ホッケースティック曲線にまつわる問題点(その1)
ー「甘い罠」か「手品」か?
伊藤 公紀
横浜国立大学環境情報研究院・名誉教授
初めにかえて―ホッケースティック曲線の登場・退場・再登場
「20世紀の気温の急上昇」を表すホッケースティック曲線(図1、以下HS曲線)は、2001年に発表されたIPCC第3報告書の目玉だった。過去気候研究の分野としては画期的な数学的手法を用いて作成されたHS曲線は、過去1000年の北半球の気温の中で、20世紀の気温が例外的に高温であるという主張の根拠となり、それ以降、世界を席巻する人為的温暖化論の象徴であり続けた。しかしこのHS曲線、現在ではデータも解析も根本的に間違っていたことが分かっている。そして、杉山大志氏が書いているように(文献 1) IPCCは、他の多くの気温推定曲線に紛らせて、このHS曲線をひっそりと退場させる形にしたのである。
2012年のIPCC第5報告書の「専門的概要」が採用した過去気温データでは、図2に示したように20世紀(特に前半)の気温上昇はおとなしく見え、同じくらいの気温上昇は他の期間でも見られる。また、17世紀頃の小氷期と、20世紀と同程度の気温を示す11世紀頃の中世温暖期がはっきりと見える。
ところが、HS曲線が抱えていた問題点は、それ以降の気温推定の研究に相変わらず大きな影を落としている。HS曲線が抱えていた問題点を、多くの論文が克服できず、新しいHS曲線を産んでいるのである。まるで、はびこった雑草を抜いても根が残り、また生えてくるのにも似ている。
例えば、2020年になって提出された地球平均気温についての論文は、元のHS曲線とそっくりである(図3)。この20年は一体何だったのか、と嘆息せざるを得ない。
ホッケースティック曲線の作り方―間違った主成分分析
一体、これはなぜなのか。それを理解するには、まず、最初のHS曲線を作ったマイケル・マン達の解析のどこに問題があったのか、見てみる必要がある。
1998年、ネーチャー誌に登場したHS曲線に対して、多くの人が違和感を持ったのは事実である。実際、20世紀前半の気温上昇はCO2の人為的排出で説明できず、この期間の気温上昇は自然変動と考えるしかない、というのがIPCCの態度でもあった。それなのに、20世紀の気温上昇が異常だと感じさせるHS曲線は、あまりにも人為的温暖化論に適合していたので世の大きな注目を集め、詳しい調査をしようという研究者はいなかったのである。
こういう状況下で、HS曲線の根本的な問題点に挑戦して解決したのは、カナダのスティーブ・ マッキンタイヤであった。これはまさに偉業といって良い。その経緯は、マッキンタイヤのブログ”Climate Audit (気候監査、文献5)”で読むことができ、またA. W. Montford, “Hockey Stick Illusion” (文献6)(邦訳は「ホッケースティック幻想」(文献7))に詳しい。本稿の記述は、これらの文献資料に多くを負っている。
マッキンタイヤは鉱山に勤務する技師だったが、学生の時、カナダで最高位をとるなど数学が得意だったという。カナダでは、Tシャツの柄になるほどHS曲線が流行したそうで、マッキンタイヤも興味を持っていた。仕事の定年を迎え、興味を持っていたHS曲線を扱い出したところ、彼はとんでもないことを発見することになった。マン達のコンピュータープログラムは、なんと、気温の指標として使われた多数の試料(代替指標試料)の中から、「20世紀に気温が急上昇した」ことを示す異常なデータを拾い上げるように作られていたのである。
マン達が使ったのは、統計的な手法の「主成分分析」である。いろいろな変化を見せるデータから、共通の動きを抽出する手法だ。通常は次のような手順で行う。
図4の左側に縦に並べてあるのは、異なる樹木試料を使って解析された年輪データをイメージしたものだ。それぞれに異なる変化を見せている。ノイズなど埋もれた、共通の動きを取り出そうというのが主成分分析だ。
主成分分析には、データの前処理が必要である。まずそれぞれのデータを期間全体で平均して、平均値を出す。そして、各データの値から平均値を引いて、プロットしなおすと、平均値の上下に出たり引っ込んだりする曲線になる。これをセンタリングと言っている。センタリングをきちんとやれば、例えば20世紀に異常に増加を示す試料があっても、主成分分析の結果に大きく反映することはない。
ところが、マンたちは不思議なやり方を採用した。それを図5に示す。
マン達のセンタリング方法は間違っていた。期間全体で平均値を出すのではなく、20世紀だけについて平均値を出し、その値を使ってセンタリングをしていた。マッキンタイヤらは、これをショートセンタリングと呼んだ。このようにすると、図5の左側の一番上にある、20世紀に大きく増えたデータでは、ゼロを示す線の位置が本来の位置よりも大分上に来る。
すると、1000年から1900年までの期間のデータが、ゼロ線から大きく離れてしまう。このようなデータが混じっていると、主成分分析のときに、このデータが目立ってしまう。つまり、20世紀に急激な気温変化があるデータを抽出する結果となってしまうのだ。これが、マン達の手法の秘密だった。
なぜマンたちは、こんな手法を使ったのだろうか。一つの理由は、過去を遡るほど、データが少なくなっているため、まず20世紀から始めようと考えたかららしい。20世紀だけを見るなら、それでよい。しかし、期間を遡って行くときには、新しく平均値を出し直さないといけなかった。それをマン達はせず、得られた結果は彼らの希望するものだった。おそらく彼らは、20世紀に急に気温が上がったことが証明された、と感じたのではないだろうか。
次回:「ホッケースティック曲線にまつわる問題点(その2)」につづく。
- <参考文献>
- 4)
- Kaufman et al., Scientific Data | (2020) 7:201 |
https://www.nature.com/articles/s41597-020-0530-7.pdf
- 6)
- A. W. Montford, “Hockey Stick Illusion” (Stacey International, 2010)
- 7)
- A. W. モントフォード『ホッケースティック幻想』(青山洋訳、桜井邦朋監修、 第三書館2016年)
- 8)
- S. McKintyre and R. McKitrick, The M&M Critique of The MBH98 Northern Hemisphere Climate Index, Energy and Environment, Vol 16, 69-100 (2005)
https://climateaudit.files.wordpress.com/2009/12/mcintyre-ee-2005.pdf