発電は“ぬれ手でアワ”にあらず
”容量市場が安定供給支える”
山本 隆三
国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授
(「サンケイビジネスアイ」からの転載:2020年12月13日付)
記事を読むと、この新聞は東京電力などの大手電力会社を嫌いだと分かることがある。嫌いな理由の一つは、福島第1原発の事故だろう。事故を引き起こしたのは、安全対策を怠った東電、との報道が事故後は多くみられた。
中には、「電力会社は地域独占の下、コストを保証された総括原価主義により無駄な金を使ってきた」と言いながら、「コスト削減のため福島第1原発での安全対策を怠った」と矛盾する報道もあった。コストを保証されているのであれば、安全対策費を節約する必要はなかったはずだ。
将来の供給力を確保
最近、大手電力会社が悪者にされているのは、将来の供給力を確保する「容量市場」と東北電力・女川原発の再稼働だろう。一般の読者にはなじみがない容量市場の基本を解説せずに、「大手電力会社の収入を増やし、消費者の負担を増やすのが容量市場」と説明するのは、いくら何でも乱暴すぎるが、記者は容量市場を調べないで記事にしているのだろうか。
「女川原発再稼働」についても一部メディアは批判的だ。一部のメディアは、東日本大震災時には女川原発も一歩間違えば事故だったと、根拠がはっきりしない主張をし、地元は原発マネー頼みのため同意したとのトーンで報道した。しかし、2011年3月26日付産経新聞も報道した、原発敷地内で最大時300人以上の地元住民が避難生活を送った「地元との絆」が果たした役割に触れることはない。反原発の主張を行うには、地元住民が福島第1原発の事故直後から女川原発を頼り、あまつさえ敷地内で3カ月も避難生活を送った事実は不都合な真実に違いないからだ。
一部のメディアが、大手電力会社を嫌う理由は原発事故以外にもありそうだ。事故前、日本経団連の会長、あるいは副会長を東京電力首脳が務めるのは普通だった。地方の経済団体の会長も電力会社首脳が務めるケースが多い。政権批判が使命と信じているメディアにとっては、政権支持の経済団体を支える電力会社も批判対象なのだろう。
容量市場という言葉を電力関係者以外が耳にすることは、今までなかっただろう。容量市場は電力市場を自由化したために必要になった制度だ。電力設備、特に送配電設備は一つあれば十分だ。多くの企業が競い合い複数の設備を設置しても無駄になる。同じことは鉄道線路についてもいえる。複数の線路を敷設し競い合っては共倒れになる。設備が一つあればよいため自然に独占状態になってしまう電力事業、鉄道事業などが不当な利益を貪らないようにできた制度が、規制当局が原価に基づき適切な料金を判断する総括原価制度だ。
世界の電力部門は総括原価制度で運営されていたが、サッチャー元英首相は、主要国の先陣を切り電力事業の民営化、自由化を1990年から実施する。電力部門の自由化は送電部門を除き複数の企業が競うことが可能な発電、小売り部門が対象だ。英国に続き欧州諸国、米国の複数の州が自由化に踏み切るが、米カリフォルニア州では参入した発電事業者の卸料金高騰を狙った売り惜しみにより、2000年から01年にかけ停電を招くことになった。自由化は中断し、今も一部しか自由化は行われず規制が行われている。日本では東日本大震災後、当時の民主党政権が全面自由化を開始した。
自由化を行った英国では、やがて発電設備が不足する懸念が出てきた。なぜだろうか。電気は需要に合わせ同量を発電しなければ、発電量が不足しても多くなっても停電する。また、一日の中でも、季節によっても需要量は変動する。冷暖房需要がある時期には数十%需要量は伸びる。発電する設備を用意していなければ、需要量が多い時に電力が不足し停電することになりかねない。電気をためて需要が多い時に利用できる蓄電池のコストと能力は大規模実用化にはまだ到達していない。
このため、一年のうち需要が最も多い数週間しか使用しない発電設備も事業者は用意しなければならない。カリフォルニア州には稼働率が1%を下回る天然ガス火力設備もあるが、年に数日しか稼働しない設備でも常に維持していなければ停電を招くことになる。維持費用は当然電力販売により得られる収入を上回る。この低稼働の設備を維持するため総括原価制度があるが、自由化した市場では事業者は収益を生まない設備を維持できなくなる。少なくとも老朽化による閉鎖後建て替える事業者は出てこない。やがて停電する。
低稼働率の設備維持
自由化市場で安定供給を維持する制度として考えられたのが容量市場だ。数年後の供給が可能な設備を持つ発電事業者が、設備の維持と発電の要請に応えることを約束すれば保有する設備に応じて資金を受け取れる。受け取れる資金額は必要な設備量の入札により決定されるシステムだ。負担は電気料金を通し行われる。
設備減少による停電の可能性があると判断した英国は、3年から4年先の設備、供給力を対象に6年前から容量市場の入札を開始している。日本でも今年9月、24年度の設備、供給力を対象とした容量市場の入札が行われた。その結果を報道した一部マスメディアは、大手電力会社を悪者にしているようだ。
たとえば、「1キロワット時2円。平均的な家庭だと1カ月500円の料金上昇にあたる」と伝え、小泉環境大臣の料金が上がる可能性があるとのコメントを伝える記事では「多くの発電所を持つ大手電力に収入増をもたらし、発電設備をほとんど持たない新電力は負担が重くなる」と伝えている。さらに「消費者負担で大手電力はぬれ手にアワの利益も」との報道もみられた。
読者を誤解させる内容だ。発電所を持つ事業者は、停電させないため発電所維持の費用を収入として得る必要がある。発電設備を持たない新電力が電気を仕入れるためには大手電力の発電設備が必要だ。お金は出したくないが設備を維持して発電してほしいというのは、虫が良い話ではないか。
新電力は電力の卸市場からも仕入れているはずだが、卸市場価格は下落が続いている。卸市場に電気を売っている発電設備を持つ電力会社の収入は影響を受けているはずだ。容量市場が機能するかどうかはまだ不透明なところがある。英国の容量市場では落札価格が低く、まだ新規発電所建設には結びつかない試行錯誤が続いているように見える。
日本でもさらに市場のあり方が検討されるが、将来の電気料金については、発電コスト、卸市場価格などの要因があり、月額500円上がるかどうかは分からない。「ぬれ手でアワ」というのは、大手電力会社が嫌いだからではないのか。