というスピーチを行い、これに対して、世界各地で若者たちが一斉に賛同する活動を行ったことが、ニュースなどで報道されました。ここで問題になっているのは、地球温暖化です。これはもう相当前から問題にされておりますが、大気中の二酸化炭素など温室効果ガス増大の結果として、温室効果が起こり、地球の気温が高くなっていく現象です(ちょうどこの拙文をしたためている時に、このメカニズムをモデル化した真鍋淑郎さんが、ノーベル物理学賞を受賞しました)。この結果として、地域によって違いますが、干ばつや洪水が多発するようになります。ドイツでの大洪水、欧州での山火事などにより温暖化問題に関心を持つ人も増えています。また、日本にとっては特に深刻ですが、海水の温度も上昇するため、台風の規模が大きくなります。アメリカのハリケーンも同様です。さらに深刻なのは、山岳氷河、極地方やシベリアの地上にへばりついた氷が溶け、海水のかさが増えることです。つまり海面上昇です(海に浮かんでいる氷山が溶けても海面上昇は起こりません。念のために)。これを専門用語で「海進」といいます。実は過去にも同じ状況がありました。それが縄文時代です。いよいよ本題に入りましょう。
1.奇妙な日本地図
図1を見てください。これは何でしょうか。日本ですか?それにしては四国も九州もない。みんなくっついております。一体どういうことでしょう。これは本当に日本なのかと疑ってしまうかもしれません。といいますのも、図2の姿こそ真の日本だと思ってしまっているからではないでしょうか。しかし、これも立派な日本なのです。一体この違いはどういうことなのでしょうか。お気づきになった方もあると思いますが、図1は、今から約2万年前の氷河期の姿なのです。つまり「はじめに」において述べたこととは逆の現象が起きているのです。この場合は海面が非常に下がり、図2と比べると、120~140メートルほどの差ができております。私も初めて知ったときは大変驚きました。これを「海進」に対して「海退」と言っております。私たちの人生はせいぜい100年ですから、こうした環境変化に気がつきにくいのですが、長期的スパンで見たとき、気候は大きく変動しているのです。図2は今から3000年前頃から現在まで続く日本の姿なのです。
2.縄文の「海進」
次に、図3を見てください。これはまた先程の2つの図とは違いまして、大変スリムな日本の姿ですね。実はこれが今から6000年ほど前の縄文時代で「海進」が最大になったときの日本なのです。世界的に気温が現在と比べて平均して2℃程上がった時です。ところで、皆さんは「サハラ」というと何を思い浮かべられますか。きっと「サハラ砂漠」ですね。ところがこの時は実はサハラは「緑の草原」だったのです。雨が相当降ったようです。1982年に世界遺産に登録された、サハラ砂漠中央部山岳地帯にあるタッシリ遺跡の洞窟には、牛や羊、キリンなどの野生動物、あるいは植物などが描かれ、湿潤な気候であったことが窺えます。そもそも「タッシリ」とは、「川の多い台地」を意味するそうです。このことからも、私たちは、現在を基準にして過去の地球環境を考えてはならない、という教訓が得られます。歴史についても全く同じことがいえますね。
今述べた6000年ほど前を頂点として約7000~5000年前を、学問上「ヒプシサーマル期」と呼んでおります。ただ、この時の地球温暖化は、現在の二酸化炭素濃度の増大によるものとは違って、別の要因に求めなければなりませんが、おそらく地球軌道の変化だと考えられております。この時期は、ほぼ縄文時代の早期末~前期の時期に当たり、先の図3はその時のものです。地域によって差はありますが、平均して現在より2~3メートル高い位置まで海が広がっておりました。図をもう一度見ていただけば、海が内陸の方にずいぶんくい込んでおります。東京湾も伊勢湾も諫早湾も、それがはっきりと分かりますね。鎌倉の鶴岡八幡宮や大仏境内は波打ち際だったようです。そうした海辺の台地上に貝塚が作られますから、現在からするとずいぶん高いところに作られたように見えます。こうした変動を知らない人が当時の貝塚を案内されて、こんな高いところにあったのかとびっくりしたという話しもあります。が、笑えないですね。
3.縄文時代の海岸線の変遷
図3はヒプシサーマル期の縄文の姿で、縄文時代約1万年間が同じ姿であったわけではありません。図4は、東京湾の西側の海岸の変遷を約1万年前から1500年前までをたどった興味深いものです。①草創期には海面はなお現在よりも40メートル程低いところにありました。それでも図1の時より100メートル前後上昇しております。さらにぐんぐん気温が上がりはじめ、②のように次第に海水が奥に入り始め、③のヒプシサーマル期に至って、これが図3の東京湾の部分的な姿ですが、ここでは海面が現在より5メートル前後高くなったようです。図の右下に注目していただくと、夏島が陸から切り離されて、文字どおり島になっています。また、③より少し海水が引き始めた時期ではありますが、④に見られる青ヶ台貝塚は、⑥に見られる現在と変わらない地図では点で表されております。ずいぶん内陸に引っ込んだように見えますね。さらに、現在では仙台湾あたりを北限とするハマグリが、この時は海水の温暖化により、オホーツク海沿岸までも進出しております。しかし、この時期を過ぎますと、次第に海水が引き始め、④では③より2~3メートル下がったようです。そして、⑤の縄文晩期から弥生時代には、海面は現在と同じか若干低下した位置にあったようです。⑥も、もう現在と変わりませんが、野島に向けて長い砂州が形成され、湾口が著しく閉そくした環境に変化しました。
おわりに -「過去は未来、未来は過去」-
以上、大変大雑把ではありましたが、縄文の「海進」について見てきました。ヒプシサーマル期の縄文は本当に温暖だったことが分かります。先にも触れましたように現代に比べて2℃程高い世界です。さあ、それで最初に戻りますが、現在の地球温暖化の行き着く先の問題です。IPCCの第6次レポートでは、産業革命以前との比較で、2100年までに2℃以上の上昇が起こると予想されております。そうするとそれは、ヒプシサーマル期の縄文の時と同じではありませんか。ならばこれからどうなるのかは、縄文時代を研究すれば分かることになります。つまり図4の③のようになるわけです。まさに未来の姿を過去が示してくれています。逆に未来は過去の姿を示すともいえますね。私はこれを、「過去は未来、未来は過去」と表現しております。しかし、将来そうなってもらっては困るわけです。何としても1.5℃までに留めたいというのが国際社会の願いです。さまざまな取り組みが行われておりますが、個人でも日常の中でできることはあるのではないでしょうか。いずれにいたしましても、縄文の「海進」を研究することには、今後の世界にとっても大きな意義があるはずです。
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- 出典に記したもの以外に、山本良一編『気候変動+2℃』ダイヤモンド社、2006年、深草正博『グローバル世界史と環境世界史』青山社、2016年。